大友美有紀

大友美有紀 14年7月6日放送

140706-07
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「サンダルの季節」 島ぞうり・中島広行

葉山のビーサン専門店「げんべい」店主、
中島広行がビーサンの国内生産を目指し、
工場を訪ね歩いていたとき、ある金型に出会った。
昔、沖縄向けにつくられていたビーサン「マルト」の金型だ。

 台のカタチが特殊で、鼻緒も左右同じ長さでつくられている。
 模様もほかでは見たことがなかった。
 これはイケル!20年ぶりに「マルト」を復活させた。
 今、沖縄土産で人気の「島ぞうり」の原型です。

 
ビーサンの国内生産の火を絶やしたくない。
中島の強い想いがある。

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大友美有紀 14年7月6日放送

140706-08
Simply Bike
「サンダルの季節」ビルシュトック・カールビルケンシュトック

サンダルの生みの親とされるカール・ビルケンシュトック。
その祖先、ヨハン・アダム・ビルケンシュトックは、
1774年教会の公文書に「臣王のシューマイスター」と登録された。
以来代々、靴づくりを続けてきた。
足にフィットする「フットベッド」を開発し、
医学的な研究を重ね、靴づくりを広め、専門書を発行する。
そして1954年、カール・ビルケンシュトックが
サンダルの開発を始めた。

 デザインは、していない。
 自然が作り上げた。

 

人の足形のストレートに向き合うことで、
ビルケンシュトックの機能美は、必然的に生まれた。

夏、なにげなく履いているサンダルは、
長い歴史と、職人の思いから生まれているのだった。

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大友美有紀 14年6月7日放送

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Jorge in Brazil
「オスカー・ニーマイヤー」曲線

ブラジル建築界の巨匠、オスカー・ニーマイヤー。
ニューヨークの国連ビルの設計者の一人として知られている。
彼のキャリアは、ブラジル、ベロ・オリゾンテ、
パンプーリャで始まった。

今年、ワールドカップのリーグが開催される地区でもある。

1943年、サンフランシスコ・デ・アシス教会。
波のような4つの放物線からなる屋根。
ファサードにタイルで宗教画が描かれている。

 私は人間が生み出す硬直した直線には興味がない。
 私が魅せられるのは、自由に流れる感覚的な曲線である。
 故郷の山々の稜線、うねる川の流れ、空に浮かぶ雲、
 そして私が愛して止まない女性の体の線に、
 私はそのような曲線を見いだす。
 曲線は全宇宙を構築する。
 アインシュタインの湾曲した宇宙を。

 
当時、世界中の建築家が影響を受けた
バウハウスの構造主義に、真っ向から対向している。
さながら、ドイツ対ブラジルの美の闘いだ。

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大友美有紀 14年6月7日放送

140607-02
¡Carlitos
「オスカー・ニーマイヤー」永遠の空間

ブラジルの首都、ブラジリア。
人工的につくられた街だ。
ブラジル建築界の巨匠、オスカー・ニーマイヤーは、
この地の主要な建築物を手がけている。
なかでもカテドラルは、デザインと構造が統合した最高傑作。
16本の曲線の柱が建物を取り囲んでいる。
天に祈りを捧げる腕のようだ。

 ありきたりの発想が、これまでの暗いカテドラルを生んできた。
 地上に暮らすひとびとの叫びや希望から生まれた、
 空気のような外観を、私は実現したかった。
 そして、薄暗い回廊。
 光と外観のコントラストをしっかりと出し、
 世俗的な雑念を捨て、聖堂の中へ、永遠の空間へと
 深遠な気持ちで入っていける雰囲気を作りたかった。

 
ただ独創的な外観を作りたかったのではない。
祈りへのニーマイヤーの想いがこめられている。

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大友美有紀 14年6月7日放送

140607-03
AHLAM
「オスカー・ニーマイヤー」ラテンアメリカ記念公園

ブラジル建築界の巨匠、オスカー・ニーマイヤーは、
ブラジルでのクーデターを逃れ、一時期ヨーロッパに滞在する。
そして、母国に戻った時、友人たちと語り合ううちに、
おのずと議論の中心が自分たちの生きている世界の不平等や
貧困という問題に向かうことが多かった。

サンパウロで彼が手がけたラテンアメリカ記念公園は巨大な作品だ。
それはこの建物の目的の偉大さを表現している。
市民広場には、高さ8mのコンクリート製の手のオブジェがある。
絶望を示す、やや曲がった指。一筋の血が手首まで流れ落ちている。

 汗と貧困が、我々の分断され抑圧されたラテンアメリカをあらわす。
 今や、この大陸を再び立て直し、統一し、
 その独立と幸福を保障できる不可侵の一枚岩に変えることが
 極めて重大である。

