大友美有紀 17年3月5日放送

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Yawatahamangcc2016
建築家たち 松村正恒

 外観から設計してはいかん
 
 建築を作ること、
 それ自体は大きなことではない。
 建築はしょせん器にすぎないのだから

市役所で設計活動を行っていた松村正恒。
1954年、全国で初めてクラスタータイプの学校となった「新谷中学校」を、
1958年、ベランダやバルコニーが川に突き出している
「日土(ひづち)小学校」などを手がけた。
子どもたちの目の高さを考慮した設計、
内部で使う人のこと思い、作られた学校は、
今の時代にこそ必要かもしれない。
松村の作品は1960年発刊された雑誌の
「建築家ベスト10 —日本の10人— 」の
企画で取り上げられた。

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佐藤延夫 17年3月4日放送

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スピーチの達人 チャーチル

 我々は、海岸で戦う。
 敵の上陸地点で戦う。
 野原や市街地で戦う。
 丘陵で戦う。
 我々は、断じて降伏しない。

これは1940年6月4日、
当時のイギリスの首相チャーチルによる、
下院演説での一説だ。
イギリス軍が、ナチスドイツと攻防を繰り広げていた時期であり、
国民の意識を高める必要があった。

チャーチルの演説は、短いセンテンスを繰り返すなど、
聞き手に強い印象を残す技法が多いという。
さすがノーベル文学賞を受賞するだけに、
スピーチのコツを心得ている。

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佐藤延夫 17年3月4日放送

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manhhai
スピーチの達人 ホー・チ・ミン

 地上のあらゆる民族は、
 生まれながらにして平等です。
 すべての民族に、生きる権利があります。
 幸福で自由になる権利があります。

これは1945年9月2日、
ベトナム民主共和国の独立を宣言するスピーチだ。
ベトナムの革命家、ホー・チ・ミンは、
アメリカ独立宣言やフランス人権宣言など
歴史上の有名な言葉を引用し、
聴衆の心を奪うことに成功した。
このスピーチが終わるころ、
広場は人々の歓声に包まれたそうだ。

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佐藤延夫 17年3月4日放送

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スピーチの達人 マルコムX

 投票は弾丸に似ている。
 標的が目に見えるまで、票を投じてはいけない。
 標的が届かないところにあれば、
 投票権はポケットの中にしまっておくことだ。

これは1964年4月3日、
オハイオ州の教会で行われたスピーチの一説だ。
アメリカの指導者マルコムXは、美辞麗句を並べない。
挑発的、好戦的な言葉で語りかける。
迫害されてきたアフリカ系アメリカ人に、
選挙の大切さを訴え、聴衆の意識を変えた。
ストレートな表現は、凶器のように心に突き刺さる。

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佐藤延夫 17年3月4日放送

170304-04

スピーチの達人 シャルル・ドゴール

 もはやこれまでなのか?
 いっさいの希望を捨てるしかないのか?
 敗北は挽回できないのか?
 私の答えは「ノン!」
 なにがあろうとも、フランスの抵抗の炎は消えない。
 消してはならない。

これは1940年6月14日、
フランスの軍人、シャルル・ドゴールによるスピーチだ。
ドイツ軍がパリを陥落させたとき、
ドゴールは訪問中のロンドンから、
ドイツとの戦いを呼びかけた。
軍人らしく、熱を帯び、迷いなど微塵も感じさせない言い方は、
すべてのフランス国民を勇気付けた。

このスピーチの中で、のちに評価されたのは、
「フランスの抵抗の炎」という一説。
聴く人の愛国心を高め、勇気を与える、
見事な比喩表現だと言える。

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佐藤延夫 17年3月4日放送

170304-05

スピーチの達人 セヴァン・カリス=スズキ

 どうやって修理すればいいかわからないなら、
 壊すのは、もうやめてください。

この有名な言葉は、1992年6月11日、
地球サミット総会でのスピーチだ。
カナダの環境保護活動家、セヴァン・カリス=スズキは、
9歳のときに環境学習グループを設立し、
12歳で地球サミット総会の壇上に立っていた。
スピーチは、およそ6分間。
情熱的に、シンプルに、
自分の言葉で堂々と語る。
それだけで、すべての人が魅了された。
スピーチの巧さに年齢など関係ないことを
彼女は教えてくれる。

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石橋涼子 17年2月26日放送

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hktang
手のはなし 西岡常一

「最後の宮大工」と呼ばれ、
法隆寺の大修理を手掛けたことでも知られる、西岡常一(つねかず)。

材料となる木を探すところから始め、
より良い仕上がりを求めて道具づくりから手がけ、
人を育てることも棟梁の役目と考える、彼の言葉。

 手でものを作りあげていく仕事の者にとっては、
 量じゃありません。
 いいもん作らなあ、腕の悪い大工で終わりでんがな。

西岡の手は、素晴らしい建築物だけでなく、
素晴らしい弟子や道具を、多数残した。

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石橋涼子 17年2月26日放送

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手のはなし 羽海野チカ

人は迷い、悩むとき、
つい、身動きがとれなくなることがある。

そんなときは、漫画化・羽海野チカが
作品を通じて語った言葉を思い出してみよう。
陶芸を学ぶ学生に老教授が言う。
答えが出ない時は手を動かすのが一番だ、と。

 家で頭を抱えても誰かに答えを聞いても
 わからん時にはわからんもんじゃ。
 じゃが不思議なもんで、一心不乱に手を動かし続ければ、
 出来上がった100枚目の皿の上に、
 答えが乗ってることもある。

メモ書きでも、料理でも、じゃんけんでも。
先生の教えにならって、悩んだときは
まず手を動かしてみませんか。

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小野麻利江 17年2月26日放送

170226-03

手のはなし 柳宗悦の「手仕事の日本」

「手仕事」と呼ばれる、人の手による生活道具。
それはかつて、日本人の暮らしに欠かせないものだった。
その美しさに魅了された
民藝運動家・柳宗悦(むねよし)は、
20年近い歳月をかけて、日本中の手仕事を記録した。

太平洋戦争中に編纂され、
検閲や戦火をなんとかかいくぐり、
戦後に上梓されたのが、『手仕事の日本』。

その本の中で、柳は手が持つ効用を、
このように語っている。

 そもそも手が機械と異なる点は、
 それがいつも直接に
 心と繋がれていることであります。

今や21世紀も、17年目。
テクノロジーが支配する「未来」かと思いきや、
私たちはあらゆる手段を使って、
心の繋がりを求めている。

時がどれだけ経ったとしても。
私たちは何度でも、
柳が説く「手仕事が持つ本質」に
立ち返るのかもしれない。

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茂木彩海 17年2月26日放送

170226-04

手のはなし 松浦弥太郎の手

 指先と手を常に清潔に。

これは文筆家、松浦弥太郎が定めた
「100の基本」の中の33番目の基本である。

 ものをさわる、仕事をするなど、
 手というのはとても大切な道具です。
 一番上等で大活躍する道具として、
 指先と手の手入れはくれぐれも抜かりなく。

松浦に倣い、たまには休めた手をじっと見つめ、
ねぎらいの言葉を掛けてあげるのも良いかもしれない。

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