松岡康 17年8月27日放送

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アロハシャツの起源

ハワイの代名詞ともいえるアロハシャツ。
実は、日本の着物と深いかかわりがあったという。

1904年、日本からハワイへ移民した宮本長太郎が
「ムサシヤ」という仕立て屋をオープンする。
日本から持ち込んだ着物地を使った開襟シャツを作り、人気を博した。

長太郎の死後、長男であった孝一郎が店を継ぎ、
「アロハシャツ」と銘打った新聞広告によって
着物地のシャツを広めることに成功した。

燃えるような赤に海の青。
アロハシャツの鮮やかな色や模様には、
日本の文化が色濃く残っているのだ。

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奥村広乃 17年8月27日放送

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ハワイの白亜の豪邸

南国の眩しい青空。
その下に立つ、白亜の豪邸。
ハワイ、ホノルルの街の一角にあるワシントン・プレイス。

ここはハワイ王朝最後の女王、リリウオカラニの邸宅。
100年以上前からある建物ゆえに、不思議な噂もちらほらと。

例えば、ガラスケースに納められたジュエリー。
時々、その向きが変わっているのだとか。
ガラスケースには厳重な鍵がかかっていて、
誰も手を触れることはできないはずなのに。

今でもリリウオカラニ女王が
ジュエリーを眺めているのだろうか。

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奥村広乃 17年8月27日放送

170827-08
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ハワイの白いムームー

日本の幽霊といえば白い着物。
ハワイの幽霊も白いムームーを着ているらしい。

白いムームーを着た幽霊の噂があるのは、
ハワイ王朝栄華の象徴「イオラニ宮殿」。
アメリカ唯一の宮殿だ。

ここで働く守衛が
白いムームーを着たリリウオカラニ女王の幽霊をみたというのだ。
リリウオカラニ女王はハワイ王朝最後の女王。
100年以上の時がたっても、
彼女は愛した祖国を見に現世に現れるのだろうか。

それにしても、
なぜ幽霊は白い服を身にまとっているのだろう。
幽霊の世界にもルールがあるのかもしれない。

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佐藤理人 17年8月26日放送

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誕生秘話 「フランケンシュタイン」

フランケンシュタインは、
駆け落ちした女性の悪夢から生まれた。

1816年の嵐の夜。
スイスの別荘に5人の男女が集まっていた。
彼らは暇つぶしに怪談を考えることにした。

その中に駆け落ち中のカップルがいた。
詩人のパーシー・シェリーと
やがて妻になるメアリー。

彼女はその晩、恐ろしい夢を見た。

 黄色く濁った目を持つ何かが、
 荒い息を吐き、手足を痙攣させていた。

メアリーは2年かけ、医者が死体から
人造人間を生み出す話を書き上げた。

彼女は今日、
SFの生みの親と呼ばれている。

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佐藤理人 17年8月26日放送

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誕生秘話「椿姫」

オペラ「椿姫」のモデルは、
パリの高級コールガールだった。

彼女の名はマリー・デュプレシ。

大富豪しか相手にしない彼女にある日、
作家アレキサンドル・デュマ・フィスが恋をした。

 私といると不幸になるわ

彼は結核に苦しむ彼女の治療費を払い続け破産。
他の男と結婚されても愛し続けた。

彼女が23歳で亡くなったあと、
フィスはすぐに小説を完成。

ヴェルディが曲をつけ、
1853年にオペラ化された。

マリーの棺は大好きな花椿に覆われて、
モンマルトル墓地に埋められたという。

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佐藤理人 17年8月26日放送

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誕生秘話「ジキル博士とハイド氏」

ジキルとハイドのモデルは、
誰からも尊敬される人物だった。

男の名はウィリアム・ブロディー。

裕福な実業家の仮面の下に、
18年間も泥棒の顔を隠していた。

悪運が尽きたのは1786年。
スコットランド関税局を襲撃し、失敗。
絞首台に送られた。

それから1世紀。
ロバート・ルイス・スティーブンソンが、
ブロディーをモデルに
「ジキル博士とハイド氏」を書いた。

ジキル博士は小説の中で、
人間の二面性についてこう述べた。

 人格を善と悪に分ければ、罪悪感も消える。
 人間は一体ではなく、二体なのだ。

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佐藤理人 17年8月26日放送

170826-04

誕生秘話「シャーロック・ホームズ」

名探偵シャーロック・ホームズのモデルは、
エジンバラ大学で教鞭をとる外科医だった。

彼の名はジョセフ・ベル。

患者が口も開かないうちに、病名はもちろん、
普段の生活まで細かく言い当てることができた。

彼の生徒だったコナン・ドイルは、
1881年に大学を卒業し、眼科医になった。
しかし6年間、一人も患者が来なかった。

生活のため、作家に転身。
そのとき恩師の言葉を思い出した。

 人は眺めるだけで、観察しない。

先生ならきっと探偵という職業を、
科学者のように描くに違いない。

ドイルはインタビューで言った。

 頭がいいフリをする人は多い。

 だが本当に頭がいい人とは、
 具体的に解決できる人のことだ。

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佐藤理人 17年8月26日放送

170826-05

誕生秘話「アンクル・サム」

アメリカのシンボル、アンクル・サム。

それはニューヨーク州でいちばんの
缶詰工場を経営する社長のあだ名だった。

彼の本名は、サミュエル・ウィルソン。

1812年の米英戦争で、
大量の食肉を軍に納入したサムは
ラベルに合衆国を意味する「U.S.」を刻印。

その意味を訊かれた誰かが、

 アンクル・サムのことさ

ジョークで答えた。

それがきっかけとなり、
サムは1830年代に漫画化された。

彼のイラストは国中で愛され、
1961年には国のシンボルとして
議会で承認された。

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四宮拓真 17年8月20日放送

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沖縄 × 岡本太郎

「太陽の塔」を作った芸術家、岡本太郎。
彼が沖縄の文化に強く惹かれていたことをご存知だろうか。

太郎は米軍占領下の沖縄を訪れた。
歩いて、見て、食べて、その結果たどり着いた結論は、
「何もない」ことの美しさ、だった。

過度に装飾された美しさ、意識された美しさではなくて、
生活の必要から生まれ、必然の中から浮かび上がる美しさ。
沖縄には、日本が失ってしまった「何もない」美しさが残っている。
太郎はそう考えた。

太郎らしい、沖縄へのまなざし。
その理由を、太郎はこう記している。

 それは私にとって、一つの恋のようなものだった

と。

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四宮拓真 17年8月20日放送

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タヒチ × ポール・ゴーギャン

フランス後期印象派の巨匠、ポール・ゴーギャン。

パリの文明社会に疲れた彼は、南太平洋のタヒチに渡り、
原始の自然とそこで暮らす人間を描いた。

タヒチを「美と自由の国」と称賛したゴーギャンだったが、
現地での生活はそのイメージ通りにはいかず、苦しいものだった。
最愛の娘を亡くし、徐々に健康状態も悪化していったが、
それでも彼は、島から離れることはしなかった。
「最後の楽園」を求めて島を転々とし、
タヒチから1500キロ離れた小さな島で、誰にも看取られることなく、
54歳でその生涯を終えた。

最後に手掛けた大作のタイトルが、あの有名な一説である。

 われわれはどこからきたのか
 われわれはなにものか
 われわれはどこへいくのか

ゴーギャンの魂は、いまだ楽園を探しているのかもしれない。

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