河田紗弥 17年3月11日放送

170311-06

石田三成 スタミナ食

豊臣秀吉の家臣のひとりとして、
その優れた行政能力で名を遺した石田三成。

彼は処刑の直前に、ニラ雑炊を所望し、食べたと言われている。

古くから「薬草」としても愛されていたニラ。
免疫機能を正常に保つカロテンや筋肉の動きを助けるカリウムなどを多く含む
立派なスタミナ野菜だ。

また、石田三成が水を所望したところ、
水の代わりに、柿が差し出された。
それに対し、「柿は痰の毒であるからいらない。
大志を持つ者は、最後の瞬間まで命を惜しむものだ。」
と答えたと言われている。

痰の毒である柿を食べることを拒み、
スタミナ食であるニラ雑炊を食べた石田三成。
死の瞬間まで、大志を失わなかった。

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河田紗弥 17年3月11日放送

170311-07
Minseong Kim
坂本龍馬 食べ損ねた食

倒幕と明治維新に多大な影響を与えた坂本龍馬。

彼の偉業のひとつである大政奉還の成立
一か月後のある日の夜。

彼は近江屋で中岡慎太郎に料理を振る舞おうとしていた。
「軍鶏鍋でも食おうか、買うてきいや」とそばにいた峰吉という少年に
軍鶏を買いに行かせた。

闘鶏用の地鶏である軍鶏は、他の鶏肉に比べ筋肉質で歯ごたえがあり、
噛めば噛むほど、うま味がでる。
その軍鶏を、
出汁と醤油で作った割り下とにんにくを入れて煮込むのだ。

しかし、坂本龍馬は、この鍋を食べることなく、
刺客に命を絶たれてしまう。

彼は、この軍鶏鍋をつつきながら、
中岡慎太郎とどんな話に花を咲かせようとしていたのだろうか。

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河田紗弥 17年3月11日放送

170311-08

徳川家康 長寿食

織田信長49歳。豊臣秀吉63歳。徳川家康75歳。
徳川家康が、戦国乱世を終わらせ、天下泰平を築くことができたのは、
当時としはかなりの長寿だったことも理由のひとつ。

その長寿の秘密は、贅沢を控え、質素ながらバランスのいい食事にあった。

家康が特にこだわっていたのは、麦飯。
当時は、精米技術が発達していなかったため、手間がかかる分、
白米より、麦飯の方が低価格で提供されていた。

しかし家康は、大名になってからも、昔と変わらず、麦飯を食べ続けた。

麦は、ビタミンや繊維質、カルシウムや鉄分などが
たっぷり含まれた健康食品。

「いつも美味しいものばかり食べていては良くない。美食は月に2、3度でよい。
千畳敷きの屋敷を持っていても、寝る場所はわずかに1畳であるように、
天下の主といえども、飯はただ1飯よりほか用なしである。」

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大友美有紀 17年3月5日放送

170305-01

建築家たち 宮脇檀

宮脇檀(みやわきまゆみ)。
白檀の「檀(だん)」と書いてまゆみと読ませる名前。
男性であり、建築家である。
1960年代後半からの70年代にかけての
「ボックス・シリーズ」と呼ばれる住宅設計で
知られている。
設計活動と並行して執筆活動も精力的に行った。

 啓もうしないといい建主が育たない。
 みんなが住まいや建築のことを教養として
 知ってくれれば、もっと設計がしやすくなる。

建築の中で一番住宅が好きだと言っていた宮脇。
21世紀の住宅について、意見を聞いてみたい。

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大友美有紀 17年3月5日放送

170305-02

建築家たち 林雅子

昭和ひとけた生まれの林雅子。
敗戦後、日本女子大学で住居学を学んだ。
「一生続けられる仕事」の進路を消去法で
選んだ結果だった。
23歳の時、友人に頼まれ戸建て住宅を設計する。
家の中央に家族が集まるリビングを配した、
当時としては斬新なものだった。
リビングキッチンの最初の例として、
雑誌に取り上げられた。

