佐藤理人 17年12月30日放送

171230-05

パーティアニマルズ 「マイケル」

世界最大のパーティ会場はどこか。

答えはカリフォルニアにある
マイケル・ジャクソンの自宅。

千代田区と同じ広さの敷地に彼は、
動物園と遊園地と宝物を集めたおもちゃ部屋を作った。

大好きなアニメ「ピーターパン」にちなんで、
その場所は

 ネバーランド

と名付けられた。

毎朝ベッドルーム越しにフラミンゴが見える、
夢の国の維持費はひと月7000万円。

マイケルの財政はあっという間に破綻、
ネバーランドは120億円で売りに出された。

彼の死後、買い手はまだ見つかっていない。

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松岡康 17年12月24日放送

171224-01

大きすぎたプレゼント

今夜はクリスマスイブ。
たくさんの人が贈り物を用意しているだろう。

土佐の戦国大名、長宗我部元親。
彼は豊臣秀吉に驚きのプレゼントをしたという。

天下人となった秀吉の元には
毎日大名たちから贈り物が届いていた。

秀吉の懐に入りたい元親は、
なんとクジラをプレゼントしたのだ。

地元土佐で獲れたクジラを大坂まで送り、
同時に土佐料理もふるまった。
派手好きの秀吉は大喜びしたという。

クジラ。なんとも迫力のあるプレゼントだ。

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澁江俊一 17年12月24日放送

171224-02

作家の恩送り

もらった恩を返すのが「恩返し」。
もらった恩を他の人に送るのが「恩送り」。

作家の井上ひさしは
中学の頃、生まれて初めて
英和辞典を万引きし、
書店のおばあさんに捕まった。

そのおばあさん
ひさし少年を厳しく諭し、
薪割りをさせた上で、その辞書をくれた。
しかも薪割り代金の残りまで。

返し切れないほどの
恩を感じたひさし少年は
後に作家になると、その書店があった町で
無料の文章教室を開いた。

さて、今夜あなたも、
誰かにもらった恩を
別の誰かに送りませんか?

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澁江俊一 17年12月24日放送

171224-03

玉手箱の理由

今夜たくさんの誰かが
誰かに贈りものをするだろう。

誰もが知っていて
しかし誰もがそれをもらった理由を不思議に思う
そんな贈りものといえば
浦島太郎の玉手箱。

なぜ亀を助けたお礼に
乙姫さまは玉手箱を渡したのか?
なぜこの意外な結末がこんなにも時を超えて
語りつがれているのか。

正解はない、ただ解釈だけがある。

こんな解釈もある。

 三百歳になったのは、
 浦島にとって、決して不幸ではなかったのだ。
 年月は、人間の救いである。
 忘却は、人間の救いである。

太宰治「御伽草子」の浦島さん
という文章の中の言葉である。

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礒部建多 17年12月24日放送

171224-04

2人を繋ぐ贈り物

贈り物は、時に、
離れた2人を繋ぐ絆となる。

坂本龍馬は家に妻のおりょうを残し、
長く家を空けることが多かった。

寂しさを募らせるおりょうに、
龍馬は大きな贈り物を渡した。
長さ2尺もの月琴。添えられた手紙には
「我が身と思うて、膝に抱かれたく。」と記されていた。

龍馬の約束を信じ、おりょうは一人稽古を続けた。
しかし、1867年11月15日、龍馬は暗殺されてしまう。

本当に離れ離れになってしまった2人。
おりょうにとって、その月琴は、
かけがえのない龍馬そのものだったことだろう。

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奥村広乃 17年12月24日放送

171224-05

愛する人への贈り物

好きな人の気をひくために贈り物をする。 
そんな経験が誰にでもあるのではないだろうか。 

童話の王様、アンデルセン。 
『人魚姫』『みにくいあひるの子』『マッチ売りの少女』など、 
多くの童話を残している。 

そんなアンデルセンが愛する女性へ贈ったもの。 
それは、彼の自伝。 
生い立ちから過去の失恋話まで赤裸々に語られていたという。 
その書き出しは、 

「目に見えない愛の手が私を導いていることを、身にしみて感じる」 

詩人としても名高いアンデルセン。 
どんなに美しい文章を持ってしも、 
意中の女性の心を射止めることはできなかった。 

贈り物を選ぶときは、 
相手の気持ちが何よりも大切なのだろう。 
70歳で亡くなった彼は、 
生涯独身だった。

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奥村広乃 17年12月24日放送

171224-06

妻への贈り物

ありがとうと、口にするのは時に恥ずかしい。 
長年連れ添った夫婦ともなれば、なおさらだ。 

日本植物学の父、牧野富太郎(まきのとみたろう)。 
彼が命名した植物は2500種以上、 
残した植物標本は50万点。 
その素晴らしい功績の裏で、 
日々の生活は楽ではなかった。 

それを献身的に支えたのが、妻の壽衛(すえ)だった。 
彼女が亡くなった翌年。 
牧野博士は、自身が発見した新種の笹に、 
妻への感謝の気持ちを込めて名前をつけた。 
その名は、スエコザサ。 

彼は、こんな歌も読んでいる。
 
「家守りし 妻の恵みや わが学び 
 世の中の あらん限りや スエコザサ」 

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松岡康 17年12月24日放送

171224-07

100年後の恩返し

1985年イラン・イラク戦争。
フセインは、48時間後からイラク上空を飛ぶ飛行機を
無差別に攻撃すると宣言を出した。

イラクの日本人を救出しなければならない。
その時、トルコ航空の飛行機が来て日本人全員を救出した。

なぜトルコなのか。
当時の駐日大使であるウトカン氏は語った。

 100年前和歌山県沖で起きたエルトゥール号の事故に関して
 日本人がしてくださった献身的な救助活動を、
 今でもトルコ国民たちは忘れていません。
 だからこそ、テヘランで困っている日本人を助けようと、
 トルコ航空機が飛んだのです

イラクに来た飛行機は
100年前に起きた事故の恩返しだったのだ。

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川野康之 17年12月23日放送

171223-01

正岡子規が大好きだったベースボール

正岡子規、幼名のぼる。
故郷松山を出て上京し、第一高等学校に通ううち、ベースボールを知った。
下宿の部屋で、手を挙げて高く飛んだり、手を下げて体を落としたり、
面白そうに球の受け方の真似をしていたという様子が伝えられている。

 球うける極秘は風の柳かな

フライを受けるコツを詠んだ句だと思われる。

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川野康之 17年12月23日放送

171223-02

正岡子規が大好きだったベースボール

正岡子規、幼名のぼる 。
ベースボールの面白さにはまり、寄宿舎の友人たちを集めてチームを作った。
門前の道路を隔てた空き地が彼らのフィールドだった。
子規のポジションはキャッチャー。ときどきピッチャー。
左利きだが、投げるときは右だった。

 九つの人九つの場を占めてベースボールの始まらんとす

プレー前のはやる気持ちが伝わってくる。

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