茂木彩海 16年7月31日放送

160731-06
David W. Carmichael 
記録のはなし スルヤ・ボナリー

1991年の世界選手権。

ここで幻の4回転ジャンプが氷上に舞った。
スルヤ・ボナリー。
当時圧倒的に数が少なかった黒人の女性フィギュアスケーターである。

得意のジャンプを武器に、数々の選手権で会場を沸かせたが、
4回転ジャンプですらも、
「表現力が足りない」「回転不足」などの理由から
入賞を果たせず、その実力がなかなか評価されない選手人生が続いた。

そんな中迎えた1998年長野オリンピック。

彼女は、競技ルールでは禁止されている後方宙返りを行った。
見たことも無い大技に歓声を上げる客席。
演技終了後、彼女は審査員に背を向けて、客席に向け、笑顔でポーズを取った。

せめて自分らしく終わろうと、彼女なりに決意した瞬間だった。

委員会の正式な記録では、この11年後、
女性で世界初の4回転ジャンプが成功したとされている。

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茂木彩海 16年7月31日放送

160731-07

記録のはなし 刈屋富士雄

「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ」

体操ニッポンが大活躍を果たした2004年アテネオリンピック。

男子団体、最終演技者の冨田洋之が鉄棒から降りた瞬間の
実況は、いまでも名実況として記録されている。

テレビ放送史に残る実況を行ったのは、
アナウンサーの刈屋富士雄。

実はこの時、刈屋はもともと別の言葉を用意していた。
「体操ニッポン、日はまた昇りました」。

しかし直前で、ローマ大会から実に28年ぶりの金メダル獲得を
過去の栄光と、これからの未来をつなぐ「架け橋」
という言葉で表現することを選んだ。

刈屋は言う。

 言葉は不思議で、その瞬間に出たから伝わる。
 1分ずれると伝わらない。命があるんですかね。

その瞬間を、言葉で記録する。
その言葉が、観る者の記憶をつないでいく。

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中村直史 16年7月30日放送

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音楽に生きる人 新庄清貴さんと小宮大輔さん

国と国の境で
国籍の壁をこえて、
みんなでいっしょに歌いたい。

そんなことを夢想した人たちがいる。

日本と韓国の国境ぞいの島、
対馬生まれの
新庄清貴(しんじょう・きよたか)さんと小宮大輔(こみや・だいすけ)さん。

夢は計画に変わり、計画は行動になった。
日本と韓国のアーティストも動き出した。
「対馬ボーダーアイランドフェスティバル」

新庄さんはこんな風に語ってくれた。

  国境の島が、友好の架け橋になる。 
  困難はいっぱいあるけど、ぜんぶ越えられると思うんです。

国境の壁を越えようとする思いが、
人の気持ちの中にある
いろんな壁を乗り越えようとしている。

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三島邦彦 16年7月30日放送

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音楽に生きるひと 小澤征爾と斎藤秀雄

世界の音楽通をうならせる日本のオーケストラ、
サイトウ・キネン・オーケストラ。

それは、
指揮者の小澤征爾をはじめ多くの音楽家を育てた教師、
斎藤秀雄先生を偲ぶ演奏会から生まれた。

常設の楽団ではないため、
全体の調和よりも、それぞれの奏者の強い個性が際立つ。
その自由闊達なハーモニーは、
新しいオーケストラの形として高く評価された。
定期的に演奏会を開くようになり、
海外公演にも招待され、
グラミー賞も受賞するなど、
世界的なオーケストラへと成長した。

小澤征爾は、斎藤先生に言われた言葉を思い出す。

 伝統といっても、そこには良い伝統と悪い伝統がある。
 その国に行ったら、そこの良い伝統だけを取り入れなさい。
 もしそれができたら、日本人だって、アジア人だって、ちゃんと分があるぞ。

