大友美有紀

大友美有紀 12年11月17日放送



パウル・クレー「食卓の言葉」
アトリエ・レストラン

第一次世界大戦後、クレーはカンディンスキーとともに
総合造形学校バウハウスに招聘され、
画家として安定した暮らしを手に入れる。
数年後、学内の政治問題の負担に疲れ、バウハウスを去る。
家族と離れて暮らす土地でアトリエを構え、
そこにも料理場をこしらえた。
その様子を妻リリーへの手紙で伝えている。

 僕のアトリエ・レストランは、とてもすてき。
 今日は若鶏に野菜炒め、天下一品の味。
 アトリエには、いま水彩画とスケッチが壁いっぱいにかかり、
 生き生きとしています。そこに上等な若鶏の匂いがただよって
 欠かせないものとなっています。

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大友美有紀 12年11月17日放送



パウル・クレー「食卓の言葉」
ゲルストット

1920年から30年にかけて
画家として黄金期をむかえたパウル・クレー。
しかし、近代芸術を退廃的なものと見なしたナチスに
突然、家宅捜索され、迫害される。
クレーは故郷ベルンのあるスイスへの亡命を決意する。

クレーの日記は、バウハウス時代から途絶えていたが、
スイスへ移り住んだ後の、メモ書きのようなものが残っている。
幼い頃からヴァイオリンの名手だったクレーは、
晩年、演奏と食事を楽しみに日々を過ごしていた。
1935年、55歳の時のある1日。

 1月3日木曜日。ロートマールのところで弦楽四重奏、
 シューベルトのト長調。チェロはガンギエ嬢。
 クンスハストでクリスマス市。ゲルストット、カリフラワー、
 ミックスサラダ。調理時間44分。バター、玉ねぎ、ニンニク少々、
 セロリー10分フタをして蒸す。大麦をきつね色に炒め、
 熱湯を注ぎ、最後にチーズ。

ゲルストットとはクレーの造語。「ゲルスト」はドイツ語で大麦。
トットはおそらくイタリア語のトゥット「たくさん」からきているのだろう。
再現してみると、やさしい味わいの大麦スープになる。
スイスに亡命し、妻リリーと質素に暮らす中の、愛情を感じる料理だ。

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大友美有紀 12年10月20日放送


かずっち
小川三夫「不器用な言葉」

京都や奈良に修学旅行に行って、
歴史を好きになる、
仏像を好きなになる人はいるだろう。
けれども、宮大工を志す人は少ない。

銀行員の次男に生まれた小川三夫は、
法隆寺を見て、宮大工になろうと思った。
法隆寺棟梁の西岡に入門を頼むが断られる。
当時18歳だったが年を取り過ぎていると言うのだ。
そこで、道具の使い方を覚えるために
仏壇造りの修行に入る。

 弟子だからって教えるんじゃないよ。
 教えるというという親切さ、そういうものはないな。
 昔の弟子を育てる徒弟制度はそういうものやったんやろ。

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大友美有紀 12年10月20日放送


poco
小川三夫「不器用な言葉」2

宮大工・小川三夫は、まず仏壇造りの修行から始めた。
親方の家に住み込み、家事を手伝い、赤ん坊の世話もする。
給料ではなく、1日100円をもらっていた。
仕事はできない、金はない、まわりとの環境が全く違う。
気持ちがすっかりひねくれていた。
帰省した時に母親が自分にだけ出してくれた
鳥もも肉を皿ごと投げ返した。

 おかげで自分と言うものを見たわな。
 しかし、後になればひねくれるというのも
 いいことだと思うんだ。
 やはり人間が強くなるもとだよ。
 ただ、ひねくれっぱなしは、嫌われる。
 自分自身でなおさなくちゃあかん。

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大友美有紀 12年10月20日放送



小川三夫「不器用な言葉」3

1年ほど仏壇造りの修行をした小川三夫は、
ようやく法隆寺棟梁の西岡に弟子入りする。
ここでも言葉でストレートには教えない。
あるとき小川は西岡の息子に誘われて浄瑠璃寺を見に行く。
帰ってくると棟梁はそんな建物を見に行く必要はない、
という顔をしている。口には出さないけれど怒っている。

 その時の俺は未熟だったから棟梁の真意がわからなかった。
 今になってみると見る目がないのに
 見に行ったってしょうがないという怒りだったとわかる。
 見る目がない時にものを見に行くと、
 人の言葉を借りて見るだけだな。
 本やなんかに書いてあることを評論家みたいに言うだけだ。
 思ってもないのにな。

