世界で愛された日本人 三浦襄(みうらじょう)
トコ・スペダ・トゥアン・ジュパング。
バリ語で、自転車屋の日本のおじさん、という意味。
インドネシア、バリのために生きた三浦襄の呼び名だ。
三浦は明治末期、キリスト教の伝導と商売のために
ジャワ島に渡った人物。いくつかの成功と挫折を繰り返し、
40歳の時、バリ島で自転車修理業を始める。
第二次世界大戦中も戦後も、バリ人を守るために奔走した。
バリの病院の院長には、
「この病院にある薬はインドネシア人だけのものだ
日本人が要求しても与える必要はない」と言い、
戦時中、日本の陸軍の大将に
「バリの住民から、不当な税を徴収しないでください。
軍人や役人はバリ人に紳士的に接してください」と苦言を呈した。
昭和20年9月7日、三浦は生涯を終える。
三浦の葬列は1キロを超え、
見送った人も含めると1万人を超える人が、
その死を悼んだ。
現在に至るまで、全島民をあげるような
厳粛な葬儀を受けた者は、いないという。