澁江俊一 18年1月21日放送
eliduke
探検家のクリエイティビティ
探検家は、
あきらめることが苦手だ。
日本人で初めて南極点に到達した
村山雅美(むらやままさよし)は
南極の氷の上に研究棟を建てる
という任務を前に、途方に暮れていた。
氷の上では基礎が打てないと、
建築業界は軒並み参加を辞退。
しかし村山は、あきらめなかった。
解決してくれたのはテント屋さんです。
年中、零度以下の南極は、
パイプを組んで水で凍らせば基礎はびくともしない、
その発想ですべて解決しました。
みんな大笑いして、手を打ったものですよ!
村山はまた、こうも語る。
追いつめられたときの多数決は
大変危険です。
気弱になった集団の多数意見は、
往々にして誤る。
正解のない時代に、
冒険家に学ぶことはとても多い。
澁江俊一 18年1月21日放送
探検家のものさし
探検家は、
自分だけのものさしを持っている。
日本中を旅したのち
28歳で初めて蝦夷地に渡り
6度もの探検をした松浦武四郎。
そこで出会ったアイヌ民族に
「彼等の人格には尊い部分が少なくない」
と気づかされる。
当時幕府は、
アイヌには儒教道徳が行き渡っていないため、
これを「教化」すべしと考えていたが、
松浦は自分のものさしで
アイヌに触れ、アイヌを愛した。
常識にとらわれない松浦は
吉田松蔭さえ「奇人」と呼ぶほどであった。
松浦はまた
北海道の名付け親でもある。
カイという言葉はアイヌ語でもあり
アイヌへの愛を込めたと言われている。
澁江俊一 18年1月21日放送
Great Himalaya Trails
登山家の黒子たち
真の登山家とは
どんな人であるべきか。
エベレストに挑む登山家のために
山頂までのルートを開拓し
ベースキャンプまで
物資を運ぶシェルパたち。
生活のために山に登る
彼らの名が、
表舞台に登ることはない。
世界最高峰のエベレスト。
その最多登頂者は2名。
どちらも生活のために登ったシェルパだ。
その回数は、なんと21回。
彼らがいなければ、
誰も最高峰に
たどり着くことはできなかった。
澁江俊一 18年1月21日放送
探検家の失敗
探検家は、
失敗した時こそ強い。
20世紀初頭に
イギリスの南極探検隊を率いた探検家
アーネスト・シャクルトン。
南極大陸の初横断を目指すも失敗。
極限の寒さと乏しい食料の中、
28人のメンバーが南極圏に取り残された。
シャクルトン以下6名の乗組員が
小さな救命艇に乗って、
南極海を1,500キロに渡り航海。
やがてシャクルトンは残された乗組員を救出しに戻り、
一人の命も落とさず全員が生還した。
目標を失ってしまったら、 新しい目標を 目指せばいいんだ。
その切り替えの早さが、
シャクルトンを英雄にした。
田中真輝 18年1月21日放送
未知の発見
歴史上、科学革命の転機となった探検がある。
それは、アメリカ大陸の発見。
中世の地図に、余白はない。
つまり中世には、自分たちが知っていることが
すべてだったのだ。
コロンブスは、未知の大陸を発見したとき、
その地をインドだと信じ、そこで出会った人々を
「インディアン」と呼んだ。
そして彼は死ぬまでそこをインドだと信じていた。
その後、何度かのアメリカ大陸探検に参加した
アメリゴ・ヴェスプッチは、その地をインド
ではない「未知の大陸である」と初めて記した。
そして史上初の「空白のある地図」が発売される。
これによって、ヨーロッパ人は「未知」という
概念に目を向け、それを征服したいという欲望と
ともに、猛烈に新しい知識を求め始めた。
探検による「未知」の発見が、近代科学革命を
もたらしたのである。
田中真輝 18年1月21日放送
