佐藤延夫 17年11月4日放送
Thilo Hilberer
作家と京都 井上靖
井上靖は、青春時代を京都で過ごした。
学生のころ、同じ下宿の親友と何度も訪れた龍安寺。
石庭の静寂とした美しさに、永劫不変の命を感じた。
大阪の新聞社に勤めてからも、
仁和寺の仁王門をくぐりにわざわざ出向いている。
そのためか、京都を舞台にした作品は多い。
短編に登場する「きぬかけの道」。
龍安寺と仁和寺を結ぶこの道は、
彼の散歩道でもあった。
11月の京都は、歩いても歩いても、歩き足りない。
佐藤延夫 17年11月4日放送
tetsukun0105
作家と京都 与謝野晶子
歌人、与謝野寛は、弟子二人を誘い、秋の京都に向かった。
弟子のひとりは、鳳晶子だった。
三人は永観堂で紅葉狩りを楽しんだあと、
寛の定宿、華頂温泉に泊まった。
その日、晶子が詠んだ歌は、
今も永観堂の境内、弁天池に残されている。
秋を三人(みたり) 椎の実なげし 鯉やいづこ 池の朝かぜ 手と手つめたき
明治33年11月5日のことだった。
翌年の正月、晶子と寛は再び京都で落ち合い、
密かに愛を育んでいる。
11月の京都は、内なるものを駆り立てるのだろうか。
佐藤延夫 17年11月4日放送
heiyo
作家と京都 谷崎潤一郎
潺湲、という言葉がある。
文字を見ると難しいが、
意味は、水の流れる様子や音のことだ。
作家、谷崎潤一郎は、
京都下鴨に居を構えたとき、屋敷を潺湲亭と名付けた。
石畳を歩き桧皮葺の中門をくぐると、
池泉回遊式の庭が広がっている。
母屋の縁側から橋が通じており、
離れの奥に、滝の流れる築山が見えた。
谷崎はこの地に7年間暮らしたのち、
熱海に転居するのだが、春と秋には必ず京都に赴き、庭を眺めた。
この家を手放すとき、
現状のまま使ってもらいたい、という谷崎の願いは叶えられ、
「石村亭」という名前で、次の持ち主によって大切に管理されている。
京都には、谷崎潤一郎の愛した風景が残っている。
佐藤延夫 17年11月4日放送
どらどら
作家と京都 芥川龍之介
京都は東山区にある青蓮院。
境内の巨大なくすのきが長い歴史を感じさせる。
この庭は、芥川龍之介も好んだという。
室町時代、相阿弥によって造られた庭園は、
粟田山を借景にした池泉回遊式となっており、
紅葉の時期は言葉を失うほどの美しさに包まれる。
芥川は、室生犀星にこんな手紙を送っていた。
粟田口の青蓮院も人は余り行かぬところなれど
夜も小ぢんまりとしてよろし
是非みるべし
現在は境内がライトアップされている。
夜の紅葉も、是非みるべし。
熊埜御堂由香 17年10月29日放送
写真のはなし マン・レイと被写体
写真家としても画家としても活躍したマン・レイが
こんな言葉を残している。
私は絵に描きたいと思わないものを写真に撮る。
それは、すでに存在しているものだ。
被写体がいて、写真家がいる。
一枚の写真の中には、
その関係性が焼き付けられている。
熊埜御堂由香 17年10月29日放送
写真のはなし 操上和美のファインダー
コップ一杯の水で写真が撮れたら、
一流のカメラマンになれますよ。
81歳の現在も活躍を続ける写真家
操上和美はそう言う。
コップに水を入れて毎日観察していると、
水の存在や光との関係、持っている手の形など、
一つの哲学ができてくるという。
ファインダーを外した日常でも、ものをじっくり見る目。
それが写真家の武器なのかもしれない。
薄景子 17年10月29日放送
写真のはなし ポール・モブリ―の写真集
フォトグラファーの、ポール・モブリ―。
彼は100歳を越えるおじいちゃん、おばあちゃんを
70人以上撮影し、ある写真集をつくった。
タイトルは、「もしも100歳まで生きたなら」。
生き生きとした写真に添えられるのは、
激動の20世紀を生きぬいた先輩たちの深い言葉。
「神さまが私をこの世にいさせてくれるの」
という、117歳のおばあちゃん。
「100歳の誕生日にも飛行機にのったよ」
と語る、102歳の元パイロット。
「心の中がどうであれ、常に笑顔を絶やさずにいなさい」
というのは、お互い再婚同士の102歳と104歳。
「ズルだけは、絶対にやってはいけない」
というのは、長年牧場につとめた101歳の人生訓。
この撮影をきっかけに、100歳まで生きることを
自分自身の目標にした、というポール・モブリ―。
彼は、長生きの人には
ある共通点があることに気付いたという。
みなさん、自らが学んできたことを話したがり
人に分け与えようとします。
無口な100歳以上の人はいません。
小野麻利江 17年10月29日放送
写真のはなし ロバート・キャパの視点
20世紀を代表する
報道写真家、ロバート・キャパ。
キャパが向き合い、撮ろうとしたのは、
「戦火の真っ只中で、何が起きているか」。
カメラだけを携えて5つの戦争に従軍し、
名もなき兵士たちを撮り続けた彼は、
こんな言葉を残している。
君がいい写真を撮れないのは、
あと半歩の踏み込みが足りないからだよ
石橋涼子 17年10月29日放送
写真のはなし カメロンの理想の美
写真技術が誕生して間もない時代に活躍した
ジュリア・マーガレット・カメロン。
彼女のキャリアは始まりが遅く、48歳から。
娘夫婦から写真機を贈られたのがきっかけだったという。
しかし、それからは周囲が驚くほどの熱意で写真術を学び、
精力的に制作活動を展開し始めた。
特に彼女が没頭したのが、
ラファエルの描く天使やアーサー王物語を題材にした、
芸術性の強い写真作品だった。
当時、写真は記録のための手段として認識されていたため
彼女の作品には厳しい評価が多かったが
カメロンは自分が理想とする「美」を写真で描くことに
多大な情熱を注ぎ続けた。
写真との出会いを、彼女はこう語る。
私は先人たちの美をすべて捉えたいと切望していました。
そして、ついに、願いが叶ったのです。
カメロンが生まれた家庭は、裕福であると同時に
美人揃いでも有名だったという。
そのなかで比較的地味な娘として育ったからこそ、
彼女の中には独創的で芸術性の高い
「理想の美」が生まれたのかもしれない。
石橋涼子 17年10月29日放送
写真のはなし 多彩なナダール
19世紀ヨーロッパでは、写真技術が確立し、
ポートレートを撮ることが大流行した。
そのなかで有名な肖像写真家が、フェリックス・ナダール。
彼は、ボードレールやドラクロワを始めとする
当時の文化人を多く撮影したが、
決して友人たちのおかげで名を残したわけではない。
ナダール自身が多彩な才能を持っており
ジャーナリストや風刺画家としても活躍しつつ、
熱気球を飛ばして史上初の空中撮影を成功させたり、
人工照明を用いた地下での撮影に挑戦したりと、
様々な試みでパリ市民の注目を集めた人気者だったのだ。
その縦横無尽な活躍ぶりを、ボードレールはこう評している。
ナダールこそ、生命力の最も驚くべき現れだ。