大友美有紀

大友美有紀 14年8月3日放送

140803-05

「ムーミン一家の不在」トーベ・ヤンソン

今年で生誕100周年のトーベ・ヤンソンが描いた
ムーミンの物語は、全部で9巻。
意外と少ない。
その最終巻にはムーミン一家が登場しない。
ミムラ、スナフキン、ヘルムやフィヨリンカたち、
残された者たちがいなくなったムーミン一家を思って、
ほんとうの自分を見つけ出すお話。
この「ムーミン谷の11月」が刊行される数ヶ月前、
トーベの母、シグネが亡くなっている。

 母は、自ら望んでいたように逝きました。
 麻痺するのでもなく、
 長く待つのでもなく、
 知性をわずかなりとも失うこともなく。

娘のトーベにとって母は、
すべての意味で「ムーミンママそのもの」だった。
大らかだが気配りができて、
機転はきくがでしゃばらず、
どこまでも楽天的なムーミンママ。
生まれながらの画家であったことが
「ムーミンパパ海へ行く」で明かされている。
トーベは、10冊目のムーミンを待ち望む人たちに、
もう書かない、いや、もう書けないのだときっぱりと言った。

topへ

大友美有紀 14年8月3日放送

140803-06

「フリーダ」トーベ・ヤンソン

ムーミンを「もう書けない」と言ったトーベ・ヤンソンは、
けして筆をおいたわけではない。
その後も執筆を続けていた。
彼女が描く物語には、独特な人物が登場する。
たとえば、「事前警告」という短編のフリーダ。
あらゆる事件が自分のせいだという強迫観念に
取りつかれている。
あるとき彼女は、
公道を拓くための爆破でとんできた
花崗岩に頭を直撃される。
包帯でぐるぐる巻きになったフリーダ。
 
  何にも気に病まずにいるなんて
  わたしにゃ生まれて初めてなんだよ。
  最高にいい気分だね。

大きな不幸に出会って、安心する。
心配性のフィヨリンカのようだ。

topへ

大友美有紀 14年8月3日放送

140803-07
o_Ozzzzk
「謎」トーベ・ヤンソン

ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソンが書き綴る短編小説には、
抑制されたパロディ、くすりと笑えるユーモアがある。
そして、冗長な修飾を削って行間を読ませる手法をとる。

 私は、35の言葉を使うところを5つですませるべく
 文体を切り詰めるマニア

 
そしてあえて曖昧なままの結末も多い。
謎めいた存在の、ニョロニョロやスナフキンのようだ。

topへ

大友美有紀 14年8月3日放送

140803-08

「100年かかる」トーベ・ヤンソン

トーベ・ヤンソンは幼い頃から夏は家族で島に住んでいた。
大人になった彼女が見つけた自分だけの島は「クルーグハル」。
フィンランド湾の沖合に浮かぶ小さな島だ。
電気も水道もない、島を一周するのに数分しかかからない。
太陽が水平線上に昇ると起きだして、机の前に座り、
太陽が波間に沈むと、寝支度をする。

 よい芸術家になるには、100年かかるのよ。
 
島の素朴な暮らしは、
時間とエネルギーのすべてを仕事につぎ込む、
という贅沢を与えてくれた。
いつでも手を動かしていたというトーベ・ヤンソン。
100年を待たずして87歳でなくなった。
でも、よい芸術家にすでになっていた。

topへ

大友美有紀 14年7月6日放送

140706-01
fernando neves
「サンダルの季節」 ハワイの人の

ワールドカップもいよいよ終盤のブラジルに、
世界のセレブが愛用するビーチサンダルのブランドがある。
ハワイアナス。ハワイの人ような、という意味。
ブラジルポルトガル語での発音は、アヴァイアーナス。

 1962年、ハワイアナス誕生。
 日系人が履いていた布とわらでできた
 「草鞋」にヒントを得た。
 ソールにつけられたデコボコは、
 お米のカタチをデザインしたもの。

 
当時、ハワイは多くの人にとって夢のような場所だった。
太陽が燦々とふりそそぐ、パラダイス。
波乗りとアップビートな気分。

日本とブラジルとハワイ。
3つの文化が、世界で愛されるサンダルを生んだ。

topへ

大友美有紀 14年7月6日放送

140706-02
dimsumandsiomai
「サンダルの季節」 安いサンダル・松任谷由実

「安いサンダルをはいてた」
松任谷由実のデステニーの歌詞の一節。
1979年発売のアルバム「悲しいほどお天気」の収録曲だ。
松田聖子がデビューした年でもある。
自分の元から去った恋人を、
いつか見返すために、
どこに行くにも着飾っていた主人公。
でも、偶然再会した時には。

