田中真輝 18年9月16日放送
jorgeparedes
リングの上の正義
今日はメキシコの独立記念日。
メキシコを代表する文化のひとつが、
ルチャ・リブレ。
一言で言えば、メキシカンスタイルの
プロレスリングだ。
スペイン語で「自由の戦い」を意味する
この格闘技を、メキシコ人はこよなく愛している。
派手なマスクを被ったレスラーたちが、
リング上で華麗な技を披露し人々を魅了する。
支配層に対する民衆の反抗心をそこに見て取る
向きもあるが、その姿を目の当たりにすれば
そんな政治的な話はどうでも良くなる。
悪者が倒れ、ヒーローが勝利の雄叫びを上げる。
どれだけ世界が複雑になろうとも、このリングの
上だけには、まごうことなき正義があるのだ。
田中真輝 18年9月16日放送
テキーラをストレートで
今日はメキシコの独立記念日。
メキシコを代表する酒といえば、テキーラ。
アロエに似たリュウゼツランという植物から作る
蒸留酒だ。
テキーラのアルコール度数は、50度前後。
ショットグラスで一気に煽る飲み方も相まって、
一般的に「キツイお酒」という印象が強い。
しかし本当は、飲み方ひとつで芳醇な味わいが
楽しめる、美味しいお酒なのだ。
ブルーアガヴェ100%のテキーラを、軽く冷やして、
シャンパングラスで一口。琥珀色の豊かな味わいと
舌の上に広がる余韻。
しかし飲み過ぎは禁物。
原色の夢に飲み込まれる前に、グラスを置く。
それが美味しく飲むための一番のコツ。
田中真輝 18年9月16日放送
神の領域
今日はメキシコの独立記念日。
多くのダイバーが、死ぬまでに一度は行ってみたい、
と憧れる場所、それがメキシコにある、グラン・セノーテだ。
セノーテとは、ユカタン半島の石灰地層が雨によって
浸食された天然洞窟のこと。
ユカタン半島には大小合わせて5000ものセノーテが
存在するという。
その中でも最も美しいと言われるのが、グラン・セノーテ。
極めて透明度の高い水面は、差し込む太陽光の角度で
その色を深い緑からクリスタルブルーへと変えていく。
水中には白い鍾乳石が立ち並び、さながら古代神殿のようだ。
マヤ文明が栄えた時代、神官たちはこの場所を
神聖な地としてあがめたという。
音のない青の世界に浮かんでいると、その祈りが遠く
聞こえてくるような気がする。
渋谷三紀 18年9月15日放送
L’Ubuesque Boîte àSavon
日本美人史(奈良時代)
正史に美しいと称えられた、奈良時代の元正天皇。
35歳の時、未婚のまま母の元明天皇から譲位された。
当時の感覚では初老に近い年齢だが、
譲位の際の詔には、「艶やかで美しい」外見と、
「慈悲深く落ち着いた」内面の美しさが記されている。
9年で律令制を強化し日本書紀を完成させた。
聖武天皇に譲位した後も、
病気がちな皇子にかわり政を務めた。
天平美人は、美しさに逞しさを兼ね備えた
優秀なリーダーだった。
渋谷三紀 18年9月15日放送
日本美人史(平安時代)
平安時代、美人の条件は
切れ長の目、ひょうたん型の顔、長い髪・・・
中でも重要だったのが「知性」だ。
「和歌が詠めること」が美人の絶対条件で、
そうでなければ出会いもなかった。
ちなみに、美人と名高い小野小町の絵や彫像は現存せず、
後世に描かれた絵も後姿がほとんど。
素顔は謎に包まれている。
絶世の美女は妄想から生まれたのかもしれない。
渋谷三紀 18年9月15日放送
日本美人史(平安末期)
武家の時代が訪れ、
雅な平安女性とは一線を画す女性たちが登場した。
中でも女武者の巴御前は
「色白く髪長く容顔まことに優れた」美人でありながら、
敵の首を素手で引き千切った、
なんてエピソードが残されている。
これは極端な例だけれど、
女性らしさなんて、時代と共に変わるものだ。
渋谷三紀 18年9月15日放送
日本美人史(江戸時代)
江戸の街でモテるには、
流行に敏感でなければならなかった。
当時のファッションリーダーは「遊女」。
吉原などで名を馳せた美女「高尾太夫」の
浮世絵は大人気となった。
高尾太夫は11代まで続いたといい、
史実、創作ふくめさまざまな逸話が残っている。
乳母を従え、花魁道中を子連れでこなした「子持ち高尾」は、
ワーキングマザーのはしりといえそうだ。
渋谷三紀 18年9月15日放送
日本美人史(明治時代)
日本でミスコンが始まったのは明治時代のこと。
一般人が参加した初のミスコンは、
明治41年の「令嬢美人写真募集」だ。
1等になった16歳の末弘ヒロ子さんは
退学処分を受けたが、学長の計らいで結婚した。
2等の金田ケン子さんは200通の結婚申し込みを受け取り、
3等の土屋ノブ子さんは化粧品会社の広告モデルとして活躍した。
選ばれるだけではで終わらない。
明治美人は未来を選び取る強さを持っていた。
河田紗弥 18年9月9日放送
Happy Wedding 〜婚約指輪〜
婚約指輪は婚約の証として男性から女性へと贈るもの。
この風習は、古代ローマではすでに行われていたといわれている。
当時は婚約の契約の印として、鉄製の指輪が贈られていた。
15世紀、
ハプスブルク家のマキシミリアン大帝と
ブルゴーニュ公国シャルルの娘であるマリアが婚約する際に、
ダイヤモンドの婚約指輪が贈られた。
これが歴史に残る最初のダイヤモンドが飾られた婚約指輪。
ダイヤモンドは美しい輝きだけではなく、
天然の鉱物の中で最も硬い物質で
「不屈の精神、永遠の絆、約束」を示すといわれ、
「永遠につづく愛のシンボル」として
婚約指輪にふさわしい宝石とされた。
河田紗弥 18年9月9日放送
tarale
Happy Wedding 〜婚約指輪〜
ダイヤモンドを飾った婚約指輪は長い間、
貴族など裕福な人々のものだったが、
19世紀のおわりになると一般の人々にも広まっていった。
広まった理由の一つに、
1866年に南アフリカでダイヤモンド鉱山が発見され、
ダイヤモンドを安定的に供給できるようになったことがあげられる。
日本に広まったのは、戦後になってから。
1970年代頃にダイヤモンドジュエリー社デ・ビアス社が
キャンペーンで流したCMがきっかけとされている。
「お給料の3カ月分」というキャッチフレーズとともに、
時代にあわせた様々なカップルのドラマが映し出されたCMは、
当時の日本人にとって印象に残ったことはもちろん、
婚約指輪にはいくらかければいいのだろうという疑問に
「お給料の3カ月分」という答えを提示したのだ。
その結果、多くの日本人が
「給料の3カ月分」のダイヤモンドが輝く婚約指輪を贈るようになった。