四宮拓真 17年8月20日放送
ハワイ × ウラジミール・オシポフ
ハワイで最も重要な現代建築家といわれる
ウラジミール・オシポフ。
彼の有名な作品のひとつが、
1952年に建てられた邸宅「リジェストランドハウス」。
ホノルル市街を見下ろす小高い丘のうえ、
緑の木立の中にひっそりと佇むこの家を訪れるのは、
まさに極上の体験だ。
優しい日陰を作る大きなひさし。
外に向かって大きく開かれた窓からは、
ハワイの温かい風が心地よく入ってくる。
目の前には青い海とワイキキの街並み。
ダイヤモンドヘッドまでも遠く見渡せる。
ハワイの光と風を全身で感じられる家を作ったオシポフだが、
その名前からも察せられるように、ロシア・ウラジオストク生まれ。
極寒の国の才能は、南国で鮮やかに花開いたのだった。
四宮拓真 17年8月20日放送
Anjali Kiggal
アイスランド × ビョーク
アイスランドの歌姫、ビョーク。
グラミー賞に14度もノミネートされた世界的なシンガーで、
世界一有名なアイスランド人と言っても過言ではない。
ビョークの魅力のひとつが、その圧倒的な歌声だ。
パワフルで、妖艶で、楽器のような声。
その人間離れしたスケール感は、アイスランドの大自然を彷彿とさせる。
この歌声は、どうやって生まれたのか?
ビョーク自身は、こう振り返っている。
子供の頃、歩きながら歌っていたから、
自然と声量が鍛えられたのかもしれないわね
まさに、アイスランドの大地が育んだ声なのだった。
四宮拓真 17年8月20日放送
キーウェスト島 × ヘミングウェイ
作家、アーネスト・ヘミングウェイが「老人と海」を書いたのは、
アメリカ最南端の島、キーウェスト島だった。
彼は港町のひとびとののおおらかさと、
大物狙いの荒々しい釣りにのめりこみ、
1931年から9年間、この地で暮らしていた。
ヘミングウェイが住んでいた家が、いまも残っている。
家を守っているのは、たくさんの猫たち。
それもなんと、「6本指」の猫たちである。
ひとつ多い指を使って船のロープを軽々と掴む6本指の猫は、
キーウェストの船乗りから幸運のシンボルとして愛されていた。
ヘミングウェイも大の猫好きで、執筆の友として2匹の猫を譲り受け、
一緒に暮らしていた。
その子孫が、いまや大事な観光の人気者として大切に保護されている
6本指の「ヘミングウェイ・キャット」。
幸運のシンボルはいまも幸せそうに暮らしている。
四宮拓真 17年8月20日放送
バリ島 × アントニオ・ブランコ
フィリピン・マニラ生まれの画家、アントニオ・ブランコ。
彼は、日本人にも人気の高いインドネシア・バリ島のウブドに移住し、
そこで生涯にわたって創作活動を続けた。
もともとは、ポール・ゴーギャンの影響でタヒチに心が惹かれていたが、
さまざまな事情でハワイ、日本、カンボジアと移り、
最終的にバリ舞踊のダンサーだったニ・ロンジ夫人との結婚を機に、
バリ島に移住した。
その後多くの賞を受賞する人気画家となったから、
島への移住が人生の転機となったことは間違いない。
ブランコは、その風貌や、
額縁までこだわって自作する独特の作風から、
「バリのダリ」と呼ばれた。
実は、この額縁へのこだわりは、日本で育まれたらしい。
バリに渡る前に、1年ほど横浜に住んでいて、
その頃に額縁職人と知り合い、技術を学んだそうだ。
バリのダリは、日本との縁で生まれていた。
四宮拓真 17年8月20日放送
Thierry Chervel
マジョルカ島 × ジョアン・ミロ
スペイン人画家、ジョアン・ミロ。
彼は晩年を、地中海に浮かぶマジョルカ島で過ごした。
