礒部建多 18年5月20日放送
ジーンズで訴えた男
今日はジーンズの誕生日。
労働者の作業着として生まれたジーンズは、
1950年以降、強いメッセージ性を持つファッションへと変化する。
音楽の力によって。
1969年のウッドストック。
伝説と謳われた、愛と平和の音楽の祭典。
最終日に、トリとしてステージに現れたジミ・ヘンドリックスは、
美しいブルーのフレアジーンズ姿で、国歌「星条旗」を演奏し始めた。
最初は聞き慣れたフレーズが続いたが、
突然の変化に観客たちは驚いた。
まるで爆撃機の空襲音のようなノイズ。
人々の悲鳴のような弦の高鳴り。
激しく歪みながら鳴り続けるその狂気的な旋律は、
当時のベトナム戦争への痛烈な批判を表現していた。
そして、彼は観客へこう言い放ったと言う。
「愛国心を持つなら地球に持て。魂を国家に管理させるな。」
ロック史に残る、その圧倒的なステージ上の姿が、
ジーンズをも「反骨精神の象徴」へと変えていったのだ。
松岡康 18年5月20日放送
ジーンズを発明したかった男
今日はジーンズの誕生日。
労働者のための作業着として作られたジーンズだが
ファッション界において、それは特別な意味を持つ。
モードの帝王と呼ばれた天才デザイナー、イヴサンローラン。
彼は引退する時、自身でジーンズを手掛けなかったことが
唯一の心残りだと語ったという。
なぜモードの帝王が、大衆のファッションであるジーンズを愛したのか。
彼はジーンズの魅力についてこう語っている。
ブルージーンズ程、独創的で美しいものは無い。
しかも、それは実用的で、リラックスとカジュアルの空気を持っている。
そしてまた、ブルージーンズは主張と抑制とを併せ持っている。
それは簡素であると同時にエロティシズムをも放つ。
つまり、私がデザインしたいと思う要素を全て持っている。
天才がこれほどまでに評価するファッションは、
ジーンズのほかにない。
松岡康 18年5月20日放送
allenjaelee
インディゴとジーンズ
今日はジーンズの誕生日。
ジーンズの魅力を、その独特な色落ちにあるという人も多い。
なぜジーンズは色落ちするのか?
1880年、ドイツの化学者A.ボン.バイヤーが天然インディゴと
まったく同じ成分構造を持つインディゴの合成に成功。
ジーンズはほとんど、この合成インディゴで染色されている。
ただこの合成インディゴ、粒子が荒く、
染めあげる力は藍染などと比べてもはるかに弱い。
糸の表面に付着した状態で中まで色が浸透せず
何度も着ているうちに徐々に色が落ちていってしまうのだ。
だが、この染める力の弱さが功を奏し
世界でも類を見ない経年変化を楽しめる
ファッションアイテムが誕生したのだ。
世界中で10億着以上のジーンズが合成インディゴで青く染められてきた。
そしてそれらのジーンズには一つとして同じ色のものは無い。
礒部建多 18年5月20日放送
日本でジーンズを初めて履いた男
今日はジーンズの誕生日。
日本で初めてジーンズを履いたのは、白洲次郎だと言われている。
戦後のGHQに「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた男。
白州は、自分の流儀を何よりも大切にしていた。
講和条約締結へ、サンフランシスコに向う機内でのこと。
吉田茂や側近たちが正装に身を包んでいたのに関わらず、
白州だけはTシャツとジーパン姿で寛いでいた。
狭い機内で、一番機能的な服を選んだのだと言う。
例え誰の前でも、何を言われようとも、
自分の軸を曲げることは絶対にないのだ。
「人様にしかられたくらいで引込むような心臓は、持ち合わせがない。」
これほどに芯の強い男が、果たして今の日本にもいるだろうか。
佐藤理人 18年5月19日放送
意外な発明 「プラマーの錠前」
1784年、イギリス人の農夫の息子、
ジョセフ・プラマーがある錠前を作った。
