村山覚 17年9月30日放送
翻訳のはなし 村上春樹
村上春樹。
日本を代表する小説家であると同時に、翻訳家でもある。
翻訳というのは言い換えれば、
「もっとも効率の悪い読書」のことです。
でも実際に自分の手を動かして
テキストを置き換えて行くことによって、
自分の中に染み込んでいくことはすごくあると思うんです。
机の左手に気に入った英語のテキストを置き、
それを右手にある白紙に日本語の文章として立ちあげていく。
村上春樹が翻訳をする理由。
僕は文章というものがすごく好きだから、
優れた文章に浸かりたいんだと思います。
高校時代からアメリカ文学にどっぷりと浸かり、
独特のリズムと文体を確立。
「たまたま日本語で書いているアメリカの作家」とも言われる
彼の小説を、時には英語翻訳版で読んでみるというのも
悪くない選択だ。
藤本宗将 17年9月30日放送
翻訳のはなし 宇田川榕菴
幕末の蘭学者、宇田川榕菴(うだがわようあん)。
津山藩の医師をつとめる宇田川家の養子となった彼は
西欧医学の基礎となる化学や植物学に関心を持ち、
オランダ語の本を翻訳して日本に紹介した。
当時の西洋科学には
日本に存在していない概念も多く、
翻訳は新たな日本語を生み出す作業でもあった。
そのとき榕庵がつくった言葉を
私たちはいまも使っている。
「酸素」や「水素」、「細胞」。
さらには「珈琲」という漢字表記も彼が考案したものだ。
ちなみに珈琲の漢字二文字には、
それぞれ「髪飾り」「玉飾り」という意味がある。
枝に実った赤いコーヒーチェリーが
女性のかんざしに似ていたことから名付けたらしい。
当て字ひとつにもセンスを感じる。
翻訳とは、クリエイティブな作業なのだ。
仲澤南 17年9月30日放送
翻訳のはなし 清水俊二
日本を代表する翻訳家の一人、清水俊二。
彼はその生涯の間に、
2000本近い映画の字幕翻訳を行った。
中でも、1955年の映画「旅情」に、
彼の仕事が見えるワンシーンがある。
恋人がほしいなら、高望みせずに自分と付き合えばいい、と
ある男性がヒロインを口説くのだ。
「ステーキが食べたくても、
飢えているなら目の前の“ラビオリ”を食べろ」
このシーンには、こんな字幕がついた。
「ステーキが食べたくても、
飢えているなら目の前の“スパゲティ”を食べろ」
映画が公開された1955年当時、
日本でラビオリを知る人はほんの僅かだ。
直訳のままでは、字幕がストーリーの邪魔をする。
原作の世界を壊さずに、文化や時代の溝を埋める、
字幕翻訳ならではの技術が生んだ台詞だった。
熊埜御堂 由香 2017年9月24日放送
涙のはなし 涙の味わい
涙は、感情を持つ分泌物と言えるかもしれない。
なぜなら、その時の気分によって
成分が少しずつ違い味も変わるのだ。
悲しい時、嬉しい時は
副交感神経が優位になっていて甘い涙になり、
怒っている時、悔しい時は
交感神経が優位になり
ナトリウムなど電解質が分泌されて塩辛い涙になる。
そう、流れる涙は、よく知っている。
ひとのからだとこころが
しっかりとつながっていることを。
小野麻利江 17年9月24日放送
涙のはなし 殷富門院大輔の涙
見せばやな 雄島(をじま)の蜑(あま)の 袖だにも
濡れにぞ濡れし 色は変はらず
百人一首の中に、こんな恋の和歌がある。
詠み人は、平安時代末期の女流歌人、
殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)。
海女の袖でさえ、
どれほど波しぶきで濡れても
色が変わらないというのに。
あなたのつれなさを嘆く私の涙は
血の涙となり、
袖の色まで変わってしまった。
涙で袖を濡らすだけなら、
まだまだカワイイものよ。
平安時代の恋愛の先輩の、
そんな声が聞こえてきそうな一首である。
茂木彩海 17年9月24日放送
涙のはなし 辻征夫のことば
めそめそしない!