 
それは、挑発というよりは、批判や警告を伝えている。
影の差す過去や、希望はあるが不確かな未来への想いがあった。

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大友美有紀 14年6月7日放送

140607-04
Rodrigo_Soldon
「オスカー・ニーマイヤー」空中に咲く花

ブラジル建築界の巨匠、オスカー・ニーマイヤーは、
とても仕事が速かった。
リオデジャネイロのニテロイ現代美術館の最初のスケッチは、
小さなレストランで注文した魚を待っている間に、
ナプキンにささっと描いたものだった。
その美術館は空中に咲く花のように建っている。

 景観が壮大なので、自然の景色を隠したくなかった。
 私は建物を建てて、景観を広げなければならなかった。
 中心の支柱から建物は花のようにのびやかに立ち上った。
 この美術館は、この場所で美しいものを保存しなくてはいけないのだ。

 
2012年12月、オスカー・ニーマイヤーは、104歳で亡くなった。
自分の建築は、政治的で公共の巨大な建物が大半だけれども、
一般の人々、無力な人々に喜びを与えてきたものもあると思う、と語っていた。
ありきたりなものを嫌い、抑圧する側へ反抗しながら、
謙虚なヒューマニストだった。

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大友美有紀 14年5月4日放送

140504-06
liborkriz
「アクターズ・スタジオ・インタビュー」 ダスティン・ホフマン

アクターズ・スタジオ・インタビューは、
俳優たちが、自分の演技をどうつくり上げて行くかを語る。
ダスティン・ホフマンは、
演技においては俳優は自分自身のより深い罪と向き合うことだと言う。

 演技は、いや、どんな芸術も、平常の暮らしのなかではできないかも
 しれなことをやることだ。つまり、私たちは疵物だ。それが種の名前だ。
 疵、疵、疵、疵だらけだ。自分の体のどっか熱いところ、
 深い所でイヤなところに触ったら、意識的でなくても、
 それから飛び跳ねて降りる。
 自分たちの嫌な面、自身の鬼は知りたくない。

そう言って間を取り、遠くを見つめ、静かに続けた。
 
 演技の仕事をするってことは、そうした鬼と握手することなんだ。

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大友美有紀 14年5月4日放送

140504-011
Angela Rutherford
「アクターズ・スタジオ・インタビュー」 ルール

ニュー・ヨーク、アクターズ・スタジオ・ドラマ・スクールで
セッションとして行われた伝説の番組。
「アクターズ・スタジオ・インタビュー」。

そもそもは、ドラマ・スクールの
カリキュラムの一クラスだった。
学部長のジェームズ・リプトンが、
俳優たちが実戦してきた技芸について聞き出し、
それを学生の教育に役立てる。

 インタビューのテーマは、
 演技と芸術、そのための技術について。
 ゴシップは扱わない。
 予備インタビューはしない、台本もなし。

ワークショップとしてのスタートだったからこそ、
偉大なる俳優たちの思いを知ることができたのだ。

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大友美有紀 14年5月4日放送

140504-02
Gê.♥
「アクターズ・スタジオ・インタビュー」 ポール・ニューマン

1994年アクターズ・スタジオ・インタビューで、
ポール・ニューマンは才能だけでは不十分だと語った。

 ぼくは、たくさんの才能豊かな人を見てきた。
 直感が鋭くいろんな芸の手を必要に応じて
 すぐに引き出せるって人たちをね。
 しかも、彼らはそれで充分だと思っている。
 充分じゃないんだよ!
 それにさらに磨きをかけて最高の高みに
 作り上げて行くという烈々たる決意が
 加わらない限り、自分をごまかして
 だめにしてしまう。

そういう人たちに一番腹を立てているのは、自分だと言った。
ポール・ニューマンは、自分には才能がなかったと考えていた。

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大友美有紀 14年5月4日放送

140504-03
olebrat
「アクターズ・スタジオ・インタビュー」 ハリソン・フォード

2000年、ハリソン・フォードがアクターズ・スタジオ・インタビュー
に来た時、彼の経歴は完全無比だった。
雑誌「エンパイア」の史上トップ百人の映画スターのリスト上、第1位。
彼は、ハン・ソロであり、インディ・ジョーンズだった。
それなのに、彼は見るからに怯えていた。
自分に対する期待の大きさを知っていたのだ。
ある学生が彼のプライベートな部分が
役を演じる際の邪魔にならないかと質問した。 

 僕は私生活では私人ですけど、仕事の上では観客が
 全面的かつトータルなアクセスをしてくることを期待している。
 人前で喜んで生きて見せなきゃいけない。
 人によいところ、悪いところ、醜いところ、弱いところ、
 強いところを見せる。矛盾も嫌な面も。
 それを進んでやれなきゃいけない。
 僕にとって、映画の素晴らしさは、演技により報われることは、
 演技して満足感を覚えることは、感情のエクササイズの機会があること。
 自分を投入して本当の感情が生まれてくるってことなんだ。

彼の演じるアクション・ヒーローは弱点がある。
それが、観客との感情的な繋がりをつくっている。
インタビューで怯えていたのも、自分をさらけ出したからこそだった。

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