大友美有紀

大友美有紀 13年6月2日放送



「ターシャ・テューダー」初めての絵本

ターシャ・テューダーは、幼い頃、
母からもらった絵本を見て、
挿絵画家になろうと決めた。
美術学校で絵を学んだが、
誰も彼女を励ましたり、
褒めたりしてくれなかった。
自分の才能に自信が持てなかった。
それでも描き続けた。
そして、23歳のとき、初めての絵本が出版される。

 美術は教わってできるようなものではないわ。
 自分でたくさん描いて、自分の目でたくさん見ることよ。

その絵本「パンプキン・ムーンシャイン」は、
数々の出版社に断られた作品だった。
けれども、70年近く経った今でも出版され、
愛されている。

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大友美有紀 13年6月2日放送


plearbear
「ターシャ・テューダー」アンティーク

絵本作家ターシャ・テューダーは、
アンティークのドレスを身に着け、
食器など、100年以上も前のものを、
ふだんの暮らしで使っていた。
アンティークの品々は、眺めたり、使ったりするとき、
謎に満ちた神秘的な過去との、
精神的・身体的なつながりを感じることができるという。

 日本は、アメリカに比べて、
 多くの伝統や習慣を持つ国だと思います。
 たとえ、アンティークの日常品や
 ドレスを持っていなくても、
 そうした伝統そのものが、
 暮らしの中で実際に使われる、
 アンティークのひとつの形なのです。

それは、つかの間、時間を遡って旅をするようなもの。
過去を思う気持ち、それが、今を生きる力になる。

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大友美有紀 13年6月2日放送



「ターシャ・テューダー」暮らしに喜びを

絵本作家ターシャは動物にも、植物にも、
料理にも、毎日手間と時間をかける。

 できることならば、どんなことでも、
 料理づくりでも、庭づくりでも、
 心からの喜びと熱意を持って行うことが
 大切だと思います。
 たとえ、仕事や義務がひどく退屈で
 つまらないときがあるとしても、です。

暮らしに喜びを見いだそうとすれば、
きっと暮らしはより良いものになる。

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大友美有紀 13年6月2日放送


kai smart
「ターシャ・テューダー」今のこの世の中での幸福

絵本作家ターシャ・テューダーは自給自足の暮らしを送っていたが、
「求めるもの」が全くない極端な人生を歩んだわけではない。
美しいアンティーク、ドレス、本、植物、動物。
大きな家と納屋、離れ家。
求めるもののために一生懸命仕事をした。

 現代的な暮らしやその複雑さに
 ちょっと打ちのめされたり立ちすくんだりすると
 私たちは素朴さを求め、昔の時代を求めたりします。
 でも、そうした時代は、
 文明の発達した今日の世界ではほとんど忘れられた
 大きな困難や恐ろしいことに満ちあふれていたのです。

昔ではなく、今のこの世の中での最高を追求し、
心に思い描く幸福を求めて、努力すべきだという。

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大友美有紀 13年6月2日放送



「ターシャ・テューダー」シンプルな暮らし

代表的な絵本「コーギービル」シリーズの世界について、
ターシャー・テューダーは、ひとつの理想として描かれるほど
完全な世界ではないと言う。
けれども、今はもう見ることのできないひとつの時代、
1800年代のアメリカの田舎が表現されている。
人々はシンプルな遊びを楽しみ、よく働き、
シンプルな暮らしをしている。

 貧しい人々は、娯楽的な楽しみを味わうために
 よりいっそう、自分たちの想像力や
 内に秘めた力に頼っていたんです。

今の私たちが失った世界、でも、もういちど見習いたい世界がある。

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大友美有紀 13年6月2日放送


Marty.FM
「ターシャ・テューダー」美しい考え

美は見るものの目に宿る。
自給自足で暮らした絵本作家ターシャは、
皆が美しいものに囲まれるために
庭に植物を植え、芸術作品を購入すべき、
とは言っていない。

 ただ、皆さんに、自分のまわりを美しい考えで満たし、
 そして、親しい人々に対して、
 愛と優しさのこもった行動をとることをおすすめします。

もちろん魅力のないつまらない暮らしを避ける努力はしたほうがいい。
けれど、解決方法がみつからないとしても、
考えや行動を美しくすることはできるはず。

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大友美有紀 13年6月2日放送



「ターシャ・テューダー」ターシャのように

ターシャ・テューダーのようになりたい、という人が数多くいる。
けれどもターシャの息子、セスは、実際の彼女の人生は、
困難に満ちていたと言う。

 人里離れた場所に住み、
 文明の利器や携帯電話を持たず、
 買い物のための便利な交通手段を持たず、
 1日に2回ヤギのミルクを搾り、
 家畜小屋を掃除して、
 4人のこどもを育て、芸術の世界で成功するために
 一生懸命仕事をし、お金の心配をし、
 40代で離婚するとしたら、それほど魅力的ではないでしょう。

ターシャのように生きたかったら、なぜそうしないのか。
それは、自分の生き方ではないから。
みずから選びとる暮らしこそが、その人の美しい暮らしだから。

2008年6月、ターシャ・テューダーは、病院ではなく
自分が愛した家で、ゆっくりと死を迎えることを選んだ。

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大友美有紀 13年5月5日放送



「父と息子」北原白秋

北原白秋は、完璧な父だった。

 父はこのうえなく寛大だった。
 どんなときでも慈愛ぶかくあった。

そう書く長男、隆太郎は一度だけ
白秋に厳しく叱責された。
叔母が亡くなった時、あまりの悲しさに
追悼文が書けなかったのだ。
白秋は、自分はそんな理由で
義理を欠かしたことがないと叱った。

その夜、白秋は再び隆太郎を呼び、
母と妹、家族全員で
伯母の追悼録をつくろうと提案する。
厳しさと優しさの父だった。

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大友美有紀 13年5月5日放送



「父と息子」ディケンズ

 病気や悲しみも人にうつるが、
 笑いと上機嫌ほど、
 うつりやすいものもこの世にはない。

「オリバーツイスト」「クリスマスキャロル」、
イギリスの国民的作家、チャールズ・ディケンズ。

幼い頃、
のんだくれで賭け事が好きな、でも気のいい父と
その友人たちの気をひくために、
酒瓶の散乱したテーブルにのぼり、
滑稽なジェスチャーとダンスを披露した。
後に父は破産し、チャールズたちを苦しめることになる。
それでも、酔っぱらいの前の卓上で味わった
喝采と注目、人を楽しませることの喜びが、
のちのディケンズをつくった。
彼の弱者への視点は、父から生まれたものだった。

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大友美有紀 13年5月5日放送



「父と息子」ルノワール

「どん底」「大いなる幻影」「ゲームの規則」
1930年代、トーキー映画の幕開けの時代、
次々と傑作を世に送り出した映画監督。
ジャン・ルノワール。
父親は、印象派の巨匠、オーギュスト・ルノワール。
映画は芸術か?と問われれば、映画も庭いじりも
ヴェルレーヌの詩やドラクロワの絵と同等に芸術だという。

 父は私に芸術の話などしたことがない。
 この「芸術」という言葉に我慢がならなかったのだ。
 こどもたちが絵をやろうと、芝居か音楽でも
 まったく勝手だった。
 ただし、それをやりたいという気持ちが
 限りなく強くなって、
 どうしてもやらずにいられないようにならなければ、
 駄目なのだ。

ジャンの一生は、オーギュストが与えた影響を
確定しようとする試み費やされた。
抜け出そうとしたり、学んだことを実行したり、元に戻ったり。
彼の映画は、父の影響を隠せば隠すほど、
父を感じるものになった。

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