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大友美有紀 12年10月20日放送



小川三夫「不器用な言葉」4

宮大工・小川三夫は、仏壇造りの修行を経て、
法隆寺棟梁・西岡の内弟子になり、一人前の宮大工に成長する。
そして独立。鵤工舎(いかるがこうしゃ)を設立。
弟子を育成しながら社寺建築を続ける。
十年という年月を修行の目安にしているという。
修行中は、食事も一緒、仕事も一緒、
寝るのも刃物研ぎも、みんな一緒だ。

 一緒に暮らして、一緒に飯を食ってるから、
 言葉で言わんでもあいつが何を考えているかがわかるんや。
 おたがいを見て、こいつはこういうふうなやつだと、
 気づいていかなければいけないんだ。
 そうしていれば、今日あいつはちょっと調子悪いとか、
 おたがいをいたわる気持ちもちょっとずつ出てくる。

子どもに個室をつくるから、みんなだめになってしまうと小川は言う。
日ごろなんでもない時にふれあっていること、それが一番の
いい教育だと。

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大友美有紀 12年10月20日放送


緋佳
小川三夫「不器用な言葉」5

宮大工の仕事は何世紀も越えて続いていく。
だから見えないところまで気を配って丁寧にやる。
同時代の人には見えないけれど、
200年後、300年後解体した時に、その時代の大工たちが
ああ、こういう丁寧な仕事したんだなと
そのときわかってくれればいいという。

 そういうところはだれも見ていないよ。
 目に見えないところだからかまわん、
 そうなってしまうわけだな。
 それではいかんのや。
 たとえば、草むしりでも
 いまの世の中では見えるところだけをやる。
 そういう草むしりをしろといっているように思う。

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大友美有紀 12年10月20日放送



小川三夫「不器用な言葉」6

宮大工の仕事には、寸法通りにきちっと仕上げただけでは
だめなことがある。
たとえば柱の真ん中に別の木を通すために穴をあける。
木というのは芯を通って穴を空けると、芯にむかってふくらむ。
スムーズに入れるために「ヌスム」と言う技がある。
木の性(しょう)を見ていくぶん余計に掘っておく。

 世の中にもこういうヌスミみたいなものが
 必要なのと違うだろうか。
 ぎくしゃくしないように、ちょっと無理が出ても
 納めるようなゆとり。

それは自分のほうが引いてもいいと言う余裕。
今は、相手にそれを求めるだけだと、宮大工・小川は言う。

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大友美有紀 12年10月20日放送



小川三夫「不器用な言葉」7

堂や塔は幾重にも材を組んで積み上げて行く。
ひとつひとつの材の寸法のわずかな違いが、
積み重ねれば大きな違いになってしまう。
けれども、いまの法隆寺の五重塔や薬師寺の東塔は、
1個1個の木材はみんな不揃いだ。
木の癖に沿って割ってつくっているから、みんなばらばらだ。

 ばらばらなんだけど、大事なところでは
 水平や垂直が通ってなければならない。
 不揃いの部材で組んだ法隆寺の五重塔は
 1300年も建っているんだ。
 1本1本支え合って総持ちで立っているんだからな。

宮大工・小川三夫は弟子も、
大勢育てるときは不揃いがいいと言う。

 腕も、考えも同じくらいというのが集まっても
 ろくなことはない。
 不揃いでなくちゃあかんのや。
 いいのもいる、悪いのもいるっていうのがいいんだ。
 総持ち、いい言葉だな。みんなで持つ。
 不揃いこそ、社会のかたちとしては安定感があるし、 強い。

不揃いを扱うと言うのは時間がかかるし、余裕がないとできない、とも言う。
人を育てるのに急いだらあかんでぇ、と。

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大友美有紀 12年9月15日放送


なお
伊豆諸島「島の言葉」

秋のこの時期、敬老の日をはさんだ連休を
「シルバーウイーク」と呼ぶことがある。

今年のシルバーウイークは、少し短い。
遠くへ行くのは無理かもしれないが、
近くの島へ行くのはどうだろう。
伊豆大島。調布の飛行場からなら、30分ほどで到着する。
泳ぐには少し遅いけれど、温泉もある、ハイキングも楽しめる。
有名な「波浮の港」もある。

 磯の鵜の鳥ゃ 日暮れにゃ帰る

 波浮の港にゃ 夕焼け小焼け
 明日の日和は

 ヤレホンニサ 凪るやら

昭和3年にヒットした野口雨情作詞の歌謡曲。
しかし、実際の波浮港は、島の南東にある。
海沈む夕陽は見えないという。
行ってみなければ、わからない。
そういうことだ。

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