 どうしてなの、
 今日に限って、
 安いサンダルをはいていた。

 
その油断、恋への執念のゆるみ。
だから結ばれない運命なのだと、
たった一行で描いてみせた

topへ

大友美有紀 14年7月6日放送

140706-03

「サンダルの季節」 ギョサン・松下善彦

ここ数年ブームになっているサンダル。「ギョサン」。
小笠原の漁師が履いている「漁業従事者サンダル」だ。
鼻緒と本体が、樹脂で一体成型されている。
ソールが厚く、独特のカーブがある。
砂浜を歩きやすい、船の上でも滑りにくい。
この「ギョサン」を有名にした男が小田原にいる。
創業大正7年、マツシタ靴店の松下善彦。
ダイビングを趣味にする友人から
小笠原にしかない「ギョサン」の話を聞いて興味を持った。
ためしに店に置いてみた。しかし、売れない。
茶色やベージュなど地味な色のバリエーションしかなかったからだ。

 綺麗な色でつくれば、漁業関係者だけでなく、
 海のレジャーの愛好家にも広がるのではないか。

 
経営者である父の反対を押し切って、
ブルー、白、黒の3色、240足を特別注文で仕入れた。
ネットオークションに出品、ホームページを充実させ、
ギョサンのいわれや、小笠原の歴史を紹介した。
サイトを見たタレントが買いにきてくれた
ドラマで使ってもらうようになった。
松下自身も、ラジオに出演するなど、積極的にプロモーションを行った。
小笠原で生まれた「ギョサン」は、今、日本全国で親しまれている。

topへ

大友美有紀 14年7月6日放送

140706-04

「サンダルの季節」 ヘップサンダル・オードリー

オードリー・ヘップバーンが映画で履いたサンダル。
それは世界中の女性の心をとらえ、
ヘップ・サンダルと呼ばれた。
かかとのストラップがなく、
甲のところが覆われたサンダル。
今で言うミュールだ。
かのジバンシイは、彼女をミューズと讃えた。

 理想の女性像を体現し、想像力を刺激する、
 あらゆる魅力を兼ね備えている。
 私は建物を建てて、景観を広げなければならなかった。

 

今見ると、ただの「つっかけサンダル」だけれども、
オードリー・ヘップバーンが履いていたからこそ、
憧れのサンダルとなった。

topへ

大友美有紀 14年7月6日放送

140706-05
torumiwa
「サンダルの季節」 ビーサン屋・げんべい

まるに「げ」のひらがな。
ビーチサンダル専門店「げんべい」のマークだ。
葉山の、商店街もない、国道からも遠い、
電車の駅からはバスで20分もかかる。
そんな場所に「げんべい」の店舗はある。
創業は江戸末期、足袋や手甲、脚絆をつくる職人の店だった。
現在の店主は中島広行。
げんべいの跡継ぎ娘と結婚して五代目となった。

継いだ当初、店はいわゆる「万屋」だった。
紳士・婦人物の肌着、靴下、ストッキングなどを扱っていた。
げんべいで買いものをするのは恥ずかしい、と言った声も聞いた。
3年間頑張っても売上げは落ちるばかりだった。

 ええい!どうせ落ち込むのなら、
 自分で考えて好きなことをやってやる!

足袋の店からはじまった「げんべい」は、戦後の物不足の時、
ビーチサンダルにこだわりを持っていた。
その原点に立ち戻ったのだ。
豊富な色数、やわらかい天然ゴムを使った鼻緒、
疲れにくい、くさび形のソール。

そのこだわりを貫き、ビーチサンダル専門店という、
他にはない店を作り上げたのだ。

topへ

大友美有紀 14年7月6日放送

140706-06

「サンダルの季節」 ベンハーサンダル・チャールトンヘストン

ローマ帝国を舞台にした映画「ベンハー」。
主演のチャールストン・ヘストンは、
アカデミー主演男優賞を獲得した。
劇中で彼がはいていたサンダルをご存知だろうか。
ベンハー・サンダルと呼ばれている、
甲を止める幅広いベルトに鼻緒が連結されたもの。

この俳優を知らなくても、
この映画を知らなくても、
このサンダルは見たことがあるだろう。

チャールトン・ヘストンは、どんな俳優か。
「十戒」の監督、セシル・B・デミル曰く、
 
 ミケランジェロ彫刻の、
 聖書の人物にそっくりだったので、
 彼をモーゼ役に選んだ。

topへ


login