大友美有紀 17年8月6日放送

170806-07
663highland
「軽井沢ソサエティ」軽井沢会

天皇陛下と美智子皇后の「テニスコートの恋」の
舞台となったコートは、旧軽井沢の別荘族を中心に
組織された「軽井沢会」が所有している。
大正2年に設立された「軽井沢避暑団」が
発展してできた親睦団体だ。
入会にあたっては一定の制限が設けられている

 会員は、品行方正で節操の人でなければならない。

軽井沢ゴルフ倶楽部は政財界の人間が中心だったが、
軽井沢会は学者肌の人が多かった。
軽井沢でテニスが盛んになったのは
初期にこの地を訪れた外国人たちに由来する。
聖職者が多く、清貧の人たち。
入会に制限を設けた理由がわかるようだ。

topへ

大友美有紀 17年8月6日放送

170806-08
ジゼル1043
「軽井沢ソサエティ」塀のない別荘

かつて軽井沢では友人知人を介して土地を買い、
家を建て、家族ぐるみで交流していた。
誰それの敷地跡に何々さんが家を建てるらしいという話が
自然と耳に入ってきた。
昭和の頃まで「塀」というものもなかった。

 どの別荘も敷地と敷地の間には低く石垣を積んでいるか
 苔むした林によってゆるやかな境界線が引かれているだけ。
 
今や塀はおろか防犯カメラも備え付けられている。
時代が変わった、といえばそれまでのこと。
緩やかにつながり、人となりを知り、交流する。
かつての軽井沢のようなソサエティは、
もうファンタジーなのだろうか。

topへ

佐藤延夫 17年8月5日放送

170805-01
FoeNyx
学者のこころ 伊藤圭介

理学博士 伊藤圭介は、
幕末から明治時代にかけて
日本の植物学を牽引した一人だ。

シーボルトと親交を深め、
彼から譲り受けた本を訳す中で、
さまざまな言葉をつくっている。
「雄しべ」、「雌しべ」、「花粉」など、
今でも日常で使われる植物学用語は、
伊藤が生み出したものだ。

シーボルトは、伊藤の功績を讃え、
アシタバ、スズランなどの学名に、
keiskeという言葉を入れている。

図鑑に名前が載る仕事。

topへ

佐藤延夫 17年8月5日放送

170805-02

学者のこころ 山川健次郎

明治、大正時代の物理学者、
山川健次郎は、白虎隊の生き残りだった。
会津藩が降伏すると謹慎を命じられたが、
越後に落ち延び学業に勤しんだ。
その後、留学生として渡米。
物理や土木工学を学び、
日本で初めての物理学教授になっている。

明治時代に世間を騒がせた千里眼事件では、
物理学者という立場で実験に立ち会い、
不審な点を暴いている。

粗末な家に住み、毎朝3時に起床。
清廉潔白で、学生思いの教授だったという。

topへ

佐藤延夫 17年8月5日放送

170805-03

学者のこころ 藤原咲平

気象学者の藤原咲平は、
富山湾に何度も出向き、
蜃気楼のメカニズムを解明した。

海岸や湖岸で冷たい空気が停泊しているところに
陸地から温かい風が吹き込んだ場合、
水面上に冷たい空気のレンズ状の層ができる。
それにより光が屈折し、蜃気楼が発生する。
この緻密な観察には、驚きの声があがったという。

やがて藤原は中央気象台長となるが、
折しも太平洋戦争と重なり、
気象情報は軍事機密とされた。
また、新聞でもラジオでも、
天気予報の発表が禁止されている。

学者の本分も、戦争が破壊する。

topへ

佐藤延夫 17年8月5日放送

170805-04

学者のこころ 石原純

理論物理学者、石原純は、
大学生のときに読んだ相対性理論に感動し、
自分もその研究をしようと思った。
日本で初めて相対性理論の論文を書き、
ヨーロッパへ留学の際には、
実際にアインシュタインらのもとで学んでいる。
帰国後は、日本物理学の草分けとして研究を重ねた。
アインシュタイン来日時には、通訳も務めている。

また、石原は物理学のほかに和歌も嗜んだ。
チューリヒでアインシュタインと面会したときに、
こんな歌を詠んだ。

名に慕へる 相対論の創始者に われいま見ゆる こころうれしみ

憧れる人に出会ったときの感動は、
数式では表せない。

topへ

佐藤延夫 17年8月5日放送

170805-05

学者のこころ 菊池大麓

明治、大正時代の数学者、菊池大麓は
幼いころからエリートだった。
6歳から英語と数学を習い始め、
9歳のときには教える立場になっていた。
幕府の命によりイギリスに留学。
ケンブリッジ大学でも主席の成績をおさめ、
帰国して東京大学の教授に任命されたのは、
22歳という若さだった。

菊池は、留学中にラグビーの試合に出場したという。
そう考えると、日本初のラグビープレーヤーは、
菊池大麓だったのかもしれない。

topへ

石橋涼子 17年7月30日放送

170730-01
yoppy
青のはなし ブルーハワイの青い色

夏の定番と言えば、かき氷。
なかでも、夏らしいイメージで子供たちに人気のフレーバーが、
ブルーハワイ。

その由来は、1980年代に日本で流行したカクテルの名前だ。
遠い国の海を連想させる不思議な色あいの酒に
トロピカルな果物がたっぷりトッピングされたカクテルは、
大人のハートをがっちり掴んだのだろう。

色彩の心理学上では、青は、遠い地の象徴だとか。

ブルーハワイ。
大人心も子ども心もくすぐる、夏の青い色。

topへ

石橋涼子 17年7月30日放送

170730-02

青のはなし 山口誓子の七月の青

現代的な俳句を数多く残した昭和の俳人、山口誓子。
彼が北九州の八幡製鉄所を訊ねた際に残した、夏の一句がある。

 七月の青嶺(あおね)まぢかく溶鉱炉

青嶺(あおね)とは、夏の青々とした木々に覆われた山のこと。
真っ赤に燃える溶鉱炉の熱気から逃れるように外へ出て、
製鉄所の周囲を包み込む夏の青さに心を奪われたのだという。

山口誓子は、自らの句の解説でこう語った。

 その「青嶺」は、夏の真盛りの青嶺であったから、
 私はそれを「七月の青嶺」と表現せずにはいられなかった。
 「七月」は伊達(だて)ではない。
 六月でもない、八月でもない「七月」である。

topへ

小野麻利江 17年7月30日放送

170730-03

青のはなし 山下達郎「蒼氓」

シンガーソングライター・山下達郎の曲の中に、
「蒼氓(そうぼう)」という、難しいタイトルがある。
蒼氓の「そう」は、
くさかんむりに倉と書く「蒼(あお)」。
「ぼう」は、「亡くなる」の「亡(ぼう)」に
「民(たみ)」と書く、見慣れない漢字。

「名も無き人々」を、
道端に生える「名も無き青草」に喩えた言葉で、
作家・石川達三の芥川賞受賞作を
頭に置いてつけたという。

山下達郎がこの曲で形にしようとしたのは、
「ゴスペルのように、見知らぬ誰かと
喜怒哀楽を共有できるような音楽」。

幼い頃から賛美歌に触れ、
ゴスペルに対する憧れがあった彼の
ひとつの到達点が、ここにある。

 憧れや名誉はいらない 華やかな夢も欲しくない

名も無き草は、花の美しさや葉ぶりの見事さを
称えられることもなく。
黙々と、しかし、青々と生い茂り、拡がっていく。
「蒼」という色には、静かな生命力が宿っている。

topへ


login