大友美有紀

大友美有紀 14年4月6日放送

140406-07

「長新太」絵本の作り方

絵本作家、長新太のイラストエッセイ、
「絵本のつくりかた」お料理風に

材料は、
青空たっぷり
渡り鳥、少々
そよ風、ひと吹き
地平線または水平線、一本
麦畑、たっぷり
少年、一人
湖、一ケ
魚(マス)一匹
ゾウアザラシ(オス)一頭

以上にナンセンス印のエスプリ少々

全体の味つけは、甘からず辛からず
これがコツ

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大友美有紀 14年4月6日放送

140406-08

「長新太」仕事の理想

ナンセンスの絵本作家、長新太。
仕事の理想は、と問われると。

 永久に未完成ということ。
 人々はすぐに完成されたものを
 性急に追求しがちだが、
 それは僕の信念に反する。
 少しばかり不安定でも、
 その作家の香り、あるいは匂い、
 つまりエスプリみたいなものが、
 みるものに共感をおぼえさせれば、
 それで結構と思っている。

享年77歳。
遺作となった絵本「ころころにゃーん」は、
ピンク一色で描かれていた。

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大友美有紀 14年3月8日放送

140308-01
Matthew T Rader

Photo by Texas Photographer, Matthew T Rader

「ミツバチ」ゲーテ

3月8日、今日はミツバチの日。
ドイツ人はゲルマン時代から
ハチミツを愛好していた。

ドイツ文学の第一人者ゲーテも、
ワイマールの庭の家、ガルテンハウスで
ミツバチを飼っていた。

ゲーテは当時の哲学者ヘーゲルの弁証法について、
白を黒と言いくるめるような詭弁であり、
それなら、自然を研究した方がよっぽどましだと言った。
ミツバチ研究のほうが精神衛生上健全だと。

ミツバチがなぜ、集団で蜜を探しに行き、
巣に戻ってくるのか、当時は謎とされていた。

 目に見えぬヒモにあやつられるようにして、
 あちらへいき、こちらへいきしている。
 しかしそのヒモの正体が何かは、
 私たちの知るところじゃない。

未知のものは未知のまま。
考える人間のもっとも美しい幸福だという。

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大友美有紀 14年3月8日放送

140308-02
wwarby
「ミツバチ」トルストイ

今日はミツバチの日。
ロシアは古代から
ハチミツや蜜蝋の産地として有名だった。

トルストイもミツバチを飼っていた。
彼の生家、ヤースナヤ・ポリーニャ、
明るい林間の空き地という名の屋敷には
付属の養蜂場もあったという。

「戦争と平和」のなかで、
ナポレオンのモスクワ侵攻のとき、
ゴーストタウン化した町を
女王蜂を失った蜂群にたとえている。

そして後年「木の皮屋根のついた蜜蜂の巣の異なった二つの歴史」という
風刺小説も書いている。

雄鉢のから見た歴史と働き蜂から見た歴史。
支配階級と労働階級の二つの歴史だ。

帝政時代の厳しい検閲下では発表できなかった。

トルストイは、ミツバチに絶望と希望を見ていたのかもしれない。

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大友美有紀 14年3月8日放送

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「ミツバチ」夏目漱石

3月8日はミツバチの日。

夏目漱石は「三四郎」のなかで、
田舎の素朴なくらしの象徴として
ミツバチを登場させている。

東京に暮らす三四郎は、九州の母から手紙をもらう。
小作人の新蔵からハチミツをもらって、
毎晩焼酎に入れて飲んでいる。と書いてあった。
新蔵が蜂を飼い出した時の事を思い出す。
どんなふうに蜂をつかまえたのか、
巣箱を増やしたのか、得意げに語っていた。

母からの手紙で
三四郎は三つの世界ができたと感じる。
ひとつは、遠くにある。母とミツバチと新蔵の世界。
第二は、苔の生えたれんが造りの建物がある、学問の世界。
第三は、明るい電燈のもとに美しい女性がいる世界。
でも、自分はそのどこにも属していない。
しかし、戻ろうと思えば戻れる世界はある。
それは、第一のミツバチのいる世界だった。

