森由里佳 18年11月18日放送
mhaller1979
AIとHAL9000
2018年11月11日。
カナダの俳優・ナレーターであるダグラス・レインが亡くなった。
“I’m sorry, Dave, I’m afraid I can’t do that.”
「2001年宇宙の旅」で、
宇宙航行中に反乱をおこし、クルーを抹殺しようとする
HAL9000という人工知能の声を演じた人だ。
もともと、アカデミー助演男優賞も受賞した名優
マーティン・バルサムが演じる予定だったのだが、
彼の人間的でアメリカ人らしい話し方は
コンピュータの声にふさわしくないのではないか、
とキューブリック監督が変更したのだった。
その単調で控えめな、丁寧でいて時に冷たさすら感じる声は、
Siriをはじめとした様々な仮想アシスタントの声の
デフォルトを造りあげたと言われている。
R.I.P. Douglas Rain.
森由里佳 18年11月18日放送
Chris Devers
AIと創造
AIが書いた小説や、AIによる芸術作品が
次々と評価され始めている。
AIと人間、どちらが優れているかはわからない。
ただ、過去の事象やデータから導いた答えこそが正しい
とされる世界は、すぐそこまで来ているように思う。
そんな時、思い出したい言葉を紹介します。
“we must keep our aim constantly focused on the future.”
私たちは、未来に焦点をあて続けなければならない。
これは、夢と希望を追い求めたウォルトディズニーの言葉。
そういえば、
彼が1匹のねずみをスクリーンにデビューさせたのは、
80年前の今日でした。
ミッキーなら、AIとどう向き合うのだろう。
蛭田瑞穂 18年11月18日放送
AIと創造
カルフォルニア大学サンタクルーズ校で
音楽学を教えるデイヴィッド・コープは
協奏曲や合唱曲、交響曲、オペラを作曲する
コンピュータプログラムを書いた。
「音楽的知能における実験」、
通称EMIと名づけられたこのプログラムは
書き上げるまでに7年の歳月を要したが、
完成するとたった1日で
ヨハン・セバスティアン・バッハ風の合唱曲を5000曲も作曲した。
コープはその中から選りすぐりの数曲を音楽フェスで実演すると、
コンピュータが作曲したとは知らない観客は絶賛した。
その後EMIは進歩を重ね、ベートーヴェン、ショパン、
ラフマニノフ、ストラヴィンスキーを完璧に真似ることも学習した。
蛭田瑞穂 18年11月18日放送
Ars Electronica
AIと芸術
カルフォルニア大学サンタクルーズ校の教授
デイヴィッド・コープは
EMIと呼ばれるクラシック音楽の自動作曲AIを成功させると
次に「アニー」というさらに高度なAIをつくった。
機械学習によって作曲するアニーは
新しい入力に応じて作風を変えるため、
どんな曲をつくるかコープ本人にも想像がつかない。
アニーの才能は作曲にとどまらず、俳句などの他の芸術も行う。
コープは2011年に『灼熱の夜が訪れる-機械と人間による二千句』
という詩集を刊行した。
そのうちの一部はアニーが詠んだものだが、
どれがアニーの句かは明かされていないため、
判別は非常に難しいという。
星合摩美 18年11月18日放送
daverson
AIと東大
ロボットは東大に合格できるのか。
国立情報学研究所は、AIの可能性を探るプロジェクトを開始した。
目標はAIを、センター試験の東大合格レベルにまで育てること。
学習には、ビックデータとディープラーニングを使用。
成績は伸び続け、4年後の模試では偏差値57.8をマーク。
このままいけば合格か?と思われた1年後、
プロジェクトの断念が発表された。
理由は、AIの読解力がそれ以上伸びなかったから。
答え以前に、問題の意味がわからないケースも多かったという。
人間の仕事を奪うとも言われるAIの意外な結末。
ホッとした人もいるかもしれないが、
わたしたちも油断せず、学び続ける必要がありそうだ。
星合摩美 18年11月18日放送
AIと読書
あなたにぴったりの本を探します。
近畿大学は、人工知能を使って、
おすすめの本を探し出すシステムを開発した。
SNSの投稿内容からひとり一人の性格を分析。
同時に7万冊の書評を分析し、
最も近いスコアの本を、おすすめ本として抽出する。
読書離れが進む学生に、
本を読んでもらおうとはじまったマッチングサービス。
実際、図書館の貸し出し冊数が160パーセントも増加したという。
このサービスは、学生だけでなく一般の人も利用することができる。
今年の秋は、AIのおすすめ本で読書なんてどうだろう。
佐藤理人 18年11月17日放送
巴里の灯
1926年、チャールズ・リンドバーグは一つの夢を抱いた。
大西洋を飛行機で横断してみせる。
だが当時5800kmも飛べる飛行機はなかった。
彼は地元の実業家たちから資金を獲得。飛行機の製造を始めた。
灯りも窓も捨て、燃料タンクを目一杯積んだ飛行機は、
スピリット・オブ・セントルイス号
と名付けられた。
1年後、セントルイスの夢をのせた翼は、
ニューヨークからパリに向けて飛び立った。
リンドバーグ、25歳の春だった。
佐藤理人 18年11月17日放送
Joe, Jenn and Corrilyn
巴里の灯
1927年5月20日の夜。
チャールズ・リンドバーグは猛烈な睡魔と戦っていた。
世界初の大西洋単独横断を目指し、
ニューヨークを飛び立ってから12時間。
辺りは暗くて何も見えず、下は嵐で荒れ狂う海。
一瞬でも眠れば命はない。だが疲労は容赦がなかった。
彼は眠気覚ましに海の上スレスレに低空飛行し、
夜明けまでの7時間を乗り切った。
翌日、ついにヨーロッパの海岸が見えた。
驚いたことに予定より2時間半も早く着いていた。
佐藤理人 18年11月17日放送
Photo by Josh Wilburne
巴里の灯
1927年5月21日の夜。チャールズ・リンドバーグをのせた
スピリット・オブ・セントルイス号はフランス国境を超えた。
人類初、大西洋単独無着陸飛行。
ニューヨークからパリまで33時間かけた
不眠不休の冒険がようやく終わろうとしている。
眠気は冷め、エンジンも快調。あとは着陸するだけ。
しかし肝心の空港が見つからなかった。
滑走路の灯を探してリンドバーグが見たもの。
それはエッフェル塔と彼の栄誉を称えるために集まった自動車の、
何万ものヘッドライトだった。
佐藤理人 18年11月17日放送
巴里の灯
1927年5月21日午後10時21分。
チャールズ・リンドバーグをのせた
スピリット・オブ・セントルイス号が、
パリのル・ブルジェ空港に着陸した。
世界初の大西洋単独無着陸飛行。
ニューヨークからの5,810kmを、
33時間29分30秒かけて飛びきった。
パリの上空で を見たとき、
翼よ、あれが巴里の灯だ!
と叫んだというのは作り話。実際に発した言葉は、
英語を話せる人はいませんか?
または
トイレはどこですか?
だったそうだ。どちらにせよ、
パリ市民の大歓声にかきされてしまったことだろう。