厚焼玉子 18年11月10日放送
HAMACHI!
東京の紅葉
11月も下旬になると
神宮外苑のイチョウが金色に染まる。
このイチョウ並木のイチョウは
遠近感を強調するために背の高い順に並んでいる。
外苑の秋の、絵のように美しい風景は
計算して作られたものだったのだ。
今年の神宮外苑のイチョウ祭りは11月16日から。
23日からはライトアップもはじまる。
東京には紅葉の名所がたくさんある。
まずは足元の名所を楽しんでみよう。
厚焼玉子 18年11月10日放送
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東京の紅葉
新宿御苑で紅葉の見どころ情報が出たのは
去年は11月17日だった。
ユリノキや桜はすでに見ごろを迎えており、
日本庭園のカエデも木によっては美しく色づいていた。
この時期は気温の変化で紅葉がどんどん進む。
11月24日には
新宿御苑は紅葉のベストシーズンと案内された。
広大な新宿御苑の秋は紅葉だけではない。
ヒマラヤザクラが咲き、
寒椿の花も見ごろを迎える。
ツワブキの黄色い花、南天の赤い実。
秋の色彩の贅沢を味わってみよう。
厚焼玉子 18年11月10日放送
Dick Thomas Johnson
東京の紅葉
桜の名所は紅葉の名所でもある。
サクラモミジという言葉があるほど
桜の葉の紅葉が美しいからだ。
例えば靖国神社。
参道のイチョウ並木、池のほとりの真っ赤なモミジ、
そして、春にはお花見をした桜が
葉を秋の色に染めて迎えてくれる。
千鳥ヶ淵、アークヒルズの桜坂、八重洲さくら通り
身近な桜の名所を思い出そう。
そこには必ず美しい紅葉があるはずだ。
厚焼玉子 18年11月10日放送
アディクト
東京の紅葉
紅葉の名所六義園は
幕末まで甲府藩主柳沢家の下屋敷だった。
江戸を襲ったたびたびの火災をまぬがれ、
関東大震災の被害もほとんど受けず、
東京大空襲に焼かれることもなく、
大名家の庭園の姿を保ってきた。
六義園にはおよそ400本のカエデの他に
ハゼやイチョウの木があって
紅葉の最盛期にはライトアップをして
開演時間も延長される。
丘があり池があり、滝がある
美しい六義園は、もうすぐ秋の色に染まる。
大友美有紀 18年11月4日放送
「泉鏡花」金沢生まれ
今日は小説家、泉鏡花の誕生日。
1873年、明治6年の11月4日に
石川県金沢に生まれた。本名は鏡太郎。
生家は今、記念館になっている。
主計茶屋街、ひがし茶屋街にほど近い場所。
父は金細工の職人、母は江戸、下谷の生まれ。
能楽に関係のある家の出だった。
鏡花が数えで10歳の時、
母が28歳で亡くなる。
この母の死が鏡花の文学に
大きな影響を与えている。
彼の物語には、母の面影を感じる女性が多く描かれる。
そして、能や狂言をモチーフにした小説も多い。
明治から昭和に生きた作家の
雅で妖艶な作品の源流を感じる。
大友美有紀 18年11月4日放送
「泉鏡花」謡(うたい)
今日は小説家、泉鏡花の誕生日。
金沢に生まれた鏡花の父は、
金細工の職人だった。
金沢は、今も昔も能が盛んな地。
加賀藩の藩祖、前田利家も能に傾倒していた。
能楽を武家の式楽として育成し、保護し、
武士のたしなみとした。
そして庶民、職人にも身につけるよう奨励していた。
ひがし茶屋街を歩くと
高いところで作業する大工や
植木職人が謡(うたい)を口ずさむ声が聞こえ
「空から謡が降ってくる」と言われたほどだった。
鏡花の父も職人だった。
謡のたしなみがあったのかもしれない。
鏡花の作品には謡曲や、謡が登場するものも多い。
大友美有紀 18年11月4日放送
「泉鏡花」尾崎紅葉
数え10歳で母親を亡くした、泉鏡花。
幼少期から、母が残した江戸後記の小説類、
草双紙(くさぞうし)を読んでいた。
そして長じて尾崎紅葉の小説に出会い、耽読した。
尾崎紅葉のように小説家になりたいと
志を決め、上京するのである。
1919年、明治23年、鏡花18歳のときのことだった。
しかし紅葉を訪ねる勇気はない。
知り合いを頼って、居候のような生活をし、
1年ほどは、東京のあちこちをさまよっていた。
万策尽き果てて、金沢に帰ろうとしたが、
せめて帰る前にひと目でも紅葉先生に会いたいと
牛込の尾崎宅を訪ねた。
玄関先で、鏡花は紅葉に挨拶をした。
先生の小説を読んで小説家になりたいと思って上京したのだが、
もうとてもやっていけないので、これから帰郷すると告げた。
紅葉は、そんなに小説家になりたいのなら
俺のところにおいてやると即座に答えたという。
なぜ、尾崎はそんなことを言ったのか。
鏡花の中になにか、ただならぬものを感じたのか。
ともあれ、鏡花はそのまま尾崎紅葉の内弟子となったのだ。
大友美有紀 18年11月4日放送
「泉鏡花」母の面影
今日は、小説家・泉鏡花の誕生日。
生涯で300余りの作品を残した。
そのほとんどが男女の物語。
それも女が中心の物語だ。
遊女や芸者のような美しく幸薄い女、
伯爵夫人のような可憐な女、
しかしながら心の奥底に
強さや、やさしさをも備え持っている。
鏡花の母は、28歳で亡くなっている。
彼にとって母親は、いつまでも若く美しい。
彼の物語に登場する女には、どこか母親の面影がある。
泉鏡花の中には、お母さんを求める少年が
ずっとずっと生きていたのだろう。
大友美有紀 18年11月4日放送
「泉鏡花」すず
今日は、小説家・泉鏡花の誕生日。
鏡花の筆名は師匠であった尾崎紅葉が名づけた。
紅葉の内弟子だった鏡花は、やがて
新進小説家として認められ尾崎の家を出る。
そして神楽坂の芸妓、桃太郎と出会い、恋に落ちてしまう。
先生には内緒で一緒に住むようになった。
その師匠の紅葉は、胃がんを患っていた。
紅葉は病床で烈火の如く怒った。
まだ結婚できる分際ではないと言うのだ。
鏡花は桃太郎と別居せざるを得なくなる。
紅葉はその叱責のあと、38歳で亡くなってしまう。
このときの苦しみが小説「婦系図(おんなけいず)」となる。
芸妓・桃太郎の本名は「すず」といった。
鏡花の母と同じ名前だった。
大友美有紀 18年11月4日放送
「泉鏡花」うさぎ
今日は、小説家・泉鏡花の誕生日。
鏡花の生家は、今では記念館になっている。
そのロゴマークは鏡花とうさぎのイメージが
一筆書き風に騙し絵のようにデザインされている。
鏡花はうさぎグッズのコレクターでもあった。
彼は酉年である。
自分の干支から7番目の干支、
つまり十二支を時計のように並べたとき、
向かい側に来る干支の動物を集めると縁起がいいと
言われている。酉年の向かい干支は「うさぎ」だ。
鏡花は最愛の母から水晶の兎の置物を
お守りとして授けられた。
それをきっかけとして、兎のものを
熱心に集めていた。
ここにも母への渇望を感じる。
自分の干支と向かい干支は、正反対の性質を持つという。
鏡花の師匠である尾崎紅葉の干支は、うさぎだった。