「軽井沢ソサエティ」避暑地のはじま
明治19年、軽井沢を訪れたカナダ人宣教師、
アレキサンダー・クロフト・ショーは、
スコットランドに似たこの地の寒冷な気候と雄大な景色に魅了される。
自ら山荘を建て、東京の西洋人コミュニティに
軽井沢の素晴らしさを広めていった。
ショーの友人の宣教師たちも軽井沢に別荘を持つようになった。
やがて避暑のために軽井沢を訪れる西洋人が増えてくる。
万平ホテルをはじめ西洋式ホテルが次々と開業する。
旧華族など日本の上流階級や政財界の人々も軽井沢に別荘を建てる。
夏の間、軽井沢の自然を愛する人々が集まり、交流し、娯楽を楽しむ。
軽井沢ソサエティと呼べる「集まり」が誕生する。
時間と約束を守ること
ウソを言わぬこと
生活を簡素にすること
西洋人宣教師たちが住み始めた頃の軽井沢は、
キリスト教的風潮の強い町だった。
「善良な風俗を守り、清潔な環境を築こう」という精神が
軽井沢の歴史と伝統の根底にあり、軽井沢を支えている。