大友美有紀 17年12月3日放送

171203-02

「失踪までとその後」アガサ・クリスティー 詩

アガサ・クリスティーは子どもの頃から、
折にふれ詩を書いていた。

 あたしの仲よし
 キバナノクリンザクラ
 ちいさいけれど、かわいい花。
 なのに、あるとき高望み、
 ブルーベルになりたくて
 青いコートが着たくって

 
11歳の時に書いた詩の出だしだ。
少女らしい、けれど、何者かになりたいという
願望が垣間見える。
アガサは生涯で2冊の詩集を出版した。
30代半ばと80歳を超えた頃。
失踪前と、遥かな年月が過ぎた頃。
そこに現れている心情の違いを、読んでみたい。

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大友美有紀 17年12月3日放送

171203-03

「失踪までとその後」アガサ・クリスティー 戦前の社交界

アガサ・クリスティー、17歳。
フランスの花嫁学校で2年間過ごしたあと、
上流社会の女性として巣立つ準備をしていた。
けれど、父を亡くして、ロンドンの社交界に
デビューする余裕はなかった。

 それでも母は、私が若い娘の生得の権利
 ともいうべきものを行使するように
 願ってやまなかった。
 つまり、チョウがサナギから脱け出るように、
 女学生から脱して広い世間に通用する
 若いレディになるべきだ、そして、
 他の若い女性や多くの男性とも会って、
 率直に言えば、適当な配偶者を見つける
 チャンスが与えられるべきだ、というのだった。

アガサは母とともにカイロで一冬を過ごし、
冬の社交場に顔を出すことにした。
パーティーに乗馬、アガサは社交界を大いに楽しんだ。
しかし戦争が始まり、その楽しい時代は4年しか続かなかった。

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大友美有紀 17年12月3日放送

171203-04

「失踪までとその後」アガサ・クリスティー 薬局にて

 ここにあるのは、眠りとなぐさめ、
 苦痛からの解放—
 そして勇気と、新たな活力! 
 ここにあるのは、危険と殺人と突然の死!
 これら緑色と青色の小瓶のなかに

 
この詩は、第一次世界大戦中、薬剤師として教育を受けた時を
思い出して書かれたもの。
アガサ・クリスティーは、幸せな子ども時代と、
夢のような社交界の日々ののち、
仕事で劇薬に接するようになった。
スリルが生活にもたらされることによって、
最初の探偵小説のアイデアがひらめいた。
そして、その道は1926年の失踪にも続いていた。

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大友美有紀 17年12月3日放送

171203-05

「失踪までとその後」アガサ・クリスティー 結婚

アガサは22歳のとき、23歳のアーチー・クリスティーと出会う。
背が高く均整のとれた体つき、短く刈り上げた縮れた金髪、青い目。
颯爽とした男性だった。陸軍航空隊入りを志願していた彼は、
入隊を認められるとアガサに結婚を申し込んだ。

 ぜひぼくと結婚してくれ、ぜひとも僕と結婚してくれ。

アガサも結婚を望み、母に許しを請うが、まだ早いと認められない。
1914年夏に戦争が始まった。
アーチーはフランスへ送られ、アガサは病院で働きはじめる。
クリスマス休暇で帰国したアーチーは、戦争のまっただ中で
生きることに恐怖を感じていた。
病院でたくさんの傷病兵をみてきたアガサは
アーチーが心配でたまらなかった。
1914年のクリスマス・イブ、特別許可を得て、二人は結婚した。
戦争の緊張と緩和がもたらした婚姻だったのかもしれない。

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大友美有紀 17年12月3日放送

171203-06

「失踪までとその後」アガサ・クリスティー 結婚と出版

戦争が終わり、アガサ・クリスティーの結婚生活が始まった。
ロンドンにフラットを借り、子どもも生まれ、アーチーは、
仕事を得た。平凡な若い夫婦だったが、幸せだった。