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大友美有紀 14年3月8日放送

140308-04
biggertree
「ミツバチ」みつばちマーヤ

今日はミツバチの日。

かつて「みつばちマーヤの冒険」という
アニメーション番組があった。
おしゃまな女の子みつばちが主人公のお話。

実は、この有名なお話は、
ボンゼルスというドイツの童話作家が書いたもの。
その物語全体を貫いているのは、
大自然への讃歌だ。

 桜と赤さんざしと、にわとこの花が、
 雲のように咲き乱れた中に、
 やすらっているかと見える、ある大きな庭園。
 その上に来かかったとき、
 マアヤは死ぬほど疲れきって舞い降りた。
 赤いチューリップの花壇の中へ落ちた彼女は、
 大きな花の一つにすがりついて、
 花びらにぴったり身を寄せると、
 深くうっとりと息づかいながら、
 その花のちらちら光るヘリごしに、
 輝くばかり青い空を眺めた。

ミツバチから見える世界の美しくしさに憧れてしまう。

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大友美有紀 14年2月2日放送



「冬季オリンピック」猪谷千春(いがやちはる)

2月7日、日本時間では2月8日の深夜、
ソチオリンピックが幕を開ける。

冬季オリンピックで、日本人最初のメダリストは、
猪谷千春(いがやちはる)。
1956年、イタリアのコルティナ・ダンペッツォ大会。
スキーの回転競技で、銀メダル。
ヨーロッパの男子選手以外で初めてのメダリストだった。

この時、金メダルを獲得したのは、
黒い稲妻と呼ばれたオーストリアのトニー・ザイラー。
猪谷も常に黒いウエアを着ていたことから、
ブラックキャットと呼ばれていた。

それから58年、何人のメダリストが誕生するだろう。

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大友美有紀 14年2月2日放送



「冬季オリンピック」ウルリッヒ・サルコウ

冬季オリンピックが始まるずっと前、
夏の大会にフィギュアスケートが登場していたのを
ご存知でしょうか。

1908年、第4回ロンドン大会。
そのオリンピックは、6ヶ月にわたって開催された。
フィギュアは、会期の終盤、
10月に屋内人工スケートリンクで行われた。

その競技会の時、スエーデンの選手がジャンプをした。
彼の名は、ウルリッヒ・サルコウ。

そう、今、4回転サルコウと呼ばれる、あのジャンプ。

ソチでは、何回転の美しいサルコウが見れるのだろう。

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大友美有紀 14年2月2日放送


B. Elin
「冬季オリンピック」スターリン

冬季オリンピックが開催される街、ソチ。
冬の大会の開催地なのだから、
寒い街だと思うのは、当然。

でも、実は、黒海沿岸の温暖な土地、
ヤシの葉がそよぐリゾート地だった。

ソチの魅力に気付いたのは、あの独裁者スターリン。
1920年代、ソチを訪れた。
リューマチに悩んでいたスターリンは
街のマツェスタ保養所の風呂に入った時、
体が軽くなるのを感じたという。

それから、スターリンは、毎年、休暇と治療のためにソチを訪れる。
インフラを整備し、公園や保養所をつくり、
自分の別荘を建てた。
冬になると富裕層も訪れた。旧ソ連時代のまでの話だ。

今、オリンピックのために、ソチには人工降雪機が
用意されている。

もちろん、競技はソチだけで行われるのではない、
近隣の山間部でも行われる。

幾つの場所で、幾つの感動を得られるだろうか。

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大友美有紀 14年2月2日放送


~Darin~
「冬季オリンピック」高梨沙羅

女子のスキー・ジャンプは、今年、ソチ大会から、
オリンピック種目に採用された。

いままで種目になかったのは、
女子には危険すぎるからと言われるが
競技者が少なかったことも、理由のひとつ。
現在、ジャンプ競技会に出場する
女子選手は、多いときで100人にもなる。

初めての女子スキー・ジャンプで
初めてオリンピックに出る
17歳の高梨沙羅。

ジャンプを始めた頃を振り返って、
「面白かった」という彼女。

ソチでは、なんども面白い経験をしてほしい。

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