厚焼玉子 17年5月13日放送

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663highland
5月の花 牡丹

花の王さまといわれる牡丹。
島根県の宍道湖(中海)に浮かぶ大根島は日本一の牡丹の産地。
昭和の半ば頃は、島の女が背負い籠に苗木や鉢植えを入れて
行商に歩いた。

ひと月も家を空けるのは当たり前、
ときには半年も帰れない。
そんな様子を目にして逆転の発想をしたのが門脇由蔵(よしぞう)だった。
売り歩くのではなく、来てもらえるようにすればいい。

牡丹で観光客を呼ぶという由蔵の夢は、
息子の栄(さかえ)の手によって実現する。
昭和50年、一年を通して花が楽しめる牡丹の庭、
由志園(ゆうしえん)が完成。
今では年間30万人の観光客が訪れている。

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厚焼玉子 17年5月13日放送

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the justified sinner
5月の花 マロニエ

マロニエの花は5月に咲く。
マロニエは5月の季語でもある。

「アンネの日記」を書いたアンネ・フランクは
ナチスに追われて一家で避難したアムステルダムの隠れ家の窓から
一本のマロニエの木を見つめていた。
毎日息をひそめ、外へも出られない生活のなかで
マロニエは季節の変化を教えてくれる大事な友だちだった。

マロニエはやがて
アンネ・フランクの木と呼ばれるようになった。

2010年、年老いて半ば立ち枯れていたマロニエは
強風で倒れてしまった。
けれども、その苗木は世界各地に送られ、
平和の象徴として大事に育てられている。

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厚焼玉子 17年5月13日放送

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nekonomania
5月の花 ひなげし

ひなげし。
別名を虞美人草。

明治40年の5月だった。
夏目漱石は上野から浅草を散歩した帰り道、
名前を知らない鉢植えの花に目を留めた。
植木屋に尋ねると虞美人草だという。
漱石はふた鉢を買い求めた。

花の重さに細い茎が撓む様子も
花びらの縮れ具合も
なまめかしく美しいと漱石は思った。

漱石の初めての新聞小説「虞美人草」の連載が始まったのは
それから一ヶ月後のことである。

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大友美有紀 17年5月7日放送

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「女の一生」山口百恵 21歳

人気絶頂のアイドル歌手が、
結婚を機に芸能活動をやめる。
今でも伝説のように語られるその人の名は、
山口百恵。

 私は、これから女房になろうと思う。
 女房という語から感じるいい意味でのニュアンスを、
 さり気なく大切にして行きたいと思う。

1980年、引退当時21歳。
女性の社会進出が活発になってきた時代。
それでも家庭に入る選択をした百恵は、
自分の生き方を貫いた人だった。

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大友美有紀 17年5月7日放送

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「女の一生」キュリー夫人 24歳

 その人は、女だった。
 他国の支配を受ける国に生まれた。
 貧しかった。美しかった。

キュリー夫人の次女が記した伝記の一節。
ロシアに支配されるポーランドに生まれ、
家庭は経済的に困窮していた。
パリで医師を目指す姉のために、
家庭教師として6年間働き、
稼いだお金は仕送りをした。
医師になった姉が、彼女をパリに呼び寄せた。

 長旅が終わって、汽車の煙がたちこめる北駅に降り立ったとたん
 大国の支配によるしめつけが、不意に解けたのを感じた。

その時、24歳。
ここから、キュリー夫人への道、2度のノーベル賞のへの道が始まった。

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大友美有紀 17年5月7日放送

170507-03

「女の一生」ビアトリクス・ポター 27歳

1866年、ロンドン生まれ、父は弁護士、祖父は国会議員。
裕福な家庭に生まれたビアトリクス・ポター。
ピーターラビットの作者。
幼少の頃から、毎年夏の数ヶ月は避暑地で過した。
16歳の時、避暑で訪れた湖水地方は、
彼女が一生をかけて愛し、守った土地になった。
27歳の夏、ロンドンの知人の息子が病気で寝ているのを知って、
避暑地から手紙を送った。
 