 ぎりぎりの過不足ない状態を求めるのが
 「作ること」そのもの

 
林は「物は少なく、事は単純に」という
ベーシックな信条を持っていた。
現代のミニマリストにも支持されそうだ。

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大友美有紀 17年3月5日放送

170305-03
meenaghd
建築家たち 丹下健三

世界のTANGE。丹下健三。
世界のモダニズム建築家たちと同列に評価された建築家。
代々木競技場では、鉄骨とケーブルを用いた
吊り構造を世界で初めて実現した。
構造研究家の考えをあえて否定した、
より高度な形態原理の発明への挑戦だった。
その一方で、プロデューサーとしても優れていた。
大阪万国博覧会の基幹施設を任された時、
菊竹清訓(きくたけきよのり)、磯崎新、黒川紀章など
ひと世代下の建築家たちと議論を重ね、
岡本太郎という異才と格闘しつつ、お祭り広場を作り上げた。
 
 WILLという言葉には意思という意味のほかに
 遺言という意味がある。
 先生が残された数々の建築はWILL/遺言になるだろう。
 そしてもう一つの意味、建築を構築しようとする意思。
 それを忘れてはいけない。

 
磯崎新の弔辞である。
丹下のWILLは日本のそこかしこに残されている。

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大友美有紀 17年3月5日放送

170305-04
kuromeri
建築家たち 西岡常一

法隆寺「昭和の大修理」を手がけ、
鬼と呼ばれた宮大工、西岡常一。
大木を使った伝統的な建築技法が途絶えそうになった時、
渾身の力を振り絞って木造の伽藍を作り続けた。
鉄の補強材を使うことには猛反対した。

 鉄は百年もてばいい方で、
 その後は錆びてボロボロになる。
 周囲の木材を腐らせて力を受けられない状態にする。
 千年もつ木の寿命を、わざわざ鉄を使って
 百年、百五十年に短くすることはない。

古建築の修理を多く手がけた宮大工の言葉は、
千年先にも伝えたい言葉だ。

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大友美有紀 17年3月5日放送

170305-05
Osbornb
建築家たち ピーター・ライス

アイルランド出身のピーター・ライスは、
パリのポンピドー・センターを手がけた構造エンジニアだ。
建築デザイナーと組んで、
建築物の構造に関わる部分を設計する技術者である。
1972年、ライスは大阪万博の「お祭り広場」の大屋根を見学した。
スペースフレームで作られた屋根の
ボール型鋳鋼ジョイントを見て、いたく感激したという。
ポンピドー・センターは、ガープレットと呼ばれる鋳鋼の大梁の
構造フレームが使われている。その重さは10トンもある。
 
 構造に驚きや意外性を持たせる。
 身近なスチールの鋳物をつかって
 常識はずれの方法で組み立てたら、
 建物は近づきやすく親近感のあるものに
 なるに違いない。

意外性がどう親近感になるのか、
それはポンピドー・センターや
ライスがその後手がけた
ルーブル美術館のガラスのピラミッドを見れば、
感じ取れるだろう。

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大友美有紀 17年3月5日放送

170305-06
soho42
建築家たち 黒川紀章

かつて「メタボリズム」という建築運動があった。
建築や都市の計画に時間的な概念を導入し、
可変性や増築性を提示した。
その一つが黒川紀章設計の中銀カプセルタワーだ。
各部屋はカプセルで理論上は交換できるシステム。
黒川紀章は晩年、都知事選や参院選に出馬し、
ちょっと変わった人だったと思われがちだ。

 自分は建築家としては残らないが、
 思想家としてはのこる。

その言葉のように、
黒川紀章を語るとき、
カプセルタワーが語られ、
彼の思想もまた語られる。

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大友美有紀 17年3月5日放送

170305-07
Hiroyuki Tsuruno
建築家たち 吉阪隆正

汽車の窓越しに見える自然は、
すでに原始状態ではない。
長い年月の間、人間が加工してきた結果、
半人工的になったものしか見られない。
人工と自然を対立するものととらえない建築家、
吉阪隆正は探検の旅を重ね、独特の視点を育んだ。

 人間が土地の上で建築を作るのではなく、
 土地が人間をして建築を作らしめている。

1965年の伊豆大島の大火の後、すぐに現地に飛び、
島を歩き、島の素晴らしさを発見した。
古い墓場などを残すまちづくりにつなげていった。

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