河田紗弥 18年9月9日放送

180909-03

Happy Wedding 〜結婚指輪〜

婚約指輪を贈る慣習が古代ローマ時代にはあったのに対し、
結婚の際に、指輪を交換するという慣習ができたのは
9世紀ごろの話。

ローマ教皇ニコラウス一世が
指輪が結婚の証拠になると認めたとされ、
1027年には「花婿は花嫁に金の指輪を、
花嫁は花婿に銀の指輪を交換している」という記録も残されている。

その後、結婚指輪の交換が普及し、
13世紀のヨーロッパでは一般化していったといわれている。

そんなヨーロッパには、
結婚指輪に関する言い伝えもたくさんある。

結婚指輪を交換する際に、新郎が新婦の第2関節まで
指輪を一気に通すことができれば
結婚生活において、新郎が主導権を握れるとか。
結婚指輪が壊れると、
相手が不貞を働いた印であるとか。

そして、この言い伝えもその一つ。
結婚指輪は、左手にはめるべし。
左手の薬指には、心臓につながる太い血管がある。

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河田紗弥 18年9月9日放送

180909-04

Happy Wedding 〜ウェディングブーケ〜

結婚式の象徴ともいわれるウェディングブーケ。

古くから、
ヨーロッパでは、男性が女性にプロポーズをするときに
野の花を摘み、花束にして女性に贈り、結婚を申し込んでいた。

プロポーズの返事がYesなら、花束の中から一輪抜き取り、
男性の胸ポケットに差し込む。

この慣習が、現在のブーケとブートニアの元になったと言われている。

18世紀になると、
花言葉に関する書籍が多く出版されるようになり、
恋人たちは自分の想いにあった花を選び、
気持ちを花言葉に重ねて贈りあったんだとか。

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河田紗弥 18年9月9日放送

180909-05
Dovima-2010
Happy Wedding 〜ブーケトス〜

教会から出てきた花嫁が
後ろ向きで投げた花束をつかみ取ることができたら、
次の花嫁になることができるとされる結婚式でのブーケトス。

このブーケトスは、
14世紀ごろのイギリスでの風習からはじまったとされている。

当時の結婚式では、
花嫁の幸せにあやかろうと参列者たちが
花嫁のブーケや小物を取ったり、ドレスを引っ張ったり。

こういった行為が頻繁に行われるようになり、
花嫁にとっても、参列者にとっても、危険だと考えられ、
それなら、あらかじめ「次の幸せ」を分け与えるという意味で
持っていた花束を投げてしまおうということではじまったのだ。

多くの女性が目を輝かせ、
「絶対に、わたしが…!」と、
ブーケが投げられる瞬間に胸を高まらせている女性の姿は
14世紀も、今も、変わらないのかもしれない。

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河田紗弥 18年9月9日放送

180909-06

Happy Wedding 〜ウェディングケーキ〜

ウェディングケーキの歴史は、
古代ギリシャまでさかのぼると言われている。

古代ギリシャのケーキは、
生きていくのに欠かせなかった主食の小麦でつくられた
小さく堅いビスケットであった。

ひとかけらのビスケットを粉々に砕き、
良き収穫と子宝に恵まれるようにと願いを込め、
花嫁の頭上に撒いていたんだとか。

そして、花嫁の頭上で砕かれたビスケットのかけらには、
幸運が宿るとされ、
招待客は、その砕けたビスケットを競うようにして
拾い集めていた。

当時のウェディングケーキには、豊かで幸福な人生への願いと
それをみなで分かち合おうという想いが込められていたのだ。

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河田紗弥 18年9月9日放送

180909-07
shine oa  
Happy Wedding 〜ウェディングケーキ〜

私たちがウェディングケーキと聞いて
真っ先にイメージするのは、
「花嫁と花婿が入刀する白い3段重ねのケーキ」ではないだろうか。

18世紀のウェディングケーキは、
砂糖漬けのフルーツやナッツをパウンド生地に入れて焼いた
いわゆるフルーツケーキ。
19世紀半ばの1840年、
イギリスのヴィクトリア女王の結婚式でも
直径90cm、重さは136kgもある巨大なフルーツケーキが用いられた。

ケーキ表面は、
砂糖と卵白を練り合わせたアイシングで華麗な装飾がされていた。

この結婚式以降、
ケーキもドレスと同じように華やかで白いものという文化がうまれ
時を同じくして砂糖の値段も下がったため、
白いケーキが愛されるようなっていった。

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河田紗弥 18年9月9日放送

180909-08

Happy Wedding 〜ウェディングケーキ〜

1858年、ヴィクトリア女王の長女であるビクトリア王女が
プロイセンのフリードリヒ・ヴィルヘルム王子との結婚の際に、
「ロンドンのセント・ブライド教会にそびえる鐘楼をモデルにした
円柱型のウェディングケーキ」を委託した。

