澁江俊一 17年5月14日放送
西表カイネコ
女優の沖縄魂
明日5月15日は、沖縄が日本に復帰した日。
映画「ナビィの恋」で
恋するおばぁをチャーミングに演じた
女優、平良とみ。
1928年に石垣島で生まれ
母子家庭で育ち、
生活のために13歳で巡業劇団に参加。
戦後も、貧困と食糧難の時代に
芝居を続け、子供を産み育てた。
歌や踊りが好きだと思ったことは
1度もなかったという。
平良が大切にしていたのは
沖縄の方言、ウチナーグチ。
「このドラマに出ることは、沖縄のためになりますか」
そう問いかけたのは
NHKの朝のドラマ「ちゅらさん」
に出演を依頼されたとき。
彼女が演じる理由は最後まで、
自分よりも沖縄のためだった。
田中真輝 17年5月14日放送
西表カイネコ
ハウリング・ウルフ
明日5月15日は、沖縄が日本に復帰した日。
「沖縄のジミヘン」と
呼ばれた人物をご存知だろうか。
彼の名は、登川誠仁。
沖縄民謡界の巨人とも称される
三線の名手で特に早弾きを得意とすることから、
その異名がついた。
沖縄民謡だけではなく、
エレキギターを使った演奏や
洋楽を大胆にアレンジするジャンルを超えたその
スタイルは、登川のソウルに貫かれている。
苦みばしったその声と、三線の調べから漂うのは
ブルースにも似た悲しみと突き抜ける明るさ。
ソロアルバム「ハウリング・ウルフ」には、
そんな魂の叫びが詰まっている。
その歌声は、沖縄の抜けるような青空に
どこまでも吸い込まれていく。
澁江俊一 17年5月14日放送
歌えない歌
明日5月15日は、沖縄が日本に復帰した日。
沖縄民謡の第一人者、登川誠仁がつくった
「戦後の嘆き」という歌がある。
沖縄のジミヘンと言われた登川が
得意の早弾きではなく、
ゆっくりと、切々と、搾り出すように唄う曲だ。
その歌をつくった理由を彼はこう語る。
住んでいた家の裏手に
酒を飲みながら泣く人がいてよ。
なんでこんなに泣くのかね、と思っていたら、
若い頃から戦で本土に行って
戦後、故郷に引き揚げてきたら、
家族が亡くなっていてよ。
だから酒飲んで泣いていたんだよ。
歌を作ることは好きだが、
こういう哀しい歌を自分で歌うと
自分も泣いてしまうから、
自分自身では歌いたくないよ。
つくるしかなかった。
でも、歌わない、歌えない。
三線の音色が切なく響く
とても静かな歌である。
田中真輝 17年5月14日放送
ブシマツムラ
明日5月15日は、沖縄が日本に復帰した日。
東京オリンピックで正式種目に採用された「空手」。
その起源とも言われる琉球空手、草創期の偉人に、
松村宗棍(まつむらそうこん)という人物がいる。
「ブシマツムラ」と呼ばれ
世の名声を欲しいままにした武術家松村には、
こんなエピソードが残されている。
ある時、王の命を受けて、
猛牛と戦うことになった松村は、
毎日、黒装束に鉄の扇を持って牛舎に通い、
猛り狂う猛牛の頭にその扇を打ち下ろし続けた。
松村への恐怖を植え付けられた
猛牛は、戦いの当日、
彼の姿を見るなり
恐怖の叫びとともに逃げ去ったという。
戦うことなく勝利を収める。
武術だけではなく智術にも長けた人物だからこそ、
偉人となりえたことを表す痛快なエピソードである。
澁江俊一 17年5月14日放送
MASA
名将の目線
明日5月15日は、沖縄が日本に復帰した日。
高校野球ファンなら
その名を忘れない
沖縄の名将、栽弘義監督。
4歳で沖縄戦に遭遇し
3人の姉を失い
自らも背中に重傷を負った。
しかし栽監督は
米軍にいた元メジャーリーガーから
ウェイトトレーニングを学んで
取り入れるなど、
過去に縛られることはなかった。
沖縄を語るのに
戦争が前面に出てくるのはもうおかしい。
いつも心の中に置きながら、
これからの沖縄を考えることも大事です。
甲子園通算29勝。
