Molly Des Jardin
「自由律俳句・尾崎放哉」窓
海が好きだった尾崎放哉は、
心を解き放ってくれるものとして、
窓も好んだ。
窓あけた笑い顔だ
晩年の作。
子どもを詠んだとも、
笑い合う気持ちを詠んだとも
解釈されている。
この句のリズム、その開放感を
楽しむだけでいいのかもしれない。
Molly Des Jardin
「自由律俳句・尾崎放哉」窓
海が好きだった尾崎放哉は、
心を解き放ってくれるものとして、
窓も好んだ。
窓あけた笑い顔だ
晩年の作。
子どもを詠んだとも、
笑い合う気持ちを詠んだとも
解釈されている。
この句のリズム、その開放感を
楽しむだけでいいのかもしれない。
「自由律俳句・尾崎放哉」恋
世俗を捨て、妻とも別れ、
孤独の淵に身を沈めていった尾崎放哉。
けれど、女性らしさ、女性の美しさから
目をそらすことはできなかった。
わかれを云いて幌おろす白いゆびさき
凝縮した言葉、その奥にある物語、切なさ。
「自由律俳句・尾崎放哉」ユーモア
厭世的で自由と孤独を渇望した尾崎放哉。
乾いた寂しさの中に、くすりと笑えるような句もある。
銅像に悪口ついて行ってしまった
底が抜けた杓で水を飲もうとした
ねそべって書いて居る手紙を鶏に覗かれる
放哉は肺を病み
大正15年4月7日小豆島にて、没する。
望んでいた一人っきりの時間を手に入れて、
海のそばで句作に明け暮れた晩年、
放哉は幸福だったのかもしれない。
キノッピー
「凜とした女」朝倉摂
今日はひなまつり。
女の子の節句。
凛とした女がいる。
舞台美術家、朝倉摂。
日本アカデミー賞はもちろん、
都民文化事業賞、紫綬褒章、
など数多く受賞している。
少女の頃は、夢中で絵を描いていた。
自分が寝ている間にも、海の向こうでは
ピカソが絵を描いているんだから負けていられない、
と考えて、眠らずに絵を描いていた。
本当に、好きでコツコツやってきただけ。
生きているかぎり、自分がやりたい事をやるより、
しょうがないですから。
thefoxling
「凜とした女」キャサリン・ヘップバーン
今日は、おひなさま。女の子のお祭り。
女優が憧れる女優がいた。
キャサリン・ヘップバーン。
1930年代、当時の女性としては珍しく、
パンツスタイルを貫き通し、
「スカートが好きな殿方は、ご自身ではくとよろしいわ」
と言い放った。
出演していたミュージカルが大ヒットしていた時、
友人の脚本家にもう一度見に来てほしいと何度も電話をした。
もう何度も行ったと答える友人に
今ほど良いのはみてないわよ。
私は前よりずっと良くなっているの。
他のみんなも素晴らしいの。
常に自分を高め続け、完成を求め、
そして思いやりがある。
憧れられる理由がある。
Brian Stansberry
「凜とした女」堀文子
女子の節句。雛祭り。
戦後間もない頃、女が入れる学校は、
「女子」と名のつくものばかり。
それは差別的な扱いだった。
科学者になりたかった女学生、堀文子(あやこ)は、
美には差別がないと思い、美術学校へ進む。
やがて画家として生きていく。
昭和36年、堀は各国を放浪する旅に出る。
西洋文化や西洋思想がどんな風土から生まれるのか、
日常の暮らしを見たかった。
この旅で、ものを考え、感受性を磨くには、
自然の中で暮らさなければいけないと痛感する。
自然を尊敬して、動植物から驚きと感動を
もらっていないと、わたくしはだめなんです。
絵が生気を失う。
堀は、自分には画風がない、と言う。
逆上するほど興奮したものしか描きません。
過ぎ去った自分の作品を追わないようにしています。
彼女は、1ミリでも上昇して死にたい、と考えている。
Nemo’s great uncle
「凜とした女」尾中千草
桃の節句のひなまつり。
草月流の華道家・尾中千草(おなか せんそう)は、
美は心、お花は心をいける、という。
ところが4〜5年前から「美は心」の意味が
わからない若い人が増えてきた。
神様、つまり人間を越えた存在が
わからないのかもしれません。
本当の美を手にしているのは、神様だと思う。
だから美は一生つかまえられないものなんです。
でも、その綺麗なものに
手を伸ばし続けている人生というのも、
幸せかもしれませんよ。
「凜とした女」高野悦子
雛祭りの原点は、平安時代の
宮廷貴族の幼女の遊び「ひいな」だとされている。
「源氏物語」などにも登場する。
岩波ホール総支配人・高野悦子にとって
「源氏物語」は特別な存在だ。
1950年代、高野はパリの国立高等映画学院に留学していた。
大河小説というジャンルは19世紀にフランスで
誕生したという授業があった。
高野は、フランスの友人たちに、
日本で11世紀にすでに源氏物語という大河小説が
誕生している、と語る。
その作者は、女性だとも。
すると彼らの態度がガラリと変わりました。
もしかすると、わたくしもすごい芸術家なのかも、と。
パリでわたくしが学んだのは、
結局、日本人としてのプライド、
日本の伝統や芸術に対する誇りでした。
帰国すると、高野は岩波ホールの立ち上げに携わる。
最初の上映企画は「戦後日本映画史」だった。
Y.Hazama
「凜とした女」小泉清子
21世紀になっても、ひな人形は着物姿。
最近は着物を着る若い女性も増えてきた。
鈴乃屋創業者・きものデザイナー、
小泉清子(きよこ)の着物への思い。
着物をもっともっと多くの人に着てもらいたい。
デザインのほとんどが花鳥山水なの。
世界に類を見ない日本の美しい四季を
先人は着物に染め、愛でて、
心豊かな生活を送ってきたんです。
着る人も見る人も幸せな気持ちになれる。
それが平和な世の中に通じる。
着物をつくり、広めるのは、自分の使命だという。
htibor
「凜とした女」石井幹子
ひなまつり。
あかりをつけましょ、ぼんぼりに。
国際的に活躍する照明デザイナー・
石井幹子(もとこ)は、
光のもつ力は偉大だと言う。
光自体は、どんな光も美しい。
そんな美しい光によって、
みんなが幸せに包まれる社会をつくる。
それが私の仕事。
ベルリン・ブランデンブルク門に平和の文字を
東京タワーに復興へのメッセージを
光で描いたのも石井である。
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