高さ約2.1mにもなる巨大でエレガントなケーキは
一流の菓子職人が4人がかりで7日間の日数をかけて制作されたと言われている。

3段構造になっていて、
上の2段はすべて砂糖細工によってつくられ、
食べられるのは一番下の段だけであった。

この大きくて、華麗なウェディングケーキに憧れ、
一般市民もこぞってこのタワー構造のケーキを真似したため、
瞬く間に広まっていった。

こうして、現在「伝統的なウェディングケーキ」といわれる
白い3段重ねのケーキはうまれたのであった。

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仲澤南 18年9月8日放送

180908-01
ESA/Hubble, M. Kornmesser
星のはなし かに座55e

惑星・かに座55eは、
表面を黒鉛に覆われていて見た目は真っ黒。
それにも関わらず、
「ダイヤモンドの星」と呼ばれている。
というのも、かに座55eの質量の3分の1以上が
ダイヤモンドでできているのだ。
その量は、地球3個分に相当するという。

貴重な宝石として知られるダイヤモンド。
着陸してスコップ1杯でも採取できれば、
かなりの価値になる。
しかしながらこのダイヤモンドの星、
表面温度が2000度にも上り、
とてもじゃないが着陸不可能だ。
さらには、地球から40光年も先に位置するため
生きているうちには到着できないだろう。

価値あるものは、
簡単には手に入らないから価値があるということか。

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仲澤南 18年9月8日放送

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P.Horálek/ESO
星のはなし ラヴジョイ彗星

エメラルドグリーンに輝く、ラヴジョイ彗星。
オーストラリアのアマチュア天文家、
テリー・ラヴジョイ氏によって発見された彗星だ。
太陽のすぐ近くを通過したにも関わらず消滅しなかった、
奇跡の彗星としてNASAに紹介されている。

そんなラヴジョイ彗星、
実はもう一つある特徴を持っていることで話題になった。
なんと人が飲む酒と同じ成分のアルコールを
糖類とともに宇宙に排出していることが分かったのだ。
その量、1秒間になんとワインボトル500本分。

ラヴジョイ彗星は2015年に地球に最接近し、
次に接近するのは遠く8000年後のことになるという。
その間、この彗星がどこか生命のある星に近づいたとしたら。
宇宙人も、私たちと同じように酔っぱらうのだろうか。

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村山覚 18年9月8日放送

180908-03

星のはなし ハレー彗星

西暦1835年の秋。76年ぶりに地球に近づいた
ハレー彗星が世界中で観測されていた。

ちょうど同じ頃、アメリカ・ミズーリ州で
ひとりの男の子がこの世に生をうけた。
ミシシッピー川のほとりですくすくと育ったサム少年は、
船舶の水先案内人や新聞記者を経て、小説家になる。
彼の代表作は「トム・ソーヤーの冒険」。
マーク・トウェインというペンネームは
日本人にもお馴染みだろう。

時は流れて1909年。彼は自分の死期が近づいていることを
悟ったのか「来年また彗星がくる。私は彗星とともに
この世を去りたい」と告げた。
そして1910年。ハレー彗星がもっとも地球に近づいた日の
翌日にマーク・トウェインは静かに息を引き取った。

彗星に乗って地球にやってきたかのような男の生涯。
彼が紡いだ物語は、これからもなお輝き続ける。

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村山覚 18年9月8日放送

180908-04

星のはなし 冥王星

水金地火木土天冥海

あれ?自分が習ったものと違う、と思われた方もいるかもしれません。
地球から48億kmも離れた冥王星にまつわる壮大な物語。

冥王星が発見されたのは1930年。
1979年から1999年までは海王星よりも太陽に近いところを
まわっていたため、当時の学校の授業では
<水金地火木土天冥海>という順番で惑星を覚えた。

しかし今現在、学校で習うのは<水金地火木土天海>。
外側に次々と新しい天体が発見されたことや、
冥王星のサイズや質量が思いのほか小さかったこともあり、
国際天文学連合によって「惑星ではない」と定義されたのだとか。

そんな冥王星までたどり着いた小型探査機がある。
名前はNew Horizons。太陽電池ではなく原子力電池を搭載し、
8GBのメモリで写真を記録。奇しくも冥王星が惑星ではないとされた
2006年に地球から打ち上げられ、9年半かけて冥王星に接近。
何度かトラブルに見舞われながらも、多くの写真を撮影・送信。

New Horizonsには、冥王星を発見した天文学者の遺灰も載っていて
今もなお宇宙空間を飛びつづけている。

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