渋谷三紀 17年11月11日放送

171111-05
Isadora Siqueira
きょうのはなし「まつげ」

ご存知ですか?
きょう11月11日は、まつげの日。

濃く、長く、くるんと上向きのまつげは
女性たちの憧れ。
メイクアップに欠かせないマスカラは、
スペイン語で“仮面”という意味。
「きれいになあれ。

マスカラは、女性が女性自身にかける
ひとぬりの魔法なのでしょう。

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大友美有紀 17年11月5日放送

171105-01
K-nekoTR
「猫は一生の伴侶/大佛次郎」のべ500匹以上

大佛次郎。時代小説「鞍馬天狗」、
ノンフィクション「パリ燃ゆ」、
現代小説、随筆、戯曲など幅広い文筆活動を続けた。
同時に大変な猫好きだった。
妻によると生涯で飼った猫は、のべ500匹以上。
「通い」と「住込み」合わせての数。
「住込み」は常に10匹から15匹はいた。

 一匹の猫なら可愛らしいが、
 十五匹となるともう可愛らしくない。

 
そう言いながらも、
膝の上で猫が眠ってしまうと、
可哀想だからと、用があっても、
立ち上がらなかった。

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大友美有紀 17年11月5日放送

171105-02

「猫は一生の伴侶/大佛次郎」始まりの猫

文筆家・大佛次郎が、
小学校に上がったばかりの頃。
引っ越した先の家に
前の住人の飼い猫がいた。
荷物が片付かない家の中に
黙って入ってきて、台所の板の間に
うずくまって離れなかった。

 冬になると必ず僕の床の中に入ってきて寝たし、
 僕が外から帰ってくると、
 足音で玄関まで迎えにきたくらいよく慣れていた。

 
この猫が亡くなると、女中が庭の隅に埋めてやった。
大佛は、猫のことを思い出すと誰にも見つからないように
墓へ行き、土を撫でてやった。
これが大佛と猫との交渉の始まりだった。

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大友美有紀 17年11月5日放送

171105-03
Barb Henry
「猫は一生の伴侶/大佛次郎」アバレとアバ子

文筆家・大佛次郎は、あるときシャム猫を
貰い受けることになっていた。
妻は、家にいる猫たちと上手くいくかどうか心配している。
知り合いの飼っているシャム猫が、
他の猫の耳をかじった話などする。
大佛もだんだん不安になる。

 30分経つと、妻はバスケットをさげて笑いながら
 飛び込んできた。寝台の上に置かれて
 バスケットは開ける前から、がさがさと動く。
 蓋をひらくと、耳と鼻柱だけ焦げたように
 くっきりと濃い顔がふたつ、
 きょろりと狸のような顔を出した。
 ちいさい、ちいさい!
 それに何て、とぼけた顔だ。
 僕は声を上げて笑い出す。

2匹のシャム猫は元気いっぱい。
雄は「アバレ」、雌は「アバ子」と呼ばれて、
大佛家の「住込み」猫の仲間になった。

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大友美有紀 17年11月5日放送

171105-04
vapour trail
「猫は一生の伴侶/大佛次郎」15匹まで

 猫が15匹以上になったら、
 おれはこの家を猫にゆずって
 別居する。

 
文筆家。大佛次郎は、猫好きだったが
あまりに多いのも困ると、15匹までの制限を付けた。
あるとき、数えてみたら16匹いたことがあった。

 「おい、1匹多いぞ。俺は家を出るぞ」と言ったら
 「それはお客様です。ごはんを食べたら、
  帰ることになっています」と女房が言う。

「通い」の猫にも餌をやっている。
妻の方も、大佛に輪をかけて、猫好きだった。

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大友美有紀 17年11月5日放送

171105-05
inefekt69
「猫は一生の伴侶/大佛次郎」スイッチョ猫

 私は物など書かないで
 ネコのように怠けて日だまりで寝ていたい。

文筆家・大佛次郎は、
若い時分からネコになることを望んでいたという。
別に書きたいものなく筆を執っていたともいう。
自分の一代の傑作は、ほんとうは終戦後に書いた
「スイッチョ猫」という童話だと。
子猫が庭で遊んで、あくびをしたら、
虫がとびこんでしまい、しばらくお腹の中で鳴くお話。
一緒に暮らす猫を見ている間にできた。

 うずくまっているねこを見まもっていて、
 かれが今、何を考えているのか
 人間のわたくしが想像すると楽しいのでした。

「スイッチョ猫」は珍しく、書いたものではなく
生まれたものだったと言った。

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大友美有紀 17年11月5日放送

171105-06
TKY
「猫は一生の伴侶/大佛次郎」風呂の猫

文筆家・大佛次郎の家にはつねに10匹以上の猫がいた。
そのなかで、どうしても他の猫と一緒にいない女猫がいた。
離れて浴室に住んでいる。
寒い時分は、湯船の蓋の上に寝ている。
大佛が「おい、どけよ」といってもどかない。
蓋を2枚ほど開けても座ったまま。
仕方がないので、大佛は小桶で湯を汲んで浴び、
結局は、湯船に入らずに出てきた。

 あとで考えて、おれもおかしな男だ、
 猫に遠慮することもないのに、と思った。

優しい猫好きさんが、
湯冷めしたかどうかは、
わからない。

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大友美有紀 17年11月5日放送

171105-07

「猫は一生の伴侶/大佛次郎」荷札

猫好きの文筆家・大佛次郎は、
家で飼う猫は15匹まで、という制限をつくっていた。
それ以外は、外猫、「通い」の猫だ。
庭に猫が捨てられていることもよくあった。
鈴をつけた子猫がよく庭に遊びにきていた。
どこから遊びに来るのかと思って、ある日、

 君ハドコノネコデスカ

と荷札に書いてつけてやった。
3日ほどたってまだ札をさげているから取ってやると

 カドノ湯屋の玉デス、ドウゾ、ヨロシク

と返事が書いてあった。
捨て猫ではなかった。
よかった。

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大友美有紀 17年11月5日放送

171105-08

「猫は一生の伴侶/大佛次郎」遺言

猫好きの文筆家・大佛次郎は、
75歳でこの世を去った。
亡くなる4日前、妻と養女とを
病室に呼び遺言を伝えた。
その際、大佛家の今後の猫の飼い方に
注文をつけた。
 
 猫は5匹以上に増やさない。
 贅沢をさせない、
 十分に食べられない人たちもいるのだから

 
猫についての遺言は守られなかった。
大佛の妻が亡くなった時、
12匹の猫が残されていた。
大佛と一緒になる前は、猫に少しも興味はなかったのに。

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佐藤延夫 17年11月4日放送

171104-01
inefekt69
作家と京都 夏目漱石

夏目漱石は、生涯で四回、京都を訪れている。

最初は26歳の夏、親友の正岡子規とともに。
そのとき衝撃を受けたのは、
初めて口にする食べ物「ぜんざい」だった。
汁粉に目がない漱石は、その味を絶賛している。
41歳の冬。二度目の京都では、
厳しい寒さに舌を巻いた。
その後も、43歳の秋。
亡くなる前の年、49歳の春にも京都を旅している。
そして、こんな言葉を残した。

「見る所は多く候 時は足らず候。」

11月の京都は、
時間がいくらあっても足りなくなりそうだ。

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