大友美有紀 18年2月4日放送
UK in France
「カオス トゥ クチュール」ヴィヴィアン ウエストウッド ファッションデザイナーとして
パンクは、イギリス、アメリカだけでなく、遠く日本にまで影響を及ぼした。
今でも、あらゆるカルチャーにパンクの名残を見つけ出すことができる。
その中心にいたセックス・ピストルズは、たった2年で燃え尽きてしまった。
そしてヴィヴィアンは、マルコム マクラーレンと訣別。
自覚を持ってファッションデザイナーへの道を歩みだした。
ネイティブアメリカン、アフリカ、18世紀フランスなどの要素を
取り入れたデザインを発表する。
わたしの作る服には物語がある。
アイデンティティがあるの。
個性もあるし、目的もある。
だから定番として長く愛されるのよ。
わたしの服は時を超えて自分の物語を伝え続ける。
ヴィヴィアン ウエストウッドはパンクの女王から
クチュリエとしての地位を確立した。
大友美有紀 18年2月4日放送
Mattia Passeri
「カオス トゥ クチュール」ヴィヴィアン ウエストウッド カオス トゥ クチュール
2013年、ニューヨークのメトロポリタン美術館は
パンクの歴史をテーマにした「カオス トゥ クチュール」展を開催した。
ヴィヴィアン ウエストウッドのデザイン作品や
キングス・ロード430番地の店で売られていた商品のレプリカも展示された。
ファッションが廃れることはないわ。
なぜなら、制約の中で創造されるから。
制約とはつまり、人間の身体のことよ。
身体にあわせるという制約があるからこそ、
ファッションは今も厳然と存在しているの。
そこが他のジャンルの芸術と違うところね。
パンクの女王だったヴィヴィアン ウエストウッドは、
エリザベス女王から2度の叙勲を受けている。
佐藤延夫 18年2月3日放送
Sulgenau
小説の舞台 ヨハンナ・シュペリ
スイスとリヒテンシュタイの国境にある小さな街、
マイエンフェルト。
そこからほど近いイェニンス村は、
「アルプスの少女ハイジ」の舞台と言われる場所だ。
作者のヨハンナ・シュピリも
チューリッヒ州の山村で育ったため、
作品の中には、彼女の愛したアルプスの大自然が描かれている。
私たちがよく知るアニメとは違い、
原作のハイジは、それほど平和な世界ではない。
ペーターは嫉妬深い少年であり、
セントバーナード犬も登場しない。
佐藤延夫 18年2月3日放送
小説の舞台 フランソワーズ・サガン
太陽の光を浴びて青く輝く海。
上から見下ろすと、白い模様のようにクルーザーが浮かぶ。
フランス南部、イタリアとの国境付近にあるリゾート地、
リヴィエラ海岸は、小説「悲しみよ こんにちは」の舞台となった場所だ。
当時、フランソワーズ・サガンは18歳。
作品がベストセラーとなりメディアの注目を浴びたが、
薬物やギャンブルで身を滅ぼすことになる。
サガンの有名な言葉をひとつ。
「ハッピーエンドで終わる偉大な小説はありません。」
それはまるで、彼女の生き様のようでもある。
佐藤延夫 18年2月3日放送
fui
小説の舞台 ヘルマン・ヘッセ
ドイツの南西部、バーデン=ヴェルテンベルク州に、
気高く佇む修道院がある。
マウルブロン修道院。
それは、小説「車輪の下」の舞台になった場所だ。
広大な敷地は城壁と壕に囲まれ、
礼拝堂のほかに診療所、食堂、宿泊所などの建物も並ぶ。
ヘルマン・ヘッセも14歳のとき、この神学校に入学したが、
わずか半年で脱走している。
「人生とは孤独であることだ。誰もほかの人を知らない。みんなひとりぼっちだ。」
そんな彼の言葉が似合う静謐な修道院は、
1993年、世界遺産に登録されている。
佐藤延夫 18年2月3日放送
