田中真輝 18年4月8日放送
Flickmor
ラストシーン
2016年公開のミュージカル映画「La La Land」、
ご覧になった方も多いのではないだろうか。
アカデミー賞6部門を獲得した名作だが、
その印象的な結末に、見る人の意見は分かれ、
賛否両論の声で世間は賑わった。
この結末について、監督のデミアン・チャゼルは
こう語っている。
愛について語るとき、愛自体が主人公の二人よりも
大きな存在でなければいけないと僕は思う。
二人が一緒にいるいないには関係なく、
愛はまるで3番目の登場人物のようにそこあり続けるんだ。
現実とは全く別の次元でね。主人公の二人の関係が終わって
しまったとしても、愛はそこに永遠に存在するということ。
僕はそれが美しいと思う。
そんな愛の形を、美しいと感じるか、それとも…。
まだご覧になっていないという方はぜひ、
ご自身で確かめて頂きたい。
田中真輝 18年4月8日放送
Renaud Camus
長い別れ
アメリカ人作家、レイモンド・チャンドラーの小説、
「ロング・グッドバイ」。
以降のハードボイルド小説の典型となった
この作品は、村上春樹をして最も影響を受けた
作品と言わしめた名作である。
主人公、フィリップ・マーロウは、大きな権力と
暴力の中で翻弄され、傷つきながらも、どこまでも
タフに、自分の信念を貫いていく。
そんなタフな頑固者が、ふとつぶやくセリフ。
「さよならを言うことは、少しだけ死ぬことだ」
一人称で語られる小説なのに、主人公マーロウの
心情が描写されることはほぼなく、だからこそ、
ふとしたセリフに滲む、この頑固者の限りない優しさ、
繊細さが、読む者の胸を衝く。
長い、別れ。そのタイトルが意味するものは、
マーロウの心の中に、いつまでも消えずに
止まり続ける別れの悲しみと切なさ、
なのかもしれない。
大友美有紀 18年4月7日放送
sniggie
日本の色 春はあけぼの
春はあけぼの。
やうやう白くなりゆく山ぎは、
有名な「枕草子」の冒頭部分。
日が昇り、光の変化とともに
色味が変わっていく様子が描写されている。
日本の色の名、「アカ」「クロ」「シロ」「アヲ」は
光の色から生まれたとする説がある。
アカは、夜明けの赤く染まる空。
クロは、太陽が沈んだあとの闇。
シロは、夜が明けてあたりがはっきりと見えること。
「顕著」の「ちょ」が転じた言葉とされる。
アヲは、夜明けと闇の間の状態からきている。
太陽の移り変わりを見つめていた古代人が
生み出した色の名だという。
大友美有紀 18年4月7日放送
日本の色 禁じられた紅(アカ)
「庄屋惣百姓共に
衣類紫紅梅に染間敷候」
しょうや、そうびゃくしょう ともに
いるい むらさきこうばいに そめまじきこと
これは寛永20年の禁止令。
庄屋、農民などが、紫根染めの本紫、(しこんぞめのほんむらさき)
紅花染の紅梅色を着ることを禁じている。(こうばいいろ)
江戸時代、幕府は町人の経済的発展を懸念して、
頻繁に「奢侈禁止令(しゃしきんしれい)」を発令し、
町人の贅沢を禁じた。
ところが江戸町人は法の目をかいくぐり、
表地は地味色の木綿縞を使い、
裏地に絹織物を使い、
偽紫や偽紅梅などの色をつくり出して染めていた。
これぞ、江戸町人の意気込み、「粋」だった。
大友美有紀 18年4月7日放送
日本の色 異世界との境界の色、黒
粋な黒塀 見越しの松に
仇な姿の 洗い髪
春日八郎が歌った「お富さん」の歌詞。
くろべいとは、黒い塀のこと。
江戸では、料亭、小唄の師匠、
お妾さんの住まいなどは黒塀で囲まれていた。
吉原の大門には黒い瓦屋根があった。
江戸城の鬼門にあたる上野寛永寺。
その表門も黒かったという。
闇から生じた「黒」は境界の色であり、
特別な存在を意味する色であった。
江戸末期に来航したペリーの黒船は、