それまでの錠前はどんなに高価なものでも、
練習すれば誰でもこじ開けることができた。
しかしプラマーが作った円筒形の錠前には、
4億9400万通りもの組み合わせがあった。
見事開けた者には賞金を出そう
このプラマーの申し出が破られたのは、
それから67年後のこと。
アメリカ人の錠前師が一ヶ月間苦労して、
ようやく鍵をこじ開けた。
プラマーの発明は今も世界中で、
多くの宝物を守っている。
佐藤理人 18年5月19日放送
意外な発明 「ケンベレンのチェス人形」
1769年のウィーンで不思議なからくり人形が生まれた。
作ったのはウォルフガング・フォン・ケンベレン男爵。
人形はトルコ人の格好をしたチェスの名手で、
エカテリーナ女帝やナポレオンなど、
ヨーロッパの王侯貴族をことごとく打ち負かした。
毎回試合の前に男爵は人形の前の箱を開け、
歯車など中の機械をすべて見せた。
しかし実際はその奥に小柄な人が隠れていて、
チェス盤の下から駒を操作していたのだった。
1804年に男爵が亡くなるまで
トリックは見破られなかった。
佐藤理人 18年5月19日放送
意外な発明 「アルキメデスの熱光線」
太陽光を初めて利用したのはアルキメデスだった。
紀元前215年、ローマ帝国の艦隊が
彼の住むシラクサを攻撃した。
アルキメデスは大きな鏡を何枚も並べて
兵士たちに命じた。
船の黒い部分に光を当てよ!
すると船は数分で燃え上がった。
話を聞いたローマのマルケッルス将軍は、
彼を生け捕りにするよう命じた。
ローマ兵が家にきたとき、
アルキメデスは砂に描いた図形を前に考え事をしていた。
名前を聞いたが無視された兵士は彼を殺してしまった。
アルキメデスの最期の言葉は、
図を壊すな!
だった。
佐藤理人 18年5月19日放送
ちゅらさん
意外な発明 「アペルの缶詰」
缶詰はナポレオンの願いから生まれた。
1792年、外国で戦争に明け暮れる彼は、
栄養価の高い新鮮な食料の確保が、
兵士の士気を高めるのに不可欠だと考えた。
しかし当時の食料は薫製や酢漬けが中心で、
味が悪く腐敗も早かった。
1804年、フランス人ニコラ・アぺルが、
加熱殺菌の原理を発明した。
加熱こそ偉大な自然殺菌者である
どんな防腐剤も殺菌剤も熱にはかなわない
食べ物をガラス瓶に入れて密封し、
煮沸した彼の瓶詰めは、
赤道の横断実験で高い評価を得た。
新聞は、
アペルは季節を容器に封じ込める方法を発見した
農産物が畑のある状態で保存できる
と絶賛。彼は今にち、
缶詰の父
と呼ばれている。
佐藤理人 18年5月19日放送
意外な発明 「ウォーターマンの万年筆」
万年筆はある男の怒りから生まれた。
1884年、保険のセールスマンの
ルイス・エドソン・ウォーターマンは、
大勢の競争相手を出し抜き大口の契約を取り付けた。
契約書にサインしてもらおうと、
羽ペンとインクつぼを出すと、
インクが書類に飛び散った。
あわてて新しい書類を持って戻ると、
契約は競争相手に横取りされた後だった。
その後、ウォーターマンは、
液体が繊維の中を上昇する毛管現象を利用すれば、
インクの流れを調節できることを発見。
世界初の万年筆を開発した。
蛭田瑞穂 18年5月13日放送
Mr.ちゅらさん
ひらめき 安藤百福
日清食品の創業者、安藤百福が1958年に開発した
「チキンラーメン」にはこんなエピソードがある。
インスタントラーメンの商品化に必要な長期の保存性と、
お湯を注ぐだけで食べられる利便性。
そのふたつを実現するために安藤は試行錯誤を重ねたが
どうしてもうまくいかない。
ある日、妻が台所で天ぷらを揚げる姿を見て、
安藤は麺を揚げることを思いついた。
試してみると、乾燥状態となった麺は保存がきくようになり、
お湯もよく吸収するため、数分で柔らかくなるようになった。
のちに安藤百福はこんな言葉を残している。
発明はひらめきから。ひらめきは執念から。
執念なきものに発明はない。