小説の舞台 ルイス・キャロル
900年以上の伝統を誇るカレッジ。
煉瓦造りの建物、青空を刺すような教会の尖塔は、
眺めているだけで襟を正したくなる。
イギリスの大学都市、オックスフォード。
ここは「不思議の国のアリス」の作者、
ルイス・キャロルが暮らした場所だ。
本名は、チャールズ・ラトウィッジ・ドジソン。
オックスフォードの数学講師でもあった彼は、
ある日、少女たちに奇想天外な物語を話して聞かせた。
即興でつくったストーリー「地下の国のアリス」は、
「不思議の国のアリス」というタイトルに変わり、
現在では200以上の言語で翻訳されている。
ルイス・キャロルは、こんな言葉を残した。
「どっちへ行きたいかわからなければ、どっちの道へ行ったって
大した違いはないさ。」
きっと、それが不思議の国で生き抜くヒント。
佐藤延夫 18年2月3日放送
LaurPhil
小説の舞台 アルベール・カミュ
リュベロン山地をのぞむ小さな村。
ぶどうやオリーブ、アーモンドの木が並ぶ。
フランス南部の村、ルールマラン。
ここは作家アルベール・カミュが晩年過ごした場所だ。
パリを拠点としていたカミュは、
結核の症状に悩まされるようになり、
プロヴァンス地方の小さな村をいたく気に入った。
「人生の意味ばかり探している人は、生きているとは言えない。」
そんな彼の言葉が似合う場所は、
フランスの最も美しい村に認定されている。
熊埜御堂由香 18年1月28日放送
fui
鍋の話 妹尾河童のピェンロー鍋
舞台美術家の妹尾河童が
中国からレシピを日本に広めた冬の鍋、
それがピェンロー鍋だ。
だし汁でたくさんの白菜と鶏もも肉などを煮込む。
妹尾が教える美味しくなるコツがある。
うーんと寒くなって、白菜がウマクなるまで待つこと。
寒いは、旨い。今夜は鍋にしませんか。
熊埜御堂由香 18年1月28日放送
鍋の話 池波正太郎の小鍋だて
鬼平犯科帳など時代小説の名作を数々残した作家の池波正太郎。
彼は美食家としても知られ、エッセイや小説には
「小鍋だて」という、ひとりかふたりで食する
小さな鍋料理が何度も紹介されている。
実際、江戸時代のひとも火鉢を囲み食べていたという。
池波は言う。
江戸時代の男女も差し向かいで、小鍋だてをした。
小鍋だてとは、実に粋な食べ物だ。
雑炊までたどり着かないかも?
と思うほど、具材が詰まった大きな鍋もいいけれど、
誰かとふたりで小さな鍋を囲むのも、最高にあったまる。
石橋涼子 18年1月28日放送
ayumew
鍋の話 大人のためのどぜう鍋
江戸時代から庶民に親しまれてきた鍋といえば、
どじょう鍋がある。
うなぎ一匹、どじょう一匹
という古い言葉があるように、どじょうの小さなあの体には
うなぎ一匹に匹敵する栄養が詰まっているらしい。
鍋料理として確立したのは、1800年代、
11代将軍徳川家斉のころだ。
どじょうを捌いて煮込み、卵でとじたものが柳川鍋。
どじょうを酒に漬けて酔わせてからまるごと煮込むのが、
どじょう鍋。
どじょう鍋を考案したのは、浅草にある
駒形どぜう(読みはどじょう)の店主・越後屋助七で、
彼は「ど、じ、よ、う」の4文字が正しい仮名遣いのところ
「ど、ぜ、う」の3文字にしたことでも知られている。
4文字は縁起が悪いから、というのが理由だ。
そのおかげか店は繁盛し、他の店ものれんや看板に
「どぜう」と書くようになったという。
作家の池波正太郎は、どぜう鍋を食べに
数えきれないほど通ったと言うが、
初めて食べたときのことはこう振り返っている。
何か一人前の大人になったようで、いい気分だったのである
初めてだと戸惑う人も多い見た目のどぜう鍋だが、
大人の料理だと考えると、一層魅力的に見える。