石橋涼子 18年1月28日放送
cyclonebill
鍋の話 小津安二郎のカレーすき焼き
名監督小津安二郎は、食べることが大好きで、
自ら料理もした。時折、撮影後のスタッフに
「カレーすき焼き」なるものを振る舞ったという。
とある女優は
こんなにおいしいものはない
と言ったといい、
とある俳優は
誰がカレーをいれたんだ
と言って怒ったという。
美味しさの真偽のほどは定かではないが、
ぜひ味見させて頂きたい鍋ではないだろうか。
薄景子 18年1月28日放送
Tiberiu Ana
鍋の話 ヨーロッパの諺
ヨーロッパの諺にこんな言葉がある。
見つめる鍋はなかなか煮えない。
まだかまだかと蓋をあければ
煮えきらない肉や魚が顔を出す。
しかしその間、小鉢の一品でも仕込めば
気づいた頃には火が通り、
美味しいおまけもついてくる。
この言葉は、人生にも当てはまりそうだ。
待ち合わせに遅れた相手に苛立ち
何度も時計を見れば、1分が1時間に感じられ、
その間、本でも読みだせば、待ち時間はあっという間だ。
或いは、いいアイデアはないかないかと
焦るほど何も思い浮かばず、
あきらめて散歩でもはじめると、
ふらりと閃きが降りてくることもある。
待つことは、そのことだけに意識を向けること。
それは、時によけいな力みや執着を
生み出してしまうのかもしれない。
鍋はじっくりコトコト放っておくのがいちばん。
その間、別のことに集中しすぎて、煮えすぎには注意したい。
小野麻利江 18年1月28日放送
Daremoshiranai
鍋の話 中国の火鍋
お隣の国、中国でポピュラーな鍋料理といえば、
唐辛子が入った「火鍋」。
具材や調理法は地域によってさまざまで、
たとえば、北京より北の地方では、
食材の並べ方にも決まりがある。
鍋の手前に鳥の肉。後ろに動物の肉。
左に魚、右にエビを入れて、野菜を散らす。
さらに、招かれざる客が来た時は、
鍋の手前に、特大の肉団子を入れるそうだ。
鍋を囲むと、人と人の距離は
縮まっていくものだが、
「早く帰れ」と、人を遠ざける鍋もある。
鍋の世界は、鍋の底よりも深い。
茂木彩海 18年1月28日放送
yoppy
鍋の話 宵から食べる宵夜鍋
ホウレンソウと豚肉を鍋に入れて
醤油かポン酢でいただく。
あまりに簡単すぎて料理店では出ることの無い
「宵夜鍋(じょうやなべ)」。
「宵夜鍋」の「じょう」には毎日食べられるという意味で「常(つね)」
という漢字を当てるのが一般的だが、
かの食通、魯山人の著書では、宵のうちから食べ始めても夜じゅう
食べ続けてしまうことから、「宵(よい)」の漢字を当てている。
いいかね、料理は悟ることだよ、拵(こしら)えることではないんだ。
魯山人が言うように、
丁寧に作られたものよりも、シンプルで素朴な味付けが、
時に究極のレシピとなるのだろう。
茂木彩海 18年1月28日放送
cozymax5454
鍋の話 韋駄天コタツの豆乳鍋
森見登美彦の小説の中には
常軌を逸したモノが入った闇鍋や、
とてつもなく辛いのに綿入れを着ながら食べなければならない火鍋など
個性的な鍋が数多く登場する。
ベストセラーとなった小説
「夜は短し歩けよ乙女」の作中には
屋外で通りがかる人を炬燵に誘い、豆乳鍋を無許可でふるまう
「韋駄天コタツ」と呼ばれる神出鬼没な集団が描かれる。
この韋駄天コタツ、実はその昔
京都大学に実在したと言われている。
寒空の下こたつに入って食べる豆乳鍋とは、どんなものか。
そのやさしい味を、いつか味わってみたいものだ。
伊藤健一郎 18年1月27日放送
Drew de F Fawkes
リンキン・パークの話(リンキンの音)
移民の国、アメリカで生まれたロックバンド、リンキン・パーク。
彼らの音は、ラウドロックやヒップホップなど、様々なルーツをもつ。
だからだろう。生み出したアルバムには、そのつど異なる人格が宿った。
賛否両論こそ繰り返されたが、結局、世界はリンキンの音を無視できなかった。
これは「good goodbye」の一節。
暗闇に サヨナラを言わせてくれ
そして奴らに伝えてほしい
俺はむしろ星が瞬く この場所にいる
伊藤健一郎 18年1月27日放送
リンキン・パークの話(ピザ屋の写真)
リンキン・パークのボーカル、チェスターが自殺して半年。
メンバーのマイクは、チェスターが加入した日のことを、SNS上で語った。
97年か98年…
僕らはUCLAの近くのピザ屋に行って、
次に何をするのかを話し合ったんだ。
その当時バンド名はXeroで、曲も6曲くらいしかなかったと思う。
チェスターも、炎のタトゥを入れてなかったし、赤毛でもなかった。
投稿には、そのときピザ屋で撮った写真がそえられていた。
リンキン・パークという名前さえ持っていない頃、
いちばん隅ではにかむチェスターがいた。
伊藤健一郎 18年1月27日放送
リンキン・パークの話(復興ライブ)
2011年、8月31日。
リンキンパークは、シークレットライブを開いた。
参加条件は、東日本大震災への寄付金を500ドル以上集めること。
ボーカルのチェスターは、こう語った。
せわしない日常を送っていたり、異なる境遇にいる人たちは、
どうしても被災者の存在を忘れてしまう。
でも、自然災害は立ち直るのに長い時間がかかるわけで、
抱いた想いを風化させないために今回の企画を考えた。
日本のために、多くの人に呼びかけてくれたチェスターの死から、およそ半年。
彼の歌声は、この冷えきった世界で、今日も誰かを温めている。
伊藤健一郎 18年1月27日放送
リンキン・パークの話(死者のミュージックビデオ)
リンキン・パークの曲「not alone」。
そのミュージックビデオには、たくさんの死体が登場する。
すべて本物。2010年に起きたハイチ地震の惨状を
ありのままに伝えようと作られたからだ。
彼らは歌う。
あなたは進む 過去を手放し 故郷を捨てて
ゆけ 見ている人はいる あなたはひとりじゃない
情報は風化する。
けれど、彼らの曲が生きている限り、
あの日の真実が忘れ去られることはない。
伊藤健一郎 18年1月27日放送
Gansb
リンキン・パークの話(悪夢)
オマエが 俺のことを 所有物のように扱おうとも
オマエが俺とともに 戦ってくれていた頃を思うと
よくここまで こじれたもんだと驚くよ
リンキン・パークのボーカル、チェスターは、
7歳から13歳まで、年上の友達から性的虐待を受けていた。
その悪夢は大人になってもつきまとい、
チェスターはドラッグに溺れることになる。
必死にここまで頑張ってきた
でも最後には そんなことどうでも良いんだ
全てを失うには落ちるしかなかった
チェスターの自殺から半年。
悪夢と決別するために書いたとみられる「In The End」は、
Youtubeで4億7千万回以上も再生されている。