澁江俊一 17年10月15日放送
aftab.
ニーチェ ニヒリズムからの脱出
173年前の今日は、
哲学者ニーチェが生まれた日。
ニーチェは20世紀と21世紀を
ニヒリズムの時代だと予言した。
つまり2017年の私たちは
ニヒリズムの真っ只中を生きているのだ。
安楽がよい、冒険しない、憧れというものを持たない。
それがニヒリズムである。
あなたはどうだろう?
ニヒリズムに浸ってはいないだろうか?
何をしても無駄に思える。
すべてのものには価値がないと感じてしまう。
現代人も陥りがちなこの状況をどう克服して
自らの意志でささやかな幸せをつかみ
よりよい人生にするか。
それはニーチェが挑んだ大きなテーマだった。
真実の山では、
登って無駄に終わることは決してない。
と、彼は言う。
まず意志を持ち行動することが
ニヒリズムから抜け出す第一歩なのだ。
松岡康 17年10月15日放送
ニーチェ SNSとニーチェ
173年前の今日は、
哲学者ニーチェが生まれた日。
彼が残した言葉は、SNS社会を生きる私たちにも
様々な示唆を与えてくれる。
彼は友人についてこう語っている。
できるだけ多くの友人を欲しがり、
知り合っただけで友人と認め、
いつも誰か仲間と一緒にいないと落ち着かないのは、
自分が危険な状態になっているという証拠だ。
SNSでかんたんに友達になってしまう。
友達から、ついついイイね!を欲しがってしまう。
今の私たちを見てニーチェだったらなんというだろうか。
現代にこそ、彼の言葉は必要なのかもしれない。
礒部建多 17年10月15日放送
ニーチェ 孤独と創作
173年前の今日は、
哲学者ニーチェが生まれた日。
「私の一切の努力は、
理想的な屋根裏部屋の孤独を実現することだ。」
ニーチェは、自ら孤独をつくりあげることで、創作に励んできた。
「ツァラトゥストラ」の全篇は、
孤独に捧げられた熱烈な賛歌だと述べている。
しかし、一人の人間としてのニーチェは、
孤独についてこう語る。
「孤独な人間がよく笑う理由を、多分私は最もよく知っている。
孤独な人はあまりに深く苦しんだために
笑いを発明しなくてはならなかったのだ。」
数え切れないほどの孤独を、
ニーチェは創作にぶつけるしかなかったのかもしれない。
礒部建多 17年10月15日放送
ニーチェ 音楽と幸福
173年前の今日は、
哲学者ニーチェが生まれた日。
ニーチェは音楽をこよなく愛していたことでも有名だ。
自身で作曲もしていたし、
音楽の存在が、思索にも影響を与えた。
音楽の与える力を哲学化し、
他の芸術ジャンルに対する優位性を、
声高に主張したのが、「悲劇の誕生」であった。
ショーペンハウアーとヴァーグナーの芸術観の影響を
色濃く引き継いだものでもある。
「音楽がなければ、人生は誤謬であろう。」
ここまで言い切るニーチェは、さらにこうも述べる。
「幸福に必要なものは、ほんのわずかなものでいい。
例えば、一つの風笛の音色でいいのだ。」
宮田知明 17年10月14日放送
はとバスのお話⑤ / はとバスと箱根
箱根の山は、天下の険。
その山に苦しめられたのは、
箱根駅伝のランナーだけではなかった。
創業当時、はとバスの運転士たちの間で
最大の難所とされた場所、それが、箱根。
未舗装の凸凹道で、バスはすぐにパンクや
オーバーヒートを起こした。
箱根行きの前日は、運転士も本社へ泊まり込み、
整備士たちと一緒に車両整備にあたった。
ツアー当日は、整備士たちに見送られ、
さながら戦地へ向かう兵士のような
面持ちで出発したのだという。
ツアーをつくってきた苦労の歴史を知るのも、面白い。
宮田知明 17年10月14日放送
はとバスのお話④ / はとバスのガイドさん
「右手に見えますのが、東京タワーでございます。」
明るく旅を盛り上げる、はとバスのガイドさんたち。
彼女たちの仕事がはじまるのは、
出発時間の2時間以上前。
制服に着替えるところからはじまり、
点呼をし、車内の備品確認。
運転手との打ち合わせ、教本や自作のノートを見直し、
もう一度、その日のコースを予習する。
ツアーが終わると、バスとともに車庫に戻り、
また明日のツアーの予習。
私たちが思っている以上に、バスガイドの仕事は大変だ。
なぜそこまでがんばれるのか。
そう聞かれたときのガイドさんの答えは、
ほとんど同じ。
「お客様の笑顔」。
ガイドさんには頭が下がる。
宮田知明 17年10月14日放送
はとバスのお話③ / はとバスとお茶
「お茶がまずい」
あるとき、バスガイドの1人から伝えられた、
お客様からの苦情。
1994年以降、バブル崩壊のあおりを受け、
はとバスは赤字経営にあえいでいた。
経費節約のために、お客様に出すお茶を
安いものに変えてしまっていた。
1998年に社長に就任した宮端清次は、それを知ると、
以前よりももっといいお茶に変更したという。
一番大切なのはお客様、その次は従業員、最後が、社長。
その年、はとバスは黒字化に成功する。
おもてなしの心は、業績にもあらわれるらしい。
宮田知明 17年10月14日放送
はとバスのお話② / はとバスのコース
東京を歩いていると
見かけない日はない、
黄色のバス、はとバス。
そのコースはいくつあるのか、
ご存知でしょうか?
答えは、一年間で、東京エリアで約250種類、
日本全国では、600種類以上。
東京タワー、スカイツリー、皇居、雷門。
はとバスと聞くとパッとイメージするこれら以外に、
たくさんのコースが存在する。
最近、結構人気なのが、、、
銀座の高級クラブ、ニューハーフショー、ホストクラブ。
バスで帰らず、そのまま延長するお客様もいるらしい。
夜もまた、黄色のバスは、活躍している。
宮田知明 17年10月14日放送
はとバスのお話① / はとバスの名前の由来
観光で、日本を立て直す。
昭和23年8月、終戦間もない東京で、
6台の中古車両とともに
「はとバス」は生まれた。
「はと」の名前にこめられた想いは、
平和の象徴としてのハト、
そして、すべてのお客様が
安全に戻ってくるように、という願い。
観光業は、平和な時代でこそ成り立つもの。
はとバスがたくさん走っている今日は、
東京が平和であるという証かもしれません。
さあ、行楽の季節。
あなたは今年、どんな秋をすごしますか?
森由里佳 17年10月8日放送
海外で暮らす⑧:英国貴族と日本の自然
英国貴族のお嬢様なのに、
日本の古民家での暮らしを選んだ女性がいる。
ベニシア・スタンリー・スミスさん。
去年、NHKの取材に応じ、こうコメントした。
「コンクリートが、セメントが増えて、だんだん土が少なくなって、
みんな忙しくて、コンビニでご飯買って食べて。
・・・日本はどうなっちゃうんだろうって思う」
そう言う彼女が住むのは、京都・大原。
庭には、いちじく・枇杷などの木や、
シソ・みょうがなどのハーブであふれている。
テレビを見て、
自分の暮らしを真似る人が出てくれたらいいと思い、
出演を決めたという彼女。
彼女の生まれと今の暮らしは、一見、正反対に思えるけれど、
その豊かな感性は、
イギリス郊外の自然ゆたかなお屋敷で育ったからこそ、かもしれません。