そんなことで泣かないの!
そう言われて育つ子供時代があるからだろうか。
大人にとって、涙はちょっと恥ずかしくて
人に見られたくないもの。
そんな涙について、
詩人、辻征夫はこんな言葉を残している。
泣きたいときにはたくさん泣くといい。
涙がたりなかったらお水を飲んで、泣きやむまで泣くといい。
涙のなかには、ことばで説明できない想いがつまっているもの。
無理矢理止めないで、涙が出るだけ出してやる。
そんな表現方法が、気持ちを落ち着かせることだってある。
薄景子 17年9月24日放送
涙のはなし ミシェル・ド・モンテーニュの言葉
自分の琴線にふれる
映画や音楽に出会ったとき。
言葉にならない感情がこみあげて、
涙が洪水のようにあふれだす。
そんな経験は誰しもあるもの。
そして、思いっきり泣いた後は
胸のもやもやまですっきりとして
心地よい爽快感に包まれる。
涙には、そんな
不思議な浄化力があるのだ。
フランスの哲学者、
ミシェル・ド・モンテーニュは言った。
「泣くことも一種の快楽である」と。
気持ちがざわめくときは、
泣ける映画や音楽の力を借りて
泣けるだけ泣いてみるのはどうだろう。
自分の涙は、
自分の心を洗うことができる
ただひとつの魔法の水なのだから。
薄景子 17年9月24日放送
涙のはなし ネイティブアメリカンの言葉
ネイティブアメリカンの教えに
こんな言葉がある。
あなたが生まれたとき、
周りの人は笑って、
あなたは泣いていたでしょう。
だからあなたが死ぬときは、
あなたが笑って、
周りの人が泣くような人生をおくりなさい。
人は生まれるときも、
旅立つときも、
涙とともにある。
そして、その涙はきっと
愛でできているのだと思う。
茂木彩海 17年9月24日放送
涙のはなし 涙のアート
今年の夏、東北の復興に捧ぐ芸術祭が
宮城県・石巻市で行われた。
国内外36組のアーティストが参加したこの芸術祭で
話題を呼んだ、ひとつのアート作品がある。
作品の名前は、「ひとかけら」。
制作したのは、アーティスト集団、チン↑ポム。
この作品は、現地の人々に震災の時の話を聞き、
話をしながら流した涙をあつめて凍結したもの。
作品自体は、牡鹿半島中部の洞仙寺に埋めた
冷凍コンテナの中にあり、地下まで階段を下りてはじめて
作品を見ることができる。
制作に至るきっかけとなったのは、遺族の言葉。
悲しみの涙はもういらないから
楽しいときに涙を流したい。
「ひとかけら」。その作品は、
涙は時に、前を向くために必要なものだと、教えてくれる。
石橋涼子 17年9月24日放送
涙のはなし 渥美清の泣いてたまるか
昭和41年に放送されたドラマ「泣いてたまるか」。
俳優の渥美清が、毎回違う役柄を演じる、
一話完結型の人情ドラマだ。
主題歌は、良池(よしいけ)まもるが詞を書き
渥美清が歌った。
天(そら)が泣いたら雨になる
山が泣くときゃ 水が出る
俺が泣いても 何にも出ない
だから、泣いてたまるか、と歌う渥美清が演じる主人公は、
毎回、異なる設定で異なる人生を背負っているけれど、
誰もがみんな不器用で真っ直ぐで、生きることに全力だ。
見ている方は、泣けるし、笑える。
庶民を演じて庶民を応援する、
渥美清らしさを味わうドラマ「泣いてたまるか」は、
「男はつらいよ」のルーツになったことでも有名だ。