ミロは、マジョルカ島を「極めて美しい国」と呼んで愛した。
島の海の見える丘に広いアトリエを建てたときには63歳になっていたが、
創作意欲はさらに膨らんだ。
コラボレーションを好むようになり、
それまでにないパブリック・アートの大作を数多く残すことになった。
眩しい太陽とターコイズブルーの海に囲まれた、
美しいマジョルカ島の自然が彼を刺激したことは、想像に難くない。
かつて、イギリス・ロンドンでミロのアトリエが再現されたことがある。
そのとき、メディアはこう報じた。
ミロのアトリエが、ロンドンで細部に至るまで再現されている。
ただひとつ、マジョルカ島の輝く太陽以外は。
と。
四宮拓真 17年8月20日放送
Adheesha88
セイロン島 × ジェフリー・バワ
スリランカを代表する建築家、ジェフリー・バワ。
故郷であるセイロン島の自然の特性を最大限に引き出した建築で知られ、
「熱帯建築」の第一人者と呼ばれる。
なかでも、ホテル建築は特に有名だ。
「ヘリタンス・カンダラマホテル」は、
蔦に覆われた外観や、剥き出しの岩を利用した廊下など、
自然と建築の融合が実現されていて、まさに熱帯建築。
バワ自身が、
やがてこのホテルは木々に覆われ、自然に還るだろう
とまで言うほどだ。
「熱帯建築の神様」とまで言われたバワだが
実は、キャリアを始めたのは38歳とやや遅め。
弁護士だったバワが建築に目覚めたのは、
世界放浪のなかでイタリアを訪れたときだった。
そこから勉強を始めて、故郷のセイロン島で、
理想の建築の追求を生涯の仕事に定めたのだった。」
アラフォーからでも、神様になれるのだ。
渋谷三紀 17年8月19日放送
松本清張と珈琲
松本清張の代表作「点と線」には、
有楽町の喫茶店が登場する。
刑事の三原がコーヒーを飲みながら、
容疑者のアリバイ崩しに思考を巡らせる場面だ。
清張自身、自宅でも出先でも、
よくコーヒーを飲んだ。
スプーン三杯の砂糖を入れた、
甘いコーヒー。
これといった趣味を持たず、
膨大な仕事に立ち向かった清張にとって、
珈琲は、かけがえのない相棒だった。
渋谷三紀 17年8月19日放送
三島由紀夫と珈琲
作家の三島由紀夫は、
コーヒーよりも紅茶を好んだ。
深夜の執筆には、
いつも紅茶を準備した。
「夜会服」という三島の小説がある。
前半に描かれる優雅なアフタヌーンティとは対照的に、
最後に登場するのがコーヒーだ。
溺愛する息子との仲を割かれた姑が、
一人で飲むコーヒーの味についてこう語る。
「自分を助けてくれる人はもう誰もいない。
なんとか一人で生きていかなければ、と言う味なのよ。」
三島にとってのコーヒーが、
その行間から透けて見える。
渋谷三紀 17年8月19日放送
jotpeh
中上健次と珈琲
活字になったものは
ぜんぶ喫茶店で書いた、
と語るのは、作家の中上健次。
行きつけだった西新宿の喫茶店に入ると、
まずコーヒーを注文する。
一口飲み、原稿を書き進めるうち、
店の音楽も客の話し声も聞こえなくなってくる。
その時の自分の心持ちを、中上はこう言った。
人はいるが、誰もいない。私一人だ。
渋谷三紀 17年8月19日放送
zunsanzunsan
井上ひさしと珈琲
作家の井上ひさしは、
息子が幼い頃、
よく二人で散歩に出かけた。
おもちゃ屋さん、本屋さんを回った後は、
決まって喫茶店でコーヒーを飲んだ。
井上は、店主の個性が
そのまま店の雰囲気になっているような、
小さな店を贔屓にした。
その店で、お客さんを観察したり、
店主と話すのが好きだった。
井上作品の生き生きとした会話は、
そんなところから生まれたのかもしれない。