「長新太」絵本の作り方
絵本作家、長新太のイラストエッセイ、
「絵本のつくりかた」お料理風に
材料は、
青空たっぷり
渡り鳥、少々
そよ風、ひと吹き
地平線または水平線、一本
麦畑、たっぷり
少年、一人
湖、一ケ
魚(マス)一匹
ゾウアザラシ(オス)一頭
以上にナンセンス印のエスプリ少々
全体の味つけは、甘からず辛からず
これがコツ
「長新太」絵本の作り方
絵本作家、長新太のイラストエッセイ、
「絵本のつくりかた」お料理風に
材料は、
青空たっぷり
渡り鳥、少々
そよ風、ひと吹き
地平線または水平線、一本
麦畑、たっぷり
少年、一人
湖、一ケ
魚(マス)一匹
ゾウアザラシ(オス)一頭
以上にナンセンス印のエスプリ少々
全体の味つけは、甘からず辛からず
これがコツ
「長新太」仕事の理想
ナンセンスの絵本作家、長新太。
仕事の理想は、と問われると。
永久に未完成ということ。
人々はすぐに完成されたものを
性急に追求しがちだが、
それは僕の信念に反する。
少しばかり不安定でも、
その作家の香り、あるいは匂い、
つまりエスプリみたいなものが、
みるものに共感をおぼえさせれば、
それで結構と思っている。
享年77歳。
遺作となった絵本「ころころにゃーん」は、
ピンク一色で描かれていた。
Matthew T Rader
Photo by Texas Photographer, Matthew T Rader
「ミツバチ」ゲーテ
3月8日、今日はミツバチの日。
ドイツ人はゲルマン時代から
ハチミツを愛好していた。
ドイツ文学の第一人者ゲーテも、
ワイマールの庭の家、ガルテンハウスで
ミツバチを飼っていた。
ゲーテは当時の哲学者ヘーゲルの弁証法について、
白を黒と言いくるめるような詭弁であり、
それなら、自然を研究した方がよっぽどましだと言った。
ミツバチ研究のほうが精神衛生上健全だと。
ミツバチがなぜ、集団で蜜を探しに行き、
巣に戻ってくるのか、当時は謎とされていた。
目に見えぬヒモにあやつられるようにして、
あちらへいき、こちらへいきしている。
しかしそのヒモの正体が何かは、
私たちの知るところじゃない。
未知のものは未知のまま。
考える人間のもっとも美しい幸福だという。
wwarby
「ミツバチ」トルストイ
今日はミツバチの日。
ロシアは古代から
ハチミツや蜜蝋の産地として有名だった。
トルストイもミツバチを飼っていた。
彼の生家、ヤースナヤ・ポリーニャ、
明るい林間の空き地という名の屋敷には
付属の養蜂場もあったという。
「戦争と平和」のなかで、
ナポレオンのモスクワ侵攻のとき、
ゴーストタウン化した町を
女王蜂を失った蜂群にたとえている。
そして後年「木の皮屋根のついた蜜蜂の巣の異なった二つの歴史」という
風刺小説も書いている。
雄鉢のから見た歴史と働き蜂から見た歴史。
支配階級と労働階級の二つの歴史だ。
帝政時代の厳しい検閲下では発表できなかった。
トルストイは、ミツバチに絶望と希望を見ていたのかもしれない。
「ミツバチ」夏目漱石
3月8日はミツバチの日。
夏目漱石は「三四郎」のなかで、
田舎の素朴なくらしの象徴として
ミツバチを登場させている。
東京に暮らす三四郎は、九州の母から手紙をもらう。
小作人の新蔵からハチミツをもらって、
毎晩焼酎に入れて飲んでいる。と書いてあった。
新蔵が蜂を飼い出した時の事を思い出す。
どんなふうに蜂をつかまえたのか、
巣箱を増やしたのか、得意げに語っていた。
母からの手紙で
三四郎は三つの世界ができたと感じる。
ひとつは、遠くにある。母とミツバチと新蔵の世界。
第二は、苔の生えたれんが造りの建物がある、学問の世界。
第三は、明るい電燈のもとに美しい女性がいる世界。
でも、自分はそのどこにも属していない。
