佐藤日登美 16年7月24日放送
Debris2008
文(ふみ) 宮崎駿からの手紙
映画監督、細田守。
彼は、宮崎駿の「ルパン三世 カリオストロの城」に衝撃を受け、
映画制作に興味を持つ。
だから、細田が就職先としてスタジオジブリを選んだのに不思議はない。
彼は、絵を2枚以上描いて提出する試験で150枚以上を提出し、
その熱意をアピールした。
しかし、最終選考で不採用になってしまう。
落胆した細田のもとに、宮崎駿から手紙を届いた。
君のような人間を入れると、
かえって君の才能を削ぐと考えて、入れるのをやめた
結局、細田はジブリを諦め、のちの東映アニメーションに入った。
そして後年、彼は「時をかける少女」や「バケモノの子」を発表することとなる。
今月は文月。
すばらしい映画は、一通の手紙によって生まれたのかもしれない。
佐藤日登美 16年7月24日放送
文(ふみ) リルケからの手紙
詩人、リルケ。
ある日、彼は詩人を志す青年から手紙を受け取る。
中には青年が書いた詩と、その詩を読んで、
自分が詩人になれるかどうか見極めてほしい、という依頼が入っていた。
しかし、偉大な詩人リルケは、「わたしにはできない」とこの頼みを断った。
あなたの夜の最も静かな時間に、
自分は詩を書かずにはいられないのか…、とご自分にお尋ねなさい。
心のなかを掘って深い返事をお捜しなさい。
(中略)
そして、もしあなたがこの真剣な問いに、
「私は書かずにはいられない」という
強い簡単な返事をすることがおできになるならば、
そのときには、あなたの生活をこの必然性に従ってお建てなさい。
今月は文月。
一通の手紙で、詩人は若者の情熱と覚悟を問うた。
佐藤日登美 16年7月24日放送
koharuteisyoku
文(ふみ) 15歳の自分からの手紙
アンジェラ・アキの「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」。
この歌は、アンジェラ・アキ自身が学生のとき、
大人になった自分に宛てた手紙から生まれている。
彼女は30歳のときに、その手紙と再会する。
そこには、親にも友だちにも言えない悩みが、
便箋6枚にもおよんで書きつづられていた。
15歳だからこそ持つ苦く、くるしい気持ち。
二番の歌詞は、そんな自分に対しての返事になっている。
今負けないで泣かないで消えてしまいそうな時は
自分の声を信じ歩けばいいの
彼女のことばは、15歳だった自分にだけでなく、
15歳を生きるすべての人たちに向けられている。
今月は文月。
一通の手紙は、過去にも未来にも届けることができる。
蛭田瑞穂 16年7月24日放送
文(ふみ) 三島由紀夫『レター教室』
三島由紀夫に『レター教室』という作品がある。
恋したり、フラれたり、あざけりあったり、憎みあったり。
職業も年齢も異なる5人の男女が繰り広げるさまざまな人間模様を
すべて手紙形式で表現した小説だ。
「古風なラブレター」「借金の申し込み」
「結婚と新婚を告げる手紙」「裏切られた女の激怒の手紙」など、
31通の手紙が作中に登場する。
小説を読みながら、いつしか手紙の書き方も学んでいるという
ユニークな作品である。
今月は文月。
たまにはメールではなく、直筆の手紙を書いてみませんか。
蛭田瑞穂 16年7月24日放送
文(ふみ) 夏目漱石『こころ』
夏目漱石晩年の名作『こころ』。
わたくしはその人を常に先生と呼んでいた。
だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。
小説の前半は、鎌倉の海岸で出会った “先生”の姿が
先生の不思議な魅力にとりつかれた学生の目を通して描かれる。
後半は先生の謎に包まれた過去と内面が、
先生からの手紙という形式で語られ、明らかになる
対照的なふたつの文体により、人間の奥底に潜むエゴイズムと、
人間としての倫理観との葛藤が見事に表現される。
今月は文月。
手紙が鍵となる小説を読んでみてはいかがですか。
伊藤健一郎 16年7月23日放送
生涯、冒険家。(ウォルター・ローリー)
「私にはシェークスピアに匹敵する分厚い本は書けない。
しかし、私ならではの本を書くことはできる」
ウォルター・ローリー。
その男は、貴族であり、政治家であり、詩人だった。
そして16世紀イギリスで、新世界への扉をひらく冒険家でもあった。
幾度となく大海原を旅したウォルターは言う。
「情熱とは海だ。浅きものはつぶやき、深きものは黙す」
伊藤健一郎 16年7月23日放送
NOAA Photo Library
生涯、冒険家。(大場満郎)
「いつ死んでも不思議じゃなかった」
北極海単独徒歩横断。
大場満郎は、見果てぬ夢を追いかけた。
凍傷になり足の指をすべて失った。
凍った体で遺言を書いた。
3度の失敗を重ね、大場は学んだという。
畏れ、謙虚、感謝こそ、前人未到の旅を成し遂げるカギであると。
4度目の挑戦で北極海を制覇し、
その2年後には、南極大陸の単独徒歩横断を成功させた大場。
彼は言う。
「冒険家が大胆なだけだったら、それは死に直結してしまいます」
伊藤健一郎 16年7月23日放送
Tasmanian Archive and Heritage Office
生涯、冒険家。(エドモンド・ヒラリー)
エドモンド・ヒラリー。
1953年に、世界で初めてエベレスト登頂を成し遂げた冒険家だ。
地球上で最も高い地点に立った男は、
特別なトレーニングをしていたわけではなかった。
本業としていた、養蜂業。
来る日も来る日も蜂の巣箱を運ぶ作業が、
強靭な足腰を育てたという。
積み重ねることの大切さを知るエドモンドは言う。
「山はこれ以上大きくならないが、私たちはいくらでも成長できる」
伊藤健一郎 16年7月23日放送
Martin D Stitchener PiccAddo Photography
生涯、冒険家。(ジェームズ・スティーブ・フォセット)
男は、自分の力だけで世界一周を果たした。
気球で、船で、飛行機で。乗り物をかえ、
たった一人、地球を何度もぐるりと旅した。
男の名は、ジェームズ・スティーブ・フォセット。
金融サービス業で財をなし、その後の人生は冒険家として生きた。
87もの航空世界記録を持つジェームズは言う。
「目標を高く設定して、そんなことは不可能だという周囲の言葉に惑わされるな」
2007年、ジェームズは、
車のスピード記録に挑戦するための実験コースを探しに
小型機で飛び立ち、帰らぬ人となった。
その生涯は、冒険の中で幕を閉じた。
伊藤健一郎 16年7月23日放送
Sergey Ashmarin
生涯、冒険家。(ラインホルト・メスナー)
「僕は自分自身のために