大友美有紀 19年2月3日放送
Patrick Rasenberg
それがオランダ 名画の国
オランダは名画の国でもある。
レンブラント、ブリューゲル、
ゴッホ、フェルメール、エッシャー。
日本でも、行列ができる巨匠ばかりだ。
レンブラントの「夜警」は、
アムステルダム国立美術館に、
フェルメールの「真珠の首飾りの少女」は、
マウリッツハウス美術館にいる。
ゴッホ美術館やエッシャー美術館もある。
日本で何時間も並ぶなら、
ひとっ飛び、オランダまで行ってしまって、
名画を巡るのもいいかもしれない。
大友美有紀 19年2月3日放送
それがオランダ フェルメールとミッフィー
オランダの画家、フェルメールは、
寡作な画家だった。
現存するのは35作品といわれている。
先日東京で開催されたフェルメール展では、
過去最大、9作品を見ることができた。
展示と同じぐらい人気だったのが、
「牛乳を注ぐ女」に扮したミッフィー人形。
すぐに売り切れてしまったらしい。
フェルメールもディック・ブルーナも、
なぜ、こんなにも
私たちの心をとらえるのだろう。
オランダのミュージアムにも
ミッフィーコラボがたくさんあるらしい。
惹かれる理由を確かめに行きたい。
佐藤延夫 19年2月2日放送
夫婦いろいろ シーボルト
ドイツ人の医師、シーボルトは、
29歳のとき、ひとまわり年下の娘、楠本たきと結婚した。
しかし、妻の名前を正しく発音することができず、
「オタクサン」と呼んでいたそうだ。
シーボルト事件で国外追放になったあと、
彼は、新種のアジサイに「オタクサ」という学名をつけた。
しかし、このシーボルトの愛の証は、採用されなかった。
今日、2月2日は、夫婦の日。
いい夫婦かどうかは問いません。
ただの「夫婦の日」ですから。
佐藤延夫 19年2月2日放送
夫婦いろいろ 平塚らいてう
明治生まれの思想家、平塚らいてうは、
画学生の奥村博史と結婚した。
らいてう29歳、博史は24歳だった。
結婚に際し、らいてうは、夫に6ヶ条の質問状を出したという。
たとえ困難に遭遇しても、私から離れることはないか。
子どもは欲しくないが、それでも良いか。など。
男女は対等。夫婦別姓。
彼女の結婚観は、現代人のように進んでいた。
今日、2月2日は、夫婦の日。
夫婦のあり方を、もう一度考えてみませんか?
佐藤延夫 19年2月2日放送
夫婦いろいろ 川上貞奴
芸妓だった貞奴が、
川上音二郎と結婚したのは、24歳のときだった。
しかし夫婦生活は、興行師の夫に振り回されることになる。
衆院選に出馬して落選した音二郎は、
貞奴を連れてボートで南極を目指すも失敗。
アメリカ巡業で、貞奴は日本初の女優となり、
イギリスのステージやパリ万博にも出演する。
帰国後も波乱万丈な出来事があるのだが、
晩年、貞奴はこんなことを言っていたという。
「私の一生は、ミステイクつづきだった。」
今日、2月2日は、夫婦の日。
良くも悪くも、夫婦は夫婦。
佐藤延夫 19年2月2日放送
夫婦いろいろ 牧野富太郎
植物学の父と言われる牧野富太郎は、
28歳のとき、2度目の結婚をした。
東京大学の研究室へ向かう途中、
よく立ち寄った菓子屋の看板娘が相手だった。
名前は壽衛子。
当時18歳で、富太郎に好意を持っていたという。
数十年にわたり夫の研究費を稼ぎ、
ときには借金取りから匿い、
富太郎の研究を支え続けた壽衛子だが、
56歳の若さで先立ってしまう。
富太郎は、新種の笹に「スエコ笹」と名付けた。
谷中にある彼女の墓碑には、こんな言葉が刻まれている。
家守りし 妻の恵みや 我が学び 世の中に あらん限りや スエコ笹
今日、2月2日は、夫婦の日。
大切な人に、感謝の気持ちを伝えましょう。
佐藤延夫 19年2月2日放送
夫婦いろいろ 福沢諭吉
福沢諭吉が結婚したのは、28歳のとき。
相手は17歳の阿錦という娘だった。
妻を敬い、毎日語り合い、議論するのも良い。
夫は家事や育児にも積極的になるべきだ。
そんな結婚観を持っていた諭吉は、
子どもに決して手をあげることなく、
性別を問わず平等にあつかった。
また、当時は珍しい家族旅行にもよく出かけたという。
今日、2月2日は、夫婦の日。
たまには夫婦水入らずで、お食事でもいかがですか。
茂木彩海 19年1月27日放送
お茶のはなし イギリスのお茶文化
お茶文化を代表する国、イギリス。
ヴィクトリア朝時代の元首相、
ウィリアム・グラッドストンはかつて、紅茶にまつわるこんな言葉を残した。
紅茶は、
寒いときには、温めてくれるでしょう。
気分が落ち込んでいる時には、元気づけてくれるでしょう。
気分が高ぶっている時には、落ち着かせてくれるでしょう。
1日7回ものティータイムを過ごすと言われるイギリス人。
回数こそ敵わないが、
お茶が欲しくなる瞬間は、案外どこの国でも変わりないようだ。
熊埜御堂由香 19年1月27日放送
Teddy Song
お茶のはなし 茶柱の奇跡
縁起がいい茶柱が立った。
お茶の時間に稀に起こる奇跡だ。
実際、ここ最近、茶柱に出会った
経験をしたひとは少ないのではないだろうか。
それもそのはず、
まず、茶葉に入っているお茶の茎が
急須の網の目をかいくぐり、湯飲みに入ること
自体が珍しい。
さらに最近の急須は、その手前で
茎をストップさせる網の目の細かい茶こしがセット
されていることも多い。
さらに、背伸びしてちょっと高いお茶に手を
伸ばしても、茶柱は遠ざかる。
茶柱の縁起担ぎは、
駿河の茶商人が、質が劣る茎茶を売るための
セールストークだったという説がある。
贅沢なお茶ではなく、番茶や茎茶を家で飲む。
そんなありふれた日常に、茶柱が小さな幸せを呼び込む。
とても温かなジンクスだ。
石橋涼子 19年1月27日放送
お茶のはなし 源実朝の二日酔いとお茶
鎌倉幕府第3代将軍、源実朝。
北条家の庇護のもと若干12歳で征夷大将軍に任ぜられた。
と言うと華々しいが、実際は、
北条家による執権政治の始まりであった。
政治への関与は許されない一方で、
周囲には暗殺やクーデターの気配ばかり。
若いころから好きだった文学趣味と、
お酒に救いを求めたのも無理からぬことかもしれない。
『吾妻鏡』には、
連日の深酒による二日酔いに苦しむ
実朝のエピソードが記されている。
臨済宗の僧・栄西が二日酔いの将軍を見かねて、
お茶を献じたのだという。
さらに、栄西自らお茶の効能を説いた『喫茶養生記』を
将軍に献上したことで、
武家社会にも喫茶文化が広まった。
当時すでに、お茶に含まれる
ビタミンCやカフェインなどの効能は
知識階級に知られていたのだ。
鎌倉幕府成立から北条政権への過渡期に翻弄された将軍は
お茶の効能だけでは救われなかった。
歌詠みとしても知られる源実朝だが、
28歳の若さで身内に暗殺され
今でもその才能を惜しまれている。