探検の時代
誰もが自宅にいながら、ネットで、
地球上の隅々まで見ることができる現代。
この星に探検すべき場所などあるのだろうか。
人類が探検すべき新たなフロンティアは、宇宙ではなく
地球に存在する、と語るのは英国人探検家、
ロビン・ハンベリーテニソン。
彼が考える新たなフロンティアは、
熱帯雨林の樹冠部、洞窟、サンゴ礁の三つ。
彼は言う。
「探検家にとって重要なことは、その場所に
初めて到達することではない。重要なことは、
その場所について深く理解し、学ぶことである」と。
彼は「探検はこれまで以上に求められている」と語る。
なぜなら、探検によって新たな発見がなされる前に、
それらの場所が、急速に破壊されつつあるからだ。
その意味では、現代こそ、かつてないほど探検が
求められている時代なのかもしれない。
田中真輝 18年1月21日放送
pictinas
探検という生き方
「冒険とは生きて帰ること」
日本を代表する偉大な探検家、植村直己の言葉である。
彼は不屈の精神で偉業を成し遂げ続けた。
常に自分の夢に誠実であり続けた植村が、
マッキンリー単独登山で帰らぬ人となる1年前、
野外学校で子供達に語った言葉がある。
「僕らが子供のころ、眼に映る世界は新鮮で、
すべてが新しかった。やりたいことはなんでもできた。
ところが年をとってくると疲れてくる。
世界の美しさを見ようとしなくなってしまう。
でも、僕はいつまでも子供の心を失わずに
この世を生きようと思う。
いいかい、君たちはやろうと思えばなんでもできるんだよ」
彼にとって探検とは、世界の美しさを
常に感じながら生きるための、代替不可能な生き方
だったのだと思う。
田中真輝 18年1月21日放送
探検家という悪魔
探検家は、時に征服者でもあった。
1519年、スペイン人探検家、エルナン・コルテスは
メキシコに上陸する。
先住民族アステカ人に比べ、
コルテスたちスペイン人は、あまりに多くのことを知っていた。
世界には、未知の人々が住む未知の場所があり、その場所を
征服することが、新しい知識と莫大な富を生むことを知っていた。
そして彼らは速やかにアステカの王、モンテスマを捕虜にし、
たった550人足らずで、何百万もの民を擁するアステカ帝国を
内部から引き裂き、征服する。
探検家によって得られた知識や富を抜きにして、近代科学の発展は
なかっただろう。
しかし一方で、探検家は、略奪者であり文明の破壊者でもあったのだ。
中村直史 18年1月20日放送
寒さの季節に 中村草田男
きんと澄み切った空気。
見上げれば輝く星。
昭和の俳人中村草田男(なかむらくさたお)は
そんな冬の夜の星を
寒い星と書いて寒星(かんせい)と詠んだ。
寒星(かんせい)や神の算盤(そろばん)ただひそか
冷え切った夜。
きらめく星。
不変のリズムで動き続ける天体。
空を見上げ、立ちすくむ私。
人知を超えた
はるかな時間が、
寒々と広がっている。
寒星(かんせい)や神の算盤(そろばん)ただひそか
三島邦彦 18年1月20日放送
葱
寒さの季節に 西郷隆盛と黒田博樹
西郷隆盛は晩年、
親戚の青年に
こんな言葉を贈った。
雪に耐えて梅花(ばいか)麗し
梅の花の美しさは、
雪降る寒さを耐えた先にある。
この言葉、
100年の時を経て、
一人のプロ野球選手の座右の銘となった。
元広島カープ、黒田博樹投手。
高校時代は控え投手だったが
大学で力をつけ広島に入団。
低迷期にあったチームを支え、
メジャーリーグに挑戦。
そして再び古巣に戻り、
日米通算200勝という大きな花を咲かせた
雪に耐えて梅花(ばいか)麗し
今日は大寒。
梅の季節はゆっくり近づきつつあります。