 わたしは愛する人と結婚し、子どもを持ち、
 住むところもある、そしてわたしの見る限り、
 今後いつまでも幸せに暮らせないわけはないと思われた。

アガサの幸福はまだ続く。
最初の探偵小説「スタイルズ荘の怪事件」の出版が決まったのだ。
こうしてアガサは長い自分の仕事への道を踏み出すことになった。

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大友美有紀 17年12月3日放送

171203-07

「失踪までとその後」アガサ・クリスティー 失踪

アガサの結婚生活は、それなりに順調だった。
しかし、最愛の母が亡くなってしまう。悲しみくれながら、
死の後始末をするが、夫のアーチーは手を貸そうとしない。

 わたしは頭が混乱し、あれこれへまをやるようになってきた。
 まったく空腹をおぼえなくなって、食べるものが次第にへっていった。

そのうえ、やっと姿を現した夫からは離婚をきりだされる。
1926年12月3日。アガサは夜中に車で家を出たまま姿を消してしまう。
翌日、郊外の小道の脇で車が発見される。
彼女の姿はなく、免許証とスーツケースと毛皮のコートだけが残されていた。
失踪は報道され、大捜査がおこなわれ、殺人も疑われた。
ところが10日後、ヨークシャー州のホテルでアガサが発見される。
自分が誰なのか、どうしてそこにいるのか思い出せない状態だった。

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大友美有紀 17年12月3日放送

171203-08
Epistola8
「失踪までとその後」アガサ・クリスティー その後

ヒステリー性遁走。アガサの失踪を当時の医者は、そう診断した。
このうえない幸福のあとに訪れた、抱えきれない絶望。
自伝には失踪のことは書かれていない。

かわりに
 
 自分の一生であった旅のことを振り返ってみるとしたら、
自分のきらいな記憶を無視する資格があるものだろうか?
 それとも卑怯だろうか?

 
という一節がある。

何年かのち、アガサは、初めてオリエント急行の旅に出る。
気分を変え、再出発するために。
そして、この旅で2度目の夫となる考古学者の
マックス・マローワンと出会うのだ。

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佐藤延夫 17年12月2日放送

171202-01

絵本作家の心 レオ・レオーニ

オランダ出身の絵本作家、レオ・レオーニ。
29歳のときアメリカに亡命し、
広告代理店や新聞社でグラフィックデザイナーとして働いた。
絵本作家という肩書きでデビューしたのは、49歳。
ある日、孫にお話をせがまれたとき、
その絵本は、偶然に生まれた。
水彩画の抽象的な青と黄色。
いびつな物体が登場人物だ。
「あおくんときいろちゃん」。
世界で愛され続ける名作となった。

どの世界でも言えることだが、
本人が楽しんで創ったものほど
良い作品が多いのはなぜだろう。

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佐藤延夫 17年12月2日放送

171202-02

絵本作家の心 レイモンド・ブリッグス

漫画のようなコマ割りの手法で
絵本の新しい分野を切り開いたのは、
イギリスの絵本作家、レイモンド・ブルックス。

「絵本が唯一の私の表現手段だ。」
そう語るとおりに、
作品にメッセージをちりばめる。
現実的な世界と、ファンタジー。
その両方を描き分ける彼の作風は、
子供だけでなく大人の読者も視野に入れている。

「さむがりやのサンタ」、「スノーマン」など、
彼の代表的な作品は、この季節に読みたくなる。

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佐藤延夫 17年12月2日放送

171202-03
Gianfranco Goria
絵本作家の心 アネット・チゾン&タラス・テイラー

世界で最も有名なキャラクターのひとつ、
バーバパパが生まれたのは、
フランスの小さなカフェだった。
そのとき設計士をしていたアネット・チゾンと、
まだフランス語を話せなかった、タラス・テイラー。
テーブルに敷かれていた紙に
落書きのように絵を描いていたら、
あの独特のキャラクターが誕生した。
ちなみに「バーバパパ」とは、
フランス語で“おじいさんのひげ”または“綿菓子”を意味する。
ある日、公園で偶然聞こえてきた「バーバパパ」という言葉は、
ピンクの綺麗な綿菓子のイメージと重なり、
愛すべきキャラクターの名前になった。

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