強い沖縄野球をつくったその采配には、
沖縄の未来が見えていた。
澁江俊一 17年5月14日放送
笑うやちむん
明日5月15日は、沖縄が日本に復帰した日。
沖縄ではじめての
人間国宝になった陶芸家、金城次郎。
戦中、戦後の混乱の中
沖縄の伝統、壺屋焼を守り抜き
その発展に尽力した次郎。
島の魚や海老を
生命力あふれる筆致で描いた器は
海外からも注目された。
自らも壺屋焼を学んだ
師匠の濱田庄司は、次郎の技をこう語る。
次郎の魚や海老はすべて笑って描かれ、彫られている。
日本に陶芸家多しといえども次郎以外に
魚や海老を笑わすことができる名人はいない。
次郎の器はアートではなく、
日々の生活に使う日用品だった。
その笑いには誰もが平和に暮らせる
世の中になってほしいという、
次郎の願いが込められている。
田中真輝 17年5月14日放送
飛び安里たち
明日5月15日は、沖縄が日本に復帰した日。
沖縄には、
ライト兄弟よりも早く空を飛んだ人物がいる、
そう聞いたら、あなたは
まゆにつばをつけるかもしれない。
安里周當(あさと しゅうとう)は、
18世紀、琉球王家に仕えた花火職人。
空を飛びたいという夢に取り憑かれ、
飛行実験を繰り返した彼は、
やがて「飛び安里」と呼ばれるようになる。
一説には、
オーソニコプターと呼ばれる仕組みの飛行機で、
1787年、彼は空を飛んだ、と伝えられている。
残念ながら、その設計図は消失し、
伝承としてその逸話が残るのみ。
しかし、
歴史として残っているものだけが真実とは限らない。
大空に挑戦しその夢を叶えた者が、
私たちが知る歴史の裏側に、
数え切れないほど存在するかもしれない。
琉球の花火職人、飛び安里のように。
田中真輝 17年5月14日放送
ぬちどぅ宝
明日5月15日は、沖縄が日本に復帰した日。
琉球王朝最後の王、尚泰王。
1879年、明治政府によって行われた廃藩置県により、
琉球王朝は消滅、彼は首里城を去ることになる。
戦世(いくさゆ)んしまち
みるく世ややがてぃ
嘆くなよ臣下 命(ぬち)どぅ宝
「戦世」は終わった
平和な「弥勒世」がやがて来る
嘆くなよ、おまえたち、命こそ宝
この言葉は、
琉球王国の終焉を描いた沖縄芝居の中で
城を去る尚泰王が口にしたセリフだと言われている。
琉球、そして沖縄。
時代を超えて、その地に生きる
人々の祈りが込められた言葉。
それは日本に生きるすべての者が、
深く胸に刻むべき言葉でもある。
厚焼玉子 17年5月13日放送
TANAKA Juuyoh
5月の花 ゲンノショウコ
江戸時代から副作用のない民間薬として
親しまれてきたゲンノショウコは夏の花だが
5月の季語にその名を連ねている。
旧暦の5月はすでに夏だったのだ。
ゲンノショウコの学名、ゲラニウム・ツンベルギーは
江戸の末期に日本を訪れたスエーデンの植物学者
カール・ツンベルクの名前をいただいている。
ツンベルクは将軍に拝謁するために
長崎の出島から江戸への旅をし、
その道中で800種類を超える植物を採集して標本にした。
ツンベルクは日本の植物を研究した初めての西洋人だった。
日本の植物は、このときはじめて
近代分類学と出会ったのだった。
厚焼玉子 17年5月13日放送
ashitaka-f studio k2
5月の花 ウコギ
ウコギはウドやタラの芽と同じウコギ科の落葉樹。
江戸中期、
極端な財政難に陥った米沢藩を立て直した名君、上杉鷹山は
武家屋敷の生垣にウコギを奨励した。
ウコギは幹に棘があるために防犯に適しているが、
何よりもその葉が食べられるのがありがたかった。
当時、貧乏のどん底にいた人々は
春から夏にかけて、次々と伸びてくるウコギの若葉を食べ、
茹でたものを干して保存しては窮乏に備えた。
米沢の武家屋敷では今でもウコギの生垣が残り、
初夏には白い花を咲かせる。