藤本宗将 17年1月21日放送

170121-03

福沢諭吉と風邪とフランネル

明治3年に大きな病を患った福沢諭吉。
なんとか全快したものの
風邪をひきやすくなったりして、
体力の衰えに悩んでいた。

そんなとき友人の外国人医師から、
「肌着をすべてフランネルにすれば風邪をひかなくなる。」

と教えられた。

さっそくシャツもモモヒキもフランネルでこしらえ、
足袋の裏にまでフランネルを付けさせて
全身暖かくしてみたものの、いっこうに効果がない。
やはりすぐに風邪をひいてしまい、すぐ熱が出る。

そこで彼は180度考えを改める。
かつて田舎で暮らしていた頃の質素な生活に戻したのだ。
あえてストーブも焚かず、木綿の着物を着て、
薪割りなどの運動をして汗をかくように心がけた。
すると次第に身体が丈夫になり、
風邪をひくこともなくなったという。

福沢は、自伝の中でこう言っている

 「こちらから媚びるから、病は段々つけあがる。」

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藤本宗将 17年1月21日放送

170121-04

お染と風邪とお札

江戸時代には、風邪が大流行すると
そのたびに名前がつけられていた。
稲葉風邪、お駒風邪、谷風邪、お七風邪、といった具合だ。

当時の人たちはもちろん知る由も無いが、
それらの風邪は感染力の強さからみて
インフルエンザだったと考えられている。

その後も名づけの習慣は続き、
明治23年から24年にかけて流行した風邪は「お染風邪」と呼ばれた。
お染とは浄瑠璃や歌舞伎で有名な物語のヒロインで、
許婚がありながら久松という男とたちまち恋に落ち、熱を上げてしまう。
そんな役どころのイメージから風邪の名前にされたのだろう。

お染風邪が流行してからというもの、
人々は家の玄関や軒下に「久松るす」という
風邪除けのお札を貼ったという。
あなたの好きな久松さんは留守でいませんよ、
だからお染さんは入って来ないで、という意味だ。

インフルエンザウイルスさえまだ発見されておらず、
効果的な対策もない時代。
多くの死者を出したインフルエンザの猛威を前にして、
人々はお札にでも頼るしかなかったのだろう。

マスクなどの予防手段が日本で普及するのは、
大正時代の「スペイン風邪」からである。

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藤本宗将 17年1月21日放送

170121-05
hirotomo t
竹鶴政孝と風邪とリンゴジュース

日本におけるウイスキーの父、竹鶴政孝。
彼が北海道・余市で興したニッカウヰスキーは、
はじめ「大日本果汁株式会社」という名前だった。

ウイスキーづくりには長い年月がかかる。
その間のつなぎとしてリンゴジュースを販売し、
経営を支えようとしたのだ。

しかし高価な果汁100%リンゴジュースは
当時あまり売れなかった。
そこで彼はリンゴジュースの
高い栄養価を前面に押し出して宣伝。
風邪をひいたときの民間療法として、
ようやくリンゴジュースは普及していった。

当時、宣伝の一環として
ニッカから発行された一冊の本がある。
医師がリンゴの効能について記したものなのだが、
随所にジュースの広告が入っている。

商品を売るために健康本を出版する。
宣伝マンとしての竹鶴もなかなかのものだ。

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澁江俊一 17年1月15日放送

170115-01
Tab Tannery
ロンドン塔のワタリガラス

今年、2017年は、酉年。

ワタリガラスという鳥がいる。

我々が都心で見かけるカラスとは
少し違うこの鳥、
実は人類と深い深い縁がある。
北欧神話や旧約聖書のノアの箱舟で
陸地を探すために
船から放たれた鳥がワタリガラスなのだ。
新天地に向かう人類を、
導く鳥だったのだろう。

イギリスのロンドン塔の庭では
チャールズ2世の勅令で
今でもワタリガラスが飼われている。

ロンドン塔から
ワタリガラスがいなくなると
英国は滅びるという言い伝えを
イギリスの人々は今も信じているのだ。

EUを離脱した国を
ワタリガラスは
どこへ導こうとしているのか。

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田中真輝 17年1月15日放送

170115-02

オーデュポンの魂

今年、2017年は、酉年。
ジョン・ジェームズ・オーデュポンは
アメリカの画家・鳥類研究家。

1827年、彼は12年の歳月をかけて完成させた
全4巻の図鑑「アメリカの鳥類」を出版する。
そこには彼が描いた453枚の彩色銅版画が
収められていた。驚くべきはそのサイズ。
この図鑑、縦が1メートル、横が68センチもあり、
大人二人掛かりでないと持ち運べないほどの超大判なのだ。

実物大で生き生きと描かれた鳥類の姿は、
見るものを、ただ圧倒する。
それは、人生をかけて鳥を見つめ続けた
オーデュポンの魂そのものを、そこに
見るからに他ならない。

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澁江俊一 17年1月15日放送

170115-03

日本代表を導くカラス

今年、2017年は、酉年。

ワタリガラスという鳥がいる。

世界各地の神話で、
人類を導く役割を担っていたワタリガラス。

日本にも、同じような神話がある。
それが八咫烏の神話だ。
神武天皇が熊野の国から
大和国へ向かうのを導いたのが八咫烏なのだ。

八咫は大きなという意味の言葉で
つまりオオガラスということ。
そしてワタリガラスは、
日本ではオオガラスとも呼ばれている。

今では日本サッカー協会の
シンボルマークとして知られるこのカラス。
日本サッカーとの歴史は古く、昭和6年。
漢文学者、内野台嶺(うちのたいれい)の
発案でつくられた。

ボールをゴールに導いてほしい
という願いが込められている。

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澁江俊一 17年1月15日放送

170115-04
Augustus Binu
恐怖に魅せられた男

今年、2017年は、酉年。

アルフレッド・ヒッチコック監督の映画、
「鳥」は、大量の鳥たちに訳もなく襲われ続ける
人々の姿が描かれるサスペンスムービーの傑作。
その不条理さ、得体の知れない怖さに、
ヒッチコックの真骨頂を見ることができる。

ではなぜ、鳥なのか。
ヒッチコックはあるインタビューでこう答えている。
「恐怖を取り除く唯一の方法は、
 それを映画にしてしまうことだ」
ヒッチコックは、鳥に得体の知れない恐ろしさを感じ、
また一方で、その恐怖に魅せられていたに違いない。

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澁江俊一 17年1月15日放送

170115-05
KenWalker
写真家を導いたワタリガラス

2017年は、酉年。

ワタリガラスという鳥がいる。

世界各地の神話で、
人類を導く役割を担っていたワタリガラス。

アラスカに住むインディアンには
とりわけワタリガラスの神話が多い。
モンゴロイドである彼らは
かつてこのワタリガラスに導かれて
ベーリング海を越え、
北方アジアから新大陸アメリカへとやってきたのだ。

その神話を追い続けたのが
写真家の星野道夫。
彼はその謎をたどるように
アラスカからシベリアに渡り
ワタリガラスの神話を集める旅をしていた。
その途中、ヒグマに襲われ、命を落とした。

星野道夫はもういない。
けれど今でも、
星野が残したたくさんの写真と言葉は、
ワタリガラスのように
私たちを彼が探していた場所へと、導こうとしている。

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澁江俊一 17年1月15日放送

170115-06

天才絵師のトリック

今年、2017年は、酉年。

江戸時代に活躍した天才絵師、伊藤若冲。
彼は鶏をこよなく愛し、動植物をモチーフにした
作品集「動植綵絵(どうしょくさいえ)」シリーズ
全30点のうち、実に8点が鶏を描いたものである。

中でも「群鶏図」は圧巻。
13羽の鶏が絵の中でひしめきあい、あたかも
動き回っているような錯覚すら覚える。

実は、この錯覚を引き起こすために、若冲は
様々な仕掛けを意図的に施している。
せわしなく動き回る鶏たちを眺めながら、
次はどんな仕掛けで驚かせてやろうか、と
ほくそ笑む若冲の姿が眼に浮かぶようだ。

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澁江俊一 17年1月15日放送

170115-07

国鳥になったワタリガラス

今年、2017年は、酉年。

ワタリガラスという鳥がいる。

世界各地の神話で、
人類を導く役割を担っていたワタリガラス。

このワタリガラスを
国鳥に定めている国がある。
かつてGNH=国民総幸福量という提案で
世界が注目した国、ブータンだ。

幸せという
数値化できない指標を使い
経済ですべてを理解しようとする世界を、
別の場所へ導こうとしているブータン。

その国王の冠には今も、
ワタリガラスの彫刻が飾られている。

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