 ノエル君、
 あなたに何を書いていいかわからないから、
 4匹の小さなウサギのお話をしましょう。
 4匹の名前はフロプシーに、モプシーに、
 カトンテールに、ピーターでした。

 
これがピーターラビットの原型。
本格的な本を出版するのはそれから8年後、35歳の時だった。
湖水地方に出会い、湖水地方でピーターラビットを生み出し、
彼女は今、湖水地方で眠っている。

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大友美有紀 17年5月7日放送

170507-04

「女の一生」森英恵 35歳

ファッション・デザイナー森英恵は35歳の時、悩んでいた。
2軒の店と映画衣裳の仕事、夫と2人の子ども。
精力的に活動していたが、身心ともに疲労困憊。
家庭に入ることも考えていた。
しかしその時、英恵は1ヶ月休みをとってパリへ行く。
そして、ココ・シャネルのコレクションに強く興味をそそられ、
シャネルスーツを仕立てたいと思った。

 カネオクレ

英恵は夫に電報を打った。
3日後、金は届きシャネルの店を訪ねる。
東洋からの客は初めてで、ココは英恵のまっすぐな黒髪を褒めた。
シャネルスーツの仕立てを体感した。
森英恵はふたたび仕事にやりがいを見出した。
辛い時には思い切ったリセットを。

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大友美有紀 17年5月7日放送

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「女の一生」アガサ・クリスティー 37歳

ミステリーの女王、アガサ・クリスティー。
デビューは30歳。2作目、3作も順調に売れ始め、
娘と金融業の夫と広い邸宅に住み、ゴルフをし、
秘書を雇い、犬を飼い、順風満帆な生活を送っていた。
けれど幸せは長く続かない。アガサの母が死去。
その後始末でうつ状態になっていた時に、
夫に離婚を切り出される。結婚生活は破綻。
娘と秘書の3人でカナリア諸島に向かった。
母の死後、書く楽しさがなくなっていた。
 
 この時がわたしにとってアマチュアから
 プロへ転じた瞬間であった。
 プロの重荷をわたしは身につけた。
 それは書きたくない時にも書くこと、
 あまり気に入ってないものでも書くこと、
 そして特によく書けていないものでも書くこと

アガサ37歳。生活のために書かなくてならなかった。
おかげで私たちは、あれだけの作品を楽しむことができている。

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大友美有紀 17年5月7日放送

170507-06

「女の一生」長谷川町子 47歳

国民的人気漫画「サザエさん」は、新聞の連載漫画だった。
子どもからお年寄りまで、日本全国の人が読む漫画を毎日描く。
想像もできないプレッシャーだろう。
作者の長谷川町子は、47歳の時、胃がんを患う。
本人に病名を隠したまま、入院、手術。治療は成功した。
町子の健康を心配した家族は、仕事をやめるよういつも言った。

 でもね、いい作品ができた時の嬉しさや満足感は
 あなたたちの誰にもわからないわ。

日曜の夕方のいつもと変わらない「サザエさん一家」。
長谷川町子の強い創作意欲が支えていた。

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大友美有紀 17年5月7日放送

170507-07

「女の一生」市川房枝 52歳

女性の参政権、男女差別の撤廃を求める運動で
知られた市川房枝。
第2次世界大戦が終わり、マッカーサーが
日本の民主化を進めるための改革を提示。
市川房枝、52歳の時、婦人参政権が与えられた。
その後の総選挙では、女性議員が39名誕生。
マッカーサーにお礼に行った女性議員もいた。

 お礼に行くならアメリカなりイギリスで
 婦人参政権運動を一所懸命やって
 男女平等を認めさせそれ以来、
 民主主義に男女平等が入るようになったんだから、
 感謝するならむしろそういう人たちに感謝すべきだ。

婦人参政権はアメリカから与えられたもの。
けれどもそのかげには市井の活動家がいたことを
市川は、けして忘れなかった。

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