澁江俊一 19年1月20日放送
元号の漢字
今年は新たな元号が始まる年。
大化から平成まで
247もの元号が
日本の時代を彩ってきた。
だが元号に使われた漢字は
繰り返しも多く意外に少ない。
その数わずか72文字。
元号にもっとも多く
使われた漢字ベスト3。
2位と3位はともに27回で、
元気の「元」と、天下の「天」。
そして1位は
29回も使われた永遠の「永」。
古の人々も永く変わらぬ平和への願いを
この文字に込めたのか。
「元」「天」「永」
どれも明治以降、使われていない。
さて、次に選ばれる文字は何だろう。
澁江俊一 19年1月20日放送
信長と天正
今年は新たな元号が始まる年。
元号には、
その時代を生きる人々の
想いや願いが込められる。
西暦1573年。
織田信長は足利義昭を追放して
改元を朝廷に働きかけた。
その時いくつかの候補から
選んだといわれる元号は
天下の天に正しいと書いて天正(てんしょう)。
長く続く戦乱の時代に
天下を正そうとした
信長の意志を感じさせる元号である。
およそ20年間続いた天正時代。
しかし信長は天正半ばにして
本能寺の変により世を去る。
天下を正すという
信長の夢は幻となったが、
秀吉、そして家康へ
その意志は見事に受け継がれた。
澁江俊一 19年1月20日放送
元号の寿命
今年は新たな元号が始まる年。
日本の歴史上、
一番長く続いた元号をご存じだろうか?
正解は「昭和」。
64年を数えたのは、
世界で最も長い記録でもある。
反対に最も短いのは
わずか2か月と14日。
こよみの「暦(れき)」に、
にんべんに漢数字の二の「仁(にん)」で
「暦仁(りゃくにん)」という
鎌倉時代の元号だ。
その音の響きから
「人が省略される」などと風評がたち、
たちまち改元されてしまった。
多くの元号は3年もたずに
終わってしまうものが多かった。
天変地異や疫病などが起こると
しょっちゅう改元が行われた。
今年始まる新元号は
どうか、なるべく長く続くきますように。
澁江俊一 19年1月20日放送
元号を選んだ国
今年は新たな元号が始まる年。
かつては中国や朝鮮半島、ベトナムでも
それぞれの元号が使われていた。
しかし今、元号を使用している国は
世界でも日本だけになった。
元号は決して便利なものではない。
使いやすさなら西暦がまさるだろう。
それでも日本は元号を使い続ける道を選んだ。
大化の改新、応仁の乱、
元禄文化、明治維新など…
歴史上の出来事を
元号と深く結びつけて語り継いできた日本。
元号はいわば日本にとっての
豊かな歴史の象徴なのだ。
田中真輝 19年1月20日放送
Paul Mannix
改元リスク
今年は新たな元号が始まる年。
改元にあたって、2000年問題が頭をよぎった人々が
エンジニアを中心に少なくないようだ。
当時、稼働していたコンピューターシステムの多くが
西暦の下二桁のみしか記録されていなかったため
2000年になった瞬間に誤作動を起こす可能性がある、
ということで多くのエンジニアが対応に追われた
この問題。
蓋を開けてみると大きなトラブルもなく終わり、
今回の改元についても、大手企業からは対応可能との
発表もなされているようだ。
とは言うものの、今回もシステムの不測の事態に
対応すべく多くの人々が稼働することは間違いない。
新たな時代を無事迎えられる背景には
そうした無数の尽力があることも忘れてはならない。
田中真輝 19年1月20日放送
幻の元号
今年は新たな元号が始まる年。
長い元号の歴史の中で、幻の元号なるものが
あるのをご存じだろうか。
その元号とは「光文」。
西暦1926年12月25日午前1時25分、大正天皇崩御。
各社が天皇崩御を報じる朝刊を発行する一方、
東京日日新聞号外には「元号は光文」の文字が。
あまりの情報の早さに人々が仰天する中、
正式発表された元号は、なんと「昭和」。
世紀の大スクープは、一点、世紀の大誤報となる。
果たして誤った情報だったのか、それとも情報漏洩を
知った政府が急遽元号を変更したのか、その辺りの
事実は定かではない。
時代が下り、東京日日新聞は毎日新聞と名を変える。
その毎日新聞が、昭和からの改元の際、小渕長官の
発表の30分以上も前に「新元号は平成」と報じたのは
時代を超えてその雪辱を果たさんとした
記者魂だったのかもしれない。
田中真輝 19年1月20日放送
予想合戦
今年は新たな元号が始まる年。
ネット上では早くも新元号の予想合戦が過熱している。
明治、大正、昭和、平成の表記として頭文字の
アルファベットM、T、S、Hが広く使われているため、
それ以外の文字が頭にくる元号になるだろう、
という予想が大勢を占める中、安心の「安」に「久しい」
と書く「安久」ではないか、との声が下馬評では
優勢であるらしい。
「生前退位」によって、元号予想のタブー感が薄れたことも
予想合戦に拍車をかけているようだが、
いずれの候補にもにじみ出ているのは、
先の読みにくい未来が、できるだけ穏やかであって
欲しいという人々の切なる願いである。
田中真輝 19年1月20日放送
il_baro
あなたの平成
今年は新たな元号が始まる年。
その節目に振り返ってみる。
「平成」とはどんな時代だったのか。
冷戦終結、ソ連の崩壊。
バブル景気とその崩壊。
地下鉄サリン事件、アメリカ同時多発テロ、
リーマンショック。阪神淡路大震災、東日本大震災。
インターネット、スマートフォンの爆発的普及。
悲しみに彩られたニュースも多いが、
それは喜びに満ちたニュースが、小さな声で語られる
からかもしれない。
今一度、あなたの平成に、耳を澄ませてみては
いかがだろうか。
川野康之 19年1月19日放送
走り出す 用意ドン
「位置について、用意、ドン」
というスタートの合図、
いったいいつ頃から使われていたのでしょうか。
明文化されたのは1929年発行の陸上競技規則だったという。
ではそれよりももっと前は、どんな合図が使われていたのか。
1883年(明治16年)に行われた東京大学の運動会では、
「いいか、ひいふうみい」
で走り出していたと伝えられている。
ちなみに翌年は、
「よろしゅうごわすか、用意」
そのほか「位置について」を指示するかけ声で
「腰を上げて待てえ」
「おんちゃなケツあげい」
なんてのもあったといいます。
川野康之 19年1月19日放送
走り出す タクリー号
日本の最初のガソリン自動車は、
自転車の輸入販売業者であった吉田真太郎らの手によって作られた。
アメリカ車を見本にしながら、いろんな部品を工夫して、
どうにか組み立てられた自動車。
ガタクリガタクリ走るので「タクリー号」と呼ばれた。
1907年(明治40年)のことである。
タクリー号は高価であったため
事業としては成功しなかったというが、
ともかくここから日本の自動車の歴史がガタクリと走り出したのである。
一方で吉田真太郎は事業に失敗し、変転の多い人生を送った。
最後に手がけたのは温泉掘削事業であったという。