しかし、戻ろうと思えば戻れる世界はある。
それは、第一のミツバチのいる世界だった。
biggertree
「ミツバチ」みつばちマーヤ
今日はミツバチの日。
かつて「みつばちマーヤの冒険」という
アニメーション番組があった。
おしゃまな女の子みつばちが主人公のお話。
実は、この有名なお話は、
ボンゼルスというドイツの童話作家が書いたもの。
その物語全体を貫いているのは、
大自然への讃歌だ。
桜と赤さんざしと、にわとこの花が、
雲のように咲き乱れた中に、
やすらっているかと見える、ある大きな庭園。
その上に来かかったとき、
マアヤは死ぬほど疲れきって舞い降りた。
赤いチューリップの花壇の中へ落ちた彼女は、
大きな花の一つにすがりついて、
花びらにぴったり身を寄せると、
深くうっとりと息づかいながら、
その花のちらちら光るヘリごしに、
輝くばかり青い空を眺めた。
ミツバチから見える世界の美しくしさに憧れてしまう。
「冬季オリンピック」猪谷千春(いがやちはる)
2月7日、日本時間では2月8日の深夜、
ソチオリンピックが幕を開ける。
冬季オリンピックで、日本人最初のメダリストは、
猪谷千春(いがやちはる)。
1956年、イタリアのコルティナ・ダンペッツォ大会。
スキーの回転競技で、銀メダル。
ヨーロッパの男子選手以外で初めてのメダリストだった。
この時、金メダルを獲得したのは、
黒い稲妻と呼ばれたオーストリアのトニー・ザイラー。
猪谷も常に黒いウエアを着ていたことから、
ブラックキャットと呼ばれていた。
それから58年、何人のメダリストが誕生するだろう。
「冬季オリンピック」ウルリッヒ・サルコウ
冬季オリンピックが始まるずっと前、
夏の大会にフィギュアスケートが登場していたのを
ご存知でしょうか。
1908年、第4回ロンドン大会。
そのオリンピックは、6ヶ月にわたって開催された。
フィギュアは、会期の終盤、
10月に屋内人工スケートリンクで行われた。
その競技会の時、スエーデンの選手がジャンプをした。
彼の名は、ウルリッヒ・サルコウ。
そう、今、4回転サルコウと呼ばれる、あのジャンプ。
ソチでは、何回転の美しいサルコウが見れるのだろう。
B. Elin
「冬季オリンピック」スターリン
冬季オリンピックが開催される街、ソチ。
冬の大会の開催地なのだから、
寒い街だと思うのは、当然。
でも、実は、黒海沿岸の温暖な土地、
ヤシの葉がそよぐリゾート地だった。
ソチの魅力に気付いたのは、あの独裁者スターリン。
1920年代、ソチを訪れた。
リューマチに悩んでいたスターリンは
街のマツェスタ保養所の風呂に入った時、
体が軽くなるのを感じたという。
それから、スターリンは、毎年、休暇と治療のためにソチを訪れる。
インフラを整備し、公園や保養所をつくり、
自分の別荘を建てた。
冬になると富裕層も訪れた。旧ソ連時代のまでの話だ。
今、オリンピックのために、ソチには人工降雪機が
用意されている。
もちろん、競技はソチだけで行われるのではない、
近隣の山間部でも行われる。
幾つの場所で、幾つの感動を得られるだろうか。
~Darin~
「冬季オリンピック」高梨沙羅
女子のスキー・ジャンプは、今年、ソチ大会から、
オリンピック種目に採用された。
いままで種目になかったのは、
女子には危険すぎるからと言われるが
競技者が少なかったことも、理由のひとつ。
現在、ジャンプ競技会に出場する
女子選手は、多いときで100人にもなる。
初めての女子スキー・ジャンプで
初めてオリンピックに出る
17歳の高梨沙羅。
ジャンプを始めた頃を振り返って、
「面白かった」という彼女。
ソチでは、なんども面白い経験をしてほしい。
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