厚焼玉子 18年7月14日放送
daniel.kakiuthi
パリ祭 その日
7月14日、パリ祭。
この日、パリでは花火が上がり、
軍隊のパレードはシャンゼリゼ通りを行進し
フランス空軍のアクロバット飛行チームが空で演技をする。
大統領はこの日のためにとっておきの演説をし、
ルーブル美術館はこの日入場無料になる。
エッフェル塔の下ではコンサートが開かれ
フランスの大部分の都市ではダンスパーティが開かれる。
おりしも観光シーズン。
街は観光客で溢れている。
まだパリに残っていた市民も
この日が終わるとバカンスに出発する。
演説のためにパリに残っていた大統領も
翌日から南フランスの別荘で
およそ1ヶ月の休暇を過ごすのが恒例らしい。
厚焼玉子 18年7月14日放送
パリ祭 名称
7月14日はパリ祭
パリ祭の正式名称はFête nationale française、
国民の祭りというような意味だ。
単にQuatorze Juillet、7月14日と呼ばれることもある。
日本でパリ祭と呼ばれるのは
1933年に封切られたルネ・クレール監督の映画
「Quatorze Juillet」が「巴里祭」というタイトルで公開されたことが
原因らしい。
英語圏ではBastille dayと呼ばれることもある。
この日はパリの市民がバスティーユを襲撃した日、
フランス革命の始まりの日でもあるからだ。
厚焼玉子 18年7月14日放送
パリ祭 亡命のパリ祭
1940年から1944年まで
ロンドンで開催されたパリ祭の記念式典がある。
ドイツ軍によってパリが陥落した1940年、
ナチスドイツに協力を表明した新政府に追われて
イギリスに亡命したフランス陸軍次官シャルル・ド・ゴールと
彼の亡命政権である自由フランス政府が行ったものだ。
このとき、ド・ゴールの亡命政権がなかったら
真っ先にドイツに降伏したフランスは
敗戦国になっていたと思われる。
ド・ゴールはイギリスからフランス本土へ向けて
徹底抗戦を呼びかけていた。
ロンドンで行われたパリ祭は
フランスは負けていないというアピールだったのかもしれない。
厚焼玉子 18年7月14日放送
パリ祭 歴史
1789年のこの日
パリの市民によるバスティーユの襲撃は
フランス革命につながった。
翌1790年の7月14日には大規模な記念式典が行われ
国民軍司令官のラ・ファイエット公爵とルイ16世が
憲法に忠誠を誓った。
革命の余波は長く続いた。
国王と王妃の処刑。
ナポレオンのクーデター。
王政復古。
多くの血が流された。
我々は本当に正しいことをしているのかと
疑いを持った人もいただろう。
そして1879年、7月14日を祝う祝祭が再び開かれ
1880年には7月14日を祝日にする法案が可決された。
最初のパリ祭から90年後のことだった。
市民の決起は正しかった。
あの革命は正しかったと思えるまでに
長い時間が必要だったのだろう。
厚焼玉子 18年7月14日放送
パリ祭 由来
日本の国はいつから始まったのだろう。
誰も答えられない。
でもアメリカならわかる。
独立戦争からだ。
フランスも同じだ。
現在のフランス共和國はフランス革命に由来している。
そのフランス革命のきっかけとなったのが
1789年のパリ市民によるバスティーユ襲撃。
だから国民はその日を祝う。
その日は7月14日。
日本ではパリ祭として知られている。
佐藤日登美 18年7月8日放送
百楽兎
平成の夏 100回目の高校野球
日本の夏の風物詩、高校野球。
平成最後の夏である今年は、なんと100回目の開催。
記念大会ということもあり、
過去最多の56校が出場予定だ。
それに合わせ、
優勝校に手渡される「深紅の大優勝旗」が新調された。
実に60年ぶり、3代目の旗となる。
デザインは変わらず、
真っ赤な布地に「優勝」の二文字と、月桂樹。
京都の老舗旗専門店、西岡旗製造が丹精込めて制作した。
平成最後の夏にして、100回目の高校野球。
真新しい優勝旗を手に入れるのは、どの学校か。
佐藤日登美 18年7月8日放送
平成の夏 青春18きっぷ
平成最後の夏休み。
海外旅行もいいけれど、
電車に揺られながらの国内旅行も捨てがたい。
そんなとき使いたいのが、青春18きっぷ。
JRの普通列車と快速列車であれば、一日乗り放題。
それが5回分ついて、11,850円。
うまく乗り継げば、朝いちで東京を出発すると
北は青森、南は福岡まで辿りつけるとか。
学生をイメージした「青春」と、
その象徴的な年齢「18」を掛け合わせたのが名前の由来だが、
何歳であっても使えるのがいいところ。
そう、青春に年齢制限はない。
きっぷ片手に、ちょっと冒険してみる夏もいいかもしれない。
佐藤日登美 18年7月8日放送
rinia
平成の夏 日本一暑い場所
日本で一番暑い場所。どこだと思いますか?
暑いことで有名な、埼玉県熊谷市。
と思いきや、実は高知県の江川崎という町。
2013年8月12日に41.0℃を記録し、
それまで同率1位だった熊谷市と岐阜県多治見市の
40.9℃を上回る数字を叩き出しました。
どちらも40℃以上なんて、
ちょっと頭がくらくらしてしまいそう。
さあ、平成最後の夏。
この気温を上回る場所は出るんでしょうか。
蛭田瑞穂 18年7月8日放送
Norisa1
平成の夏 梅雨明け
先月、6月29日、気象庁は関東甲信地方の梅雨明けを発表した。
関東甲信地方が6月に梅雨明けするのは、
統計を取り始めた1951年以降初めてのことだという。
今年の夏は平成最後の夏。
「平成最後の夏」というハッシュタグがネット上を賑わせ、
たくさんの人が夏の訪れを心待ちにしていた。
そんな気持ちを察して、夏がひと足早く来てくれたのかもしれない。
蛭田瑞穂 18年7月8日放送
alternatePhotography
平成の夏 夏休み
日本でインターネットが一般的になり始めたのは、
windows95が発売された平成7年からといわれている。
また、携帯電話が急激に普及し始めたのは平成8年から。
つまり、平成になったばかりの頃の夏休みといえば、
帰省でも海外旅行でもひとたび休暇に入ってしまえば、
連絡の取りようがなかった。
平成最後の夏は平成最初の夏のように、
からっぽの休みを満喫してみたい。