森由里佳 20年6月14日放送


Rollofunk
危機一髪  21代目の苦戦

1625年創業の、埼玉のとある造り酒屋は、
昭和になってから、ウイスキー造りも始めていた。

しかし、21代目が家業を継いで間もなく、
経営は危機に直面する。蒸溜所は売却され、
20年物の原酒およそ400樽を破棄しなければならない状況にまで陥った。
21代目は奔走して樽を守り抜き、新たに蒸留所を設立する。

その名は秩父蒸溜所。
今や日本が世界に誇るシングルモルトウイスキー
イチローズモルトを生み出す新進気鋭の造り手だ。

肥土伊知郎社長の夢は、
秩父蒸溜所で造った30年物を飲むこと。
つまり、それまで事業を存続させること。

秩父の樽には今も、肥土の決意が眠っている。

危機一髪は乗り越えるためにある。

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星合摩美 20年6月14日放送


文部科学省
危機一髪  大林宣彦監督

映画「転校生」などで知られる、大林宣彦監督が、
この春82歳で亡くなった。

彼は1970年代、ある企業の倒産危機を救っている。
テレビCMの監督として、
当時では考えられなかった、海外の映画スターを起用。
現地で監督自らひらめいた、という決め台詞は、
「う〜ん、マンダム」

CMが放映されるや否や、たちまち話題に。
日本中の子どもたちが真似をした。
商品も大ヒットを飛ばし、
倒産の危機も吹き飛んだという。

危機一髪は乗り越えるためにある。

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星合摩美 20年6月14日放送



危機一髪  得意の一発逆転

コロナウイルスの影響で多くの民間交通機関が苦境に立っている。
千葉の銚子電鉄も例外ではない。

しかしそこは、「電車なのに自転車操業」という
自虐的なキャッチフレーズを掲げる銚子電鉄。
「お先真っ暗セット」という鉄道グッズを販売し、予定数を完売させた。

これまでも、ぬれ煎餅の販売や、
地元の高校生によるクラウドファンディングなど、
ユニークなかたちで窮地を脱してきた銚子電鉄。

明るいあしたに向かって、きっと走り続ける。

危機一髪は乗り越えるためにある。

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渋谷三紀 20年6月13日放送



アイスクリームのおはなし  正岡子規のアイスクリーム

アイスクリームが大好物だった
俳人、正岡子規。
病をおして友人の高浜虚子を訪ねたときには、
虚子が止めるのも聞かず、
アイスクリームを2杯完食した。
そのお礼に後日こんな句を送っている。
「一匙のアイスクリームや蘇る」
この時初めて俳句に詠まれたアイスクリーム。
いまはもう夏の季語の定番になっている。

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渋谷三紀 20年6月13日放送



アイスクリームのおはなし  モーツァルトのアイスクリーム

21歳になったモーツァルトはパリにいた。
新作のシンフォニーがチュリルリー宮で演奏され、
大きな拍手を浴びていた。
嬉しさのあまり街に繰り出し、
向かった先は、パレ・ロワイヤル。
上等なアイスクリームを食べたことを
父への手紙に書いている。
ちょっといいことがあった日、私たちも
いつもより高いアイスクリームを買ったりする。
モーツァルトだっておんなじだ。

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渋谷三紀 20年6月13日放送


CanadaPenguin
アイスクリームのおはなし  「はつ恋」のアイスクリーム

ツルゲーネフの代表作「はつ恋」。
16歳のウラジーミルは
恋する年上の女性ジナイーダをこんな風に語る。

「冷たいって君は言うけど、そこに味があるんだよ。
君だってアイスクリームが好きだろう?」
 
ジナイーダの冷たさも
彼女の魅力の一部だというのだ。
すぐ溶けてしまうことも含めて、
アイスクリームは、はつ恋の比喩にぴったりだ。

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渋谷三紀 20年6月13日放送



アイスクリームのおはなし  「クレイマークレイマー」のアイスクリーム

映画「クレイマークレイマー」の主人公テッド。
ある日突然妻が家を出て行き、
息子ビリーとの二人暮らしが始まる。
テッドの用意した晩ご飯を嫌がり、
アイスクリームが食べたいとぐずるビリー。
思い通りにできないテッドのいらだちと
母親のいないビリーの寂しさがぶつかる印象的なシーンだ。
実はこのくだりは、ビリー役の少年が
大のアイスクリーム好きだったことから
脚本に書き加えられた。
真実を混ぜると映画はつよくなるようだ。

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渋谷三紀 20年6月13日放送



アイスクリームのおはなし  日本初のアイスクリーム

はじめて日本人がアイスクリームを
食べたのは、江戸末期のこと。
江戸幕府が送った使節団が
アメリカで食べたのが最初だと言われている。
その中のひとり町田房蔵が数年後、
横浜にアイスクリーム屋をオープンした。
その値段はいまの価値でなんと8000円。
高すぎたせいかさっぱり売れなかった。
それから150年。
アイスクリームのない夏なんて、
いまはもう想像もできない。

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大友美有紀 20年6月7日放送


663highland
いつかは陶芸旅  信楽

朝のドラマの舞台となった信楽。
信楽の窯は、日本六古窯(にほんろっこよう)のひとつ。
古来の陶磁器窯のなかでも、
中世から現在まで生産が続いている
代表的な産地をこう呼びます。
他の5つは、越前、瀬戸、常滑、丹波、備前。

信楽では、毎年春、窯元めぐりが行われます。
けれど、今年は延期。
ドラマにも登場した夏の「火まつり」は、
残念ながら中止です。

いつか訪れる日のために、
インターネットで窯元の下見をしておきましょう。

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大友美有紀 20年6月7日放送



いつかは陶芸旅  萬古焼(ばんこやき)

家にいる時間が長くなると、
料理に凝りたくなる。
土鍋でご飯を炊いてみたりする。

国内生産されている土鍋の、
8から9割が萬古焼(ばんこやき)だそうです。
三重県四日市市と菰野町(こものちょう)を中心に
窯元が100以上もあります。

発祥は江戸中期。
桑名の商人沼波弄山(ろうざん)が、
今の三重郡朝日町小向(おぶけ)に
窯を築き茶器を焼いたのが始まりだとか。
変わらずに永遠に作品が残っていくように、との意味で
「萬古」「萬古不易」の印を押したのが名の由来とされています。
正式名称は「四日市萬古焼」。

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