偶然とはいえ「異世界からの来訪」を象徴したのだろう。
文明開化で日本に取り入れられた蒸気機関車、自動車、
人力車も鉄製で黒い色をしていた。
当時はポストでさえ黒かった。
西洋の黒いものたちを使うことで、
無意識のうちに異世界を日常に
取り入れようとしたのかもしれない。
大友美有紀 18年4月7日放送
日本の色 フジタの白
グラン・フォン・ブラン
すばらしい肌の白
1920年代パリに渡った日本人画家、
藤田嗣治が描いた「寝室のキキ」に寄せられた賛辞だ。
フジタは、浮世絵で表現されている
肌の白さや黒の輪郭線を再現することが、
日本人画家としての独自性になると考えた。
浮世絵の白を表現するために、
キャンバスに木綿のシーツのような
やわらかな生地を張り、
何種類もの顔料を使って白を描き出し、
最後にてかりを抑えるために
タルカムパウダーを用いた。
独自性を出すには、独自の方法が必要だった。
大友美有紀 18年4月7日放送
日本の色 紺屋
「紺屋の明後日」
約束が当てにならないこと
「紺屋の白袴」
他人のことに忙しくて自分のことができない状態
江戸時代、幕府によって贅沢が禁じられた町人は、
絹や錦、金糸銀糸、紅花や本紫の染め物などを
使うことができなかった。
着ていたのは、藍染木綿の縞の着物。
農民も藍染の木綿や麻の野良着を着ていた。
藍は丈夫で汚れが目立たない。
においが強く、蝮や害虫がよりつかない。
洗えば洗うほど色が冴える。保温効果もある。
大工、左官、職人たちも仕事着として着るようになり、
商家ののれん、風呂敷、布団、座布団、手ぬぐい、
漁師の晴れ着にまで使われるようになる。
町には数多くの藍染屋「紺屋」や「青屋」が登場する。
大繁盛したために「紺屋の○○」などという言葉までできた。
幕府が贅沢を禁じてくれたから、
今の時代の私たちも藍の良さを知り、
藍を楽しむことができているのだ。
大友美有紀 18年4月7日放送
日本の色 藤色
森に咲く小さな花々の模様を飾った
えもいわれぬ似つかわしい色合いの
たいそう淡くたいそう地味な藤色の
朱子織の長い衣裳が
とりどりの真珠をちりばめた
硬い縫取りにおおわれている。
明治時代の外相、井上馨の夫人が
舞踏会で着ていた衣裳だ。
フランス海軍将校の観察日記に記されている。
ほっそりとした鞘型の胴着、
ようするにパリに出しても
通用するような服装
と続く。
不平等条約の解消を目的とした鹿鳴館での饗応。
「たいそう地味な藤色」もパリで通用するならば、
舞踏会の開催はあながち間違いではなかった。
大友美有紀 18年4月7日放送
日本の色 柿色
ああ綺麗な柿だ。
あの柿のような色を出したいものだ。
江戸時代前期の陶工、
酒井田喜三右衛門は、仕事に疲れて縁側に座っていた。
ふと見上げると柿の実が輝くように夕陽に照らされていた。
それから5、6年取り付かれたように
柿色の焼き付けにのめりこんでいった。
そうして作りあげたのが、
九州有田の「赤絵」といわれる色絵磁器である。
時の藩主、鍋島光茂がこの「赤絵」を見て、
まるで柿のような色なので、柿右衛門と名乗るように
と言ったと伝えられている。
これが酒井田初代柿右衛門、誕生の物語である。
太陽と自然からもらった色と名だった。
大友美有紀 18年4月7日放送
日本の色 ピンク
はしきやし、吾家(わぎへ)の毛桃、本しげみ
花のみ咲きてならざるめやも
万葉集、詠み人知らず。
桃の花がこんなに茂っているのに
実を付けないわけがないでしょう。
実とは恋を指し、桃が恋愛成就の象徴として詠われている。
桃色は少女の色であり、恋の色である。
日本語で使われる「ピンク」にも、
愛情や性的な意味合いがある。
けれども、元来英語のPINKは、
撫子やナデシコ科の植物・石竹(せきちく)の意味。
艶っぽい含みはない。
色に意味を見いだし、感情を重ねる。
日本の色は奥深い。