「ボサノヴァが生まれた家」 ナラ・レオン
私の家庭は、イギリスでいうところのクラスレス。
社会的階級に属さない変わった家庭だった。
ナラ・レオン、ボサノヴァのミューズと呼ばれる彼女が
育ったのは自由な家庭だった。
行儀よくしろ、とか、伝統を守れ、とか
そういうこととは関係なかった。
コパカバーナにあったナラの家は、3LDKのマンション。
でも普通の3LDKよりはずっと大きく、
それぞれの部屋がすごく離れていた。
居間でパーティーをしたり、集まったりできた。
ほぼ毎晩、仲間が集まり演奏したり、歌い、
情報交換していた。音楽集会が開かれていたのだ。
のちにMPB(エミペーベー)、
ムジカ・ポプラール・ブラジレイラの歴史を築く人物たちも
集まるようになっていった。
アントニオ・カルロス・ジョビンや
ジョアン・ジルベルトも参加したことがある。
ナラの家でボサノヴァが生まれた、という人もいる。
私はグループにとってコンピュータみたいな存在だったわね。
全曲の歌詞とメロディーとコードを暗記していたから。
でも誰かが曲を思い出したい時にしか、
口を開けなかったし歌えなかった。
ナラがグループに残ったのは、そこが自分の家だったから。
そんな単純な出来事が、ボサノヴァの女神を生んだ。