大友美有紀

大友美有紀 13年5月5日放送



「父と息子」中原中也

近代詩人・中原中也は、
人並みはずれた子煩悩だった。
長男を2歳で亡くした時、
悲しみのあまり屋根を歩き回った。

 窓から暗い月夜を見ていると
 瓦屋根のうえに白蛇が横たわっていて
 それが確かにこどもを奪ったヤツなので、
 踏み殺そうと思って屋根へ上った。

その1年後、
中也の通夜の席で、11ヶ月の次男が、
カステラを手でつかんでもみくちゃにしてしまった。
それを見た客がこんどは杯を持たせてみると
次男は小さな手でそれを受け取り、
生前の中也そっくりの手つきで杯を持った。
弔問客は、どっと笑い、悲しみの涙を絞った。

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大友美有紀 13年5月5日放送



「父と息子」チェーホフ

「桜の園」の作者・チェーホフ。南ロシア生まれ。
その掌編は、知的階級の俗物性をえぐり、
大胆に笑いを加える。近代人の不毛と絶望を描く。

祖父は、農奴だった。
苦労して得た金で自由身分を買った。
父親は祖父の店を継いで、チェーホフの兄たちを
大学に行かせたところで、力尽きてしまった。

彼は奨学金で医大に進み、
在学中から雑誌に投稿し、家計を助けた。
医師になってからも執筆を続け、著名な作家となった。
その後は、流刑囚の待遇改善運動に取り組み、
小学校を3つも寄付した。
しかし自作の中では、主人公に体制下の
診療所や小学校に対する批判をさせる。

 民衆は大きな鎖でがんじがらめに縛られているのに、
 あなたは、その鎖を断ち切ろうとせず、
 新しい鎖の環を付け加えているにすぎない。

父と違う生き方を選ばされた自分。
努力の末、ブルジョワ階級となった自分。
自己を辛辣に見つめることが
父への愛だったのかもしれない。

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大友美有紀 13年5月5日放送



「父と息子」セザンヌ

近代絵画の父、ポール・セザンヌは
気難しい人だった。
どこまで描いても満足せず、描いて描いて
命を縮めるほどに絵画に取りつかれていた。
30歳の時、19歳のオルタンスと出会い、結婚。
やがて、息子が生まれる。
しかし、父親から経済的援助を受けるため、
結婚と誕生を隠さなければならなかった。
オルタンスは、忍耐の結婚生活を強いられ、
セザンヌは絵に全エネルギーを注いだ。

晩年、糖尿病を煩ったセザンヌは、
妻と子に愛情溢れる言葉を残したのか。

 わしの悲境では、わしを慰め得るものは、
 唯おまえばかりだ

セザンヌが息子に宛てた手紙だ。
どこまでも自分の心情に素直だ。

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大友美有紀 13年5月5日放送



「父と息子」ルドン

フランス象徴主義を代表する画家・ルドン。
生後2日目で里子に出された、絶望的な孤独。
その環境が、心の奥底に棲む妖怪を描く、
幻想性と夢想性にあふれた、
彼の世界を形成した。

40歳を超えて、はじめて父となった感動は深い。
生後2ヶ月の息子に呼びかける。
その目を自分に向けさせようとする。

 彼は長い間私を見つめて、
 目に涙をためてほほえんだ。
 私は征服された。

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大友美有紀 13年5月5日放送



「父と息子」若田光一

2013年末。宇宙飛行士・若田光一は、
国際宇宙ステーションの、
日本人初のコマンダー・船長となる。

小学校のときは模型飛行機を飛ばして遊んでいた。
父は、公務員。朝早くから仕事に行き、残業や飲み会などで、
返ってくるのは夜遅かった。
その父は、給料日には、きっちりと早く帰ってくる。
夕食のおかずが一品多くなる。
母は、給料袋を感謝して受け取る。
給料が多かった月、父は母に服でも買えと言った。
母は、父のコートを買おうと言った。

 「じゃ、ちょっと無理して、光一の自転車でも買ってやるか」

光一は飛び上がって喜んだ。
小学2年まで、幼稚園の時の小さな自転車で我慢していた。
お金のありがたみ、人に感謝する心、働く尊さ、思いやり、我慢を、教えられた。
父から学んだ心構えが、宇宙でも活躍する。

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大友美有紀 13年4月7日放送


よっちん
「自由律俳句・尾崎放哉」一人

 咳をしても一人

寂しい句である。けれど、あっけらかんとしている。
作者は尾崎放哉。自由律俳句を極めた表現者。
東京帝国大学卒業、生命保険会社勤務。
エリートサラリーマンだった。
束縛された人生を嫌い会社を辞め、妻と別れ、
自由を求め、寺男となり、一人きりであることを望んだ。

 たった一人になり切って夕空

4月7日は放哉忌。

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大友美有紀 13年4月7日放送



「自由律俳句・尾崎放哉」帽子

自由律俳句の尾崎放哉。
帽子が嫌いで嫌いでしかたなかった。
学生時代は、いつも着物の懐に押し込んでいた。
厳格な父のもとに育った彼は、
帽子を、頭を押さえつける不自由なもの、
と感じていた。

 冬帽かぶってだまりこくって居る

そのうえに或る、空を望む気持ちがあった。

 大空の ました帽子かぶらず

帽子に象徴される、束縛があって、
そこから逃れようとする表現が生まれてくる。

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大友美有紀 13年4月7日放送



「自由律俳句・尾崎放哉」即物的

 入れものがない両手で受ける

放哉の句は、即物的で客観的だ。
ひとりよがりや自己陶酔を嫌い、
感情や抽象的な表現を削り落とした。

理屈も嫌い、ぐずぐずしたことも嫌い。
自分がいかに大胆で、きっぱりした性格かを
友人、知人に表明している。

 あらしがすっかり青空にしてしまった

 すたすた行く旅人らしく晩の店をしまう

削ぎ落としたからこそ、
「すっかり」「すたすた」に放哉の感情が表れる。

ツイッターやフェイスブックでのコミュニケーションに
慣れ始めた私たちも、簡潔にして、なお、心を伝える、
放哉の表現に学ぶところがあるだろう。

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大友美有紀 13年4月7日放送



「自由律俳句・尾崎放哉」母

尾崎放哉は、鳥取の士族の出の家に
生まれた。
裁判官書記の父は、非常に厳格。
それを支える母は、慈愛に満ちていた。
待望の跡継ぎとして、甘やかされ、
大切に育てられた。

 漬物桶に塩ふれと母は産んだか

孤独を求める放哉の、甘えん坊が見えている。

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大友美有紀 13年4月7日放送


きんちゃん
「自由律俳句・尾崎放哉」山と海

 分け入っても分け入っても青い山

種田山頭火、尾崎放哉と並び称される自由律俳句の詩人。
山頭火の山好きに対して、放哉は海が好きだった。

 何か求むる心海へ放つ

海は慈母のように自分をあたたかく包んでくれる。
海を見ていると心が休まると言う。

山頭火が自らを追い込むように放浪に出たのに対し、
放哉は束縛から逃れ、自由と孤独と安住の地を求め彷徨った。
晩年、彼が移り住んだ庵は、全て海のそばだった。

 障子あけて置く海も暮れ来る

放哉は、山頭火より3歳年下であったが、
14年も早く亡くなっている。
放哉へのオマージュともいえる、
山頭火の句がある。

 鴉(からす)啼いてわたしも一人

孤独の魂は、孤独を惹き付ける。

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