蛭田瑞穂 18年8月19日放送

180819-04
ORAZ Studio
夏祭り 金魚すくい

夏祭りの代表的な露店といえば、金魚すくい。

一度すくった金魚が、紙が破れ取り逃がしてしまう。
そんな悔しい経験は多くの人にあるはず。

ただの娯楽のようにも思える金魚すくいだが、
紙を貼った丸い枠は「ポイ」という正式名称があり、
紙の厚さによって4号から7号まで種類が分かれている。
そして奈良県の大和郡山市では平成7年から
「全国金魚すくい選手権大会」が開催されている。

ちなみに、今日8月の第3日曜日は大和郡山市が制定した
「金魚すくいの日」。

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蛭田瑞穂 18年8月19日放送

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ひでわく
夏祭り リンゴ飴

夏祭り。
夜店の灯りに照らされて赤く輝くリンゴ飴。

砂糖と水を熱して飴をつくり、食紅で色をつける。
そこに割り箸を刺したリンゴを入れ、飴を回しつける。

祭りの定番ゆえ、
古くから日本に伝わるお菓子にも思えるが、
生まれたのは20世紀初頭のアメリカ。

菓子職人のウイリアム・コルブがクリスマス用につくった
シナモン味のリンゴ飴がその始まりといわれている。

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森由里佳 18年8月19日放送

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うどん野郎
夏祭り 光の花と祭り囃子

夏の祭りをしめくくる、
夜空いっぱいの打ちあげ花火。

光に照らされる人びとの夢心地な横顔は、
真夏の夜の風物詩だ。

今から2年前、
花火師の今野祥さんは、
明日への扉というドキュメンタリー番組でこんなことを言っていた。

どんなに気持ちが落ち込んでいる人も、
花火があがれば必ず空を見上げます。
花火が嫌いな人って、いないと思うんです。

花火師は、ひとびとの心の温度もあげてゆく。
せつなくも鮮やかなその瞬間は、
祭り囃子のノスタルジックな音色がよく似合う。

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森由里佳 18年8月19日放送

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夏祭り そのはじまり

夏祭りの起源と言われているのは、
京都の祭り、祇園祭。

神さまが神輿に乗って
ちょっとした鎮魂の旅をするのに、
人びとが舞や音楽、歌を捧げたのがはじまりだ。
その賑やかな様子を見ようと多くの人が集まり、
それならば、と、今に伝わる華やかな祭り囃子や山車がうまれたという。

みんないるなら、楽しい方がいいじゃない。
真面目一辺倒といわれる日本人にもそんな一面があると思うと、
祭り囃子がいつにも増して、粋に聞こえてくる気がする。

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森由里佳 18年8月19日放送

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夏祭り ゆかたの知恵

夏祭り。
その非日常感を演出するのは、
祭り囃子に出店、ちょうちん、そして人びとの浴衣姿だ。

今ではさまざまな色や柄を楽しめる浴衣だが、
むかしながらの浴衣には、藍染めのものが多い。

その理由は、色の美しさだけではない。
藍という染料が持つ香りにある。

実はそれは、虫たちが苦手とする香り。
そこに目を付けた人々は、
夕方をすぎると、藍地の浴衣を好んで着たという。

機能だけでなく、美しさも持ち合わせるのが日本の知恵のいいところ。
今年の夏祭りには、藍染めの浴衣で出かけてみませんか。

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佐藤理人 18年8月18日放送

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Raico Rosenberg.com
海のむこう 「暗黒の海」

大西洋が荒れ狂うアフリカ西海岸ボハドル岬。
海水が間欠泉のように吹き上げる凄まじさに、
かつてそこから先は

 亡霊や怪物が棲む暗黒の海

と恐れられていた。

14世紀、ポルトガルの船乗りジル・ヤネシュが、
真偽の程を確かめてみることにした。

暗黒の海の向こうで目にしたもの。
それは鰯の群れが水中にひらめく銀の海と、
平和そのもののような海岸線だけだった。

彼は王様に献上するために、
砂浜に咲く美しい花を一輪積んで帰った。

その花は今日、

 ローズマリー

と呼ばれている。

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佐藤理人 18年8月18日放送

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海のむこう 「イギリスを見つけた男」

紀元前300年頃ギリシャの探検家ビュテアスは、
著書「大洋」の中でイギリスについてこう述べた。

 イギリス人はまれに見るほど親切で礼儀正しく
 現代人のようにずるいところがない

 ワインは飲まず大麦から作った発酵酒を飲む
 彼らはこの酒をクルミと読んでいる

ビュテアスはイギリスのさらに北にある
アイスランドやノルウェーにまで行き、
流氷や白夜の存在を克明に記した。

しかし地中海の温かさしか知らない当時のギリシャ人たちは、
彼の話をでっち上げだとまるで信じなかった。

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佐藤理人 18年8月18日放送

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海のむこう 「新大陸」

1492年、新大陸を発見したコロンブスは、
スペインに莫大な富をもたらし英雄になった。

しかし彼は発見した国の統治権と財宝の10%を要求。
図々しさと傲慢さをイザベラ女王に嫌われ、失脚。
1506年5月20日、世間にも忘れ去られ、
関節炎に苦しみながら、失意と落胆のうちにこの世を去った。

1年後、彼が発見した大陸は友人のイタリア商人、
アメリゴ・ベスプッチの名をとって

 アメリカ

と名付けられた。

コロンブスは死ぬまで自分が発見したのは
アジア大陸東岸沖の島々だと固く信じていた。

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佐藤理人 18年8月18日放送

180818-04

海のむこう 「フビライとマルコ」

1275年、中国に着いたマルコ・ポーロは、
その壮麗さに強く魅せられた。

皇帝フビライ・ハンもこの20歳の若者を気に入り、
象に乗って狩りに行ったり、
豪華な宮殿へ自由に出入りすることを許した。

金色に輝く彫刻や家臣たちの優雅な生活など、
皇帝に仕えた17年間で目にした驚くべき光景を、
彼は片っ端からノートに書き留めた。

25年ぶりに故郷ベネチアに帰った3年後。
ジェノバとの戦争で捕虜になると、
彼は囚人仲間に記憶を元に思い出話を書き取らせた。

それがアジアについて書かれた初の旅行記、

 東方見聞録

1324年、息を引き取る床で彼は言った。

 わたしはまだ見たことの半分しか話していない

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佐藤理人 18年8月18日放送

180818-05

海のむこう 「漂流実験」

人間はどのくらい長く漂流できるのか。
自分の肉体を使って実験した男がいた。

1953年10月19日、フランスの医者アラン・ボンバールは、
食料も水ももたずゴムボートで大西洋に漕ぎ出した。

彼は毎日0.7Lの海水に魚から搾り取った水を加えて飲んだ。
さらに壊血病にならないようプランクトンでビタミンを補給した。

出発から65日後のクリスマスイブ。
5000km以上の旅の果てに彼は西インド諸島のバルバドスに到着。
体重は25kgも減ったが、極めて健康だった。

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