西洋音楽の伝統のない日本で音楽を教え続けた斎藤先生。
そこから巣立ち、世界中の良い伝統を取り入れた教え子たちによって、
世界に響く音楽が生まれることになった。

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三島邦彦 16年7月30日放送

160730-03
ultraswank.net
音楽に生きる人 フランク・シナトラ

フランク・シナトラ。

アカデミー賞を受賞した映画スターであり、
マフィアとの関係も噂された危険人物。
なにより、20世紀の音楽界に
決定的な影響を与えた歌手だった。

その声でファンの女性達を
失神させた若き日から、
70代になっても現役だった晩年まで、
シナトラの声は、世界中で愛され続けた。

貧しい移民の子からアメリカを代表するスターへ、
歌声だけでのしあがった彼の人生。
彼の声には、彼の人生のすべてがあった。
これは、シナトラの言葉。

 傷を隠すんじゃない。その傷が、君という人間を形成しているんだ。

シナトラの声が人々の胸を打つのは、
一筋縄ではいかない人生を、
すべて受け入れてくれるような響きがあるからかもしれない。

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三國菜恵 16年7月30日放送

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*key1jp
音楽に生きる人 井上陽水

2002年。
日本を代表する夏フェス、フジロックフェスティバルに呼ばれた井上陽水。

いわゆるフェスなんかははじめてで、
若いお客さんは多いし、
いつもと勝手が違う。

一体何を歌ったらいいんだろう。
陽水は悩み、忌野清志郎に相談した。
するとこんなアドバイスをくれた。

「フジにくるお客さんは君のことはあまりよく知らないんだから、
 売れた曲から順番にやればいい」

少年時代、アジアの純真、氷の世界。
ヒット曲満載のステージを陽水は全力で届けた。

大御所と呼ばれるのは、
目の前のお客さんの反応を気にしてばかりいるからこそ、なのかもしれない。

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三國菜恵 16年7月30日放送

160730-05
Atos International
音楽に生きる人 峯田和伸と大森靖子(おおもりせいこ)

ある日ライブハウスで、
マイクに向かって自分のアドレスを叫んだ。
すると何人かのファンがメールを送ってくるようになった。

ロックバンド・銀杏BOYZのボーカル、峯田和伸は、
ファンから日々受信するメールを、
高円寺のアパートでスクロールしていた。
その中に、いつも同じタイトルで送ってくる女の子がいた。

メールタイトル:大森靖子

おそらくそれは彼女自身の名前。
学校でうまくいかない、バイト先で面倒が多い。
そんなことが、妙に文学的な長文でつづられていた。

峯田はそれを見ながら思った。

 誰かに毎日メールを送ってくるのってすごい。
 力も使うし時間も使うし。
 そんぐらいのことをやってる人が
 楽器とか持って曲とか書いたらたぶんすごいのにな。

数年後、彼女は夏フェス会場を埋める
シンガーソングライターになって登場する。

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森由里佳 16年7月24日放送

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jetalone
文(ふみ) 切手デザイナー:小さなスタンプから広がる世界

年間約40種類以上発行されるという切手。

その絵柄を考えているのは、
日本郵便株式会社にいる切手デザイナーだ。

今まで発行された切手には、
歴史や芸術はもちろん、スポーツや食べ物、
動植物からアニメまで、あらゆるものがデザインされてきた。

主任デザイナーの玉木明は、こう語る。

 切手のデザインには学校で習うもの全てが含まれているんです。
 それは、切手から社会の全てを学ぶことができるということ。
 見る人にとって、知らなかった世界を知るきっかけになればいい、と思います。

今月は文月。
メッセージをこめるなら、
タップして送るだけのスタンプもいいけれど、
手紙に貼るスタンプも、いかがですか。

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森由里佳 16年7月24日放送

160724-02

文(ふみ) 切手デザイナー:消印の下にも、ご注目。

消費税増税がきっかけで、2円切手が復活した。
50円切手や80円切手に組み合わせて、差額分として使うためだ。

切手デザイナーは、貝淵順子。

 いろんな用途で楽しく使っていただけるように

彼女がそんな思いを託したデザインは、
まっしろなエゾユキウサギの絵。

ふんわりと愛らしいその姿は、
一枚多く切手を貼るときのちょっとトゲトゲしたきもちも、
ふんわりと包みこんでくれそうだ。

そのためだろうか。
2円切手は、1シート100枚を一度に購入する人がいるほどの人気ぶりである。

今月は文月。
手紙を書くときは、便箋だけでなく、
切手にもこだわってみませんか。

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森由里佳 16年7月24日放送

160724-03

文(ふみ) 切手デザイナー:切手に、物語を。

2003年にはあみものをしていたひつじが、
2015年には完成したマフラーをまいている。
2004年には一匹で温泉に入っていた猿が、
2016年にはこどもの猿と二匹で温泉を楽しんでいる。

これを聞いて、ピンとくる人もいるだろう。
話題になった、年賀ハガキのデザインだ。

日本中を虜にした遊び心の持ち主は、
切手デザイナーの星山理佳(あやか)。

 いろんな表現があるけれど、
 歴史をのこし伝えていく切手をつくっていきたい。

そう語る彼女だからこそ、
年間40種以上も発行されるという切手に、
12年の歳月を経た物語を見いだせたのだろう。

今月は文月。
むかしの手紙を見返してみるのもいいかもしれません。

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