大友美有紀

大友美有紀 14年2月2日放送



「冬季オリンピック」カール・シュランツ

かつて、オリンピックにプロの選手が、
出ることはできなかった。
当時のオリンピック憲章に
「スポーツで報酬を得てはならない」とあった。

そのために失格となり、1972年の札幌大会に
出られなかったアルペン・スキーの選手がいる。
カール・シュランツ、オーストリア。
スキーはお金のかかる競技だ。
彼は、堂々とスキーメーカーの広告に出演していた。
IOC会長は、シュランツを走る広告塔と非難し、
ついには札幌大会からスキーをオリンピック競技ではなく、
世界選手権とするプランを披露した。

カール・シュランツは、
自分だけオーストリアに帰るか、
世界中のアルペン選手全員が
オリンピックから追い出されるかを、迫られた。
彼ひとりがオリンピックから去った。

その2年後、憲章は大幅に緩和され、
プロ選手を禁止する決まりはなくなった。

今年、何人のプロ選手が、
シュランツが手にできなかったメダルを獲得するだろう。

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大友美有紀 14年2月2日放送


bobaliciouslondon
「冬季オリンピック」平野歩夢

ソチオリンピックでは
雪上競技最年少の選手が代表に選ばれた。
平野歩夢、15歳、中学3年生。
スノーボードのハーフパイプに出場する。

同じ競技には、オリンピック3連覇を狙う
アメリカのショーン・ホワイトがいる。
27歳、スノーボード界のスーパースターだ。

ホワイトの独特な空中技は、世界を熱狂させる。
バンクーバーでは「ダブルマックツイスト1260」
3回転半を決めた。
昨年末には、新技「ダブルコーク1440」
4回転の技を動画サイトで後悔した。

平野も新技を特訓しているという。

15歳は、12歳上のライバルの前で、
何回転を飛ぶのだろう。

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大友美有紀 14年2月2日放送



「冬季オリンピック」エディー・イーガン

オリンピックで金メダルを獲得することは、
並大抵ではない。

夏と冬、両方の大会で金メダルを取った選手がいる。
エディー・イーガン、アメリカ。
1920年アントワープ大会、ボクシング男子ライトヘビー級。
1932年レークプラシッド大会、男子ボブスレー4人乗り。

個人戦とチーム戦。
まったくタイプの違う競技だ。
夏と冬に出場した選手は、いる。
両大会で金メダリストになったのは、
イーガンただひとり。

この冬、日本はいくつの金メダルを獲得するのだろうか。

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大友美有紀 14年2月2日放送



「冬季オリンピック」若田光一

2013年11月7日、カザフスタンのバイコヌール宇宙基地から
ソユーズロケットが打ち上げられた。

このロケットには、2つの「初」が搭乗していた。
国際宇宙ステーションで日本人初の船長、
コマンダーとなる若田光一。
そして、宇宙をリレーする聖火のトーチ。

ロシアの宇宙飛行士によって、ISS船外をリレーして、
交代で帰還したクルーが持ち帰った。

ソチオリンピックの聖火リレーは、北極点も通過した。
そのルートは、これまでにないほど壮大だ。

オリンピックのロゴがペイントされたロケットで、
トーチとともに宇宙へ向かった若田光一は、
1963年生まれ。
前回の東京オリンピックの前に生まれている。
オリンピックに、最も縁のある宇宙飛行士かもしれない。

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大友美有紀 14年1月5日放送



「ぐりとぐら」1963年誕生。

だれもが1度は読んだことのある絵本、「ぐりとぐら」。
誕生したのは1963年、今年で51年目を迎える。
主人公の名前は
フランスの「プッフ・エ・ノワロ」という絵本から生まれた。
保母だった作者の中川李枝子は、保育園で
よくその絵本を読み聞かせていた。

 ノネズミたちがどんちゃん騒ぎをするのね。
 その歌があるんです。
 「ぐりっぐるぐら、ぐりっぐるぐら」って
 リフレインがつくの。

すると子どもたちは、待ってましたとばかりに
一緒になって「ぐりっぐるぐら、ぐりっぐるぐら」と言う。
「ぐりとぐら」は最初から子どものお気に入りだった。

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大友美有紀 14年1月5日放送


Lynda Giddens
「ぐりとぐら」たまご。

今年で出版51年目を迎える「ぐりとぐら」は、
はじめ「たまご」というお話だった。
当時、児童文学の新しい可能性を模索していた雑誌
「母の友」が中川李枝子に新作を依頼した。
出来上がってきたのが「たまご」。
森でみつけたとてもおおきなたまごで
カステラをつくる、お馴染みのあのお話。
編集者は、読み終えた瞬間、
頭の中に一冊の絵本ができあがったという。

 この物語にさし絵をつけて絵本にできる描き手は、
 妹の百合子さん以外考えられなかった。
 絵本など描いたことがないと躊躇する彼女を
 なんとか口説き落とした。

編集者は、その作者姉妹と「ぐりとぐら」は
日本の絵本界に一石を投じると紹介した。
そして51年間愛される絵本が出来上がった。

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大友美有紀 14年1月5日放送


blacque_jacques
「ぐりとぐら」オレンジ色の双子のネズミ。

絵本「ぐりとぐら」。
文は中川李枝子、絵は山脇百合子が描いている。
二人は5人兄弟の2番目と4番目の姉妹。
姉である李枝子は、子どものときから双子に憧れていた。

 妹や弟の面倒をみなくちゃならないし、母の手伝いはするし。
 だから双子なら二人お互い公平に、すべて公平で平等。

ぐりとぐらは、男の子の双子のノネズミ。
それまで、絵本など描いたことのなかった妹、百合子は
色付きのぐりとぐらををどう描けばいいか、困っていた。
すると、日本の動物画家の第一人者、薮内正幸から
上野の科学博物館の研究者を紹介される。
研究室の小さい引き出しにネズミの標本がずらっと入っていた。
端から順に開けて見ていったら、
オレンジ色の小さな綺麗なネズミがあった。

 ネズミがネズミ色じゃつまんないなと思っていたのね。
 というか、ネズミってネズミ色じゃないことがわかったわけ、そのとき。

 
李枝子の憧れと、百合子の好奇心が、
オレンジネズミの双子のぐりとぐらになり、
今年で51年目を迎える。

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大友美有紀 14年1月5日放送



「ぐりとぐら」手ながうさぎ。

絵本「ぐりとぐら」には、多くの動物が登場する。
こぶた、ぞう、おおかみ、ねこ、白うさぎ。
そのなかでも、いっとう変わっているのは、くるりくら。
エイプリル・フールの日にぐうぜん出会った、
手ながうさぎ。

 待ちあぐねた春がやっと来ました。
 お日様の下に行って
 長い間寒さに ちぢこまっていた手や足を
 思いきりのばしたら・・
 手がどんどんのびて、
 力いっぱい「うーん」とのばした分だけ
 長くなったのです。

保母でもあり、母でもあった中川は。
冬、幼い子に朝晩着替えさせ、
お風呂、トイレ、外出の身支度と
一日中脱がせたり着せたり。
この着せ替え作業から解放されたい。
大人も子どもも身軽になりたい、
切実な願望から、くるりくらは生まれた。

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大友美有紀 14年1月5日放送


Giuliagas
「ぐりとぐら」すみれちゃん。

絵本「ぐりとぐら」が誕生してから今年で51年目。
シリーズで初めて登場した人間の女の子が、すみれちゃん。
大きなかぼちゃを、ぐりとぐらにとどける女の子。
すみれちゃんには、モデルがいる。
「ぐりとぐらとすみれちゃん」を書き上げる1年半前、
李枝子は盛岡での講演のあと、一通の手紙を渡される。
幼稚園の先生をしている、すみれちゃんのお父さんだった。
手紙の差出人は、すみれちゃんのお母さん。
脳腫瘍のため4歳で亡くなったすみれちゃんは、
生前、元気なときも病院のベッドでも、
「ぐりとぐら」の絵本をほんとうに楽しんでいた。
何も食べられなくなってからも
「ぐりとぐらのえんそく」のお弁当の場面を開いて、
『きょうはこれにする』と、食べる真似をしていた。

 すみれちゃんに、絵本の中で
 楽しい時間を過ごして欲しいと思って書いたのよ。
 すみれちゃんが、楽しいときを過ごしていることが
 お母さんとお父さんにとっても救いになると思うの。

物語の最後に、ぐりとぐらは、かぼちゃの種を埋める。

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大友美有紀 14年1月5日放送



「ぐりとぐら」おりょうりすること たべること。

誕生51年目になる「ぐりとぐら」。
このよでいちばん すきなのは、
おりょうりすること、たべること。
登場する料理はみんなおいしそう。
あの有名な、フライパンでつくるカステラ。
おきゃくさまがつくってくれたクリスマスケーキ。
くるりくらの、にんじんのキッシュ。
すみれちゃんの、かぼちゃスフレケーキ。

 私たちの母は台所で溌剌としていました。
 戦後の食料事情が最悪のときも愚痴をこぼさず
 創意工夫できりぬけ、食卓を楽しく、
 家族を心身ともに満腹することに
 全力投球していたようです。

李枝子も百合子も料理とお弁当に情熱を傾ける。

けちじゃないよ ぐりとぐら
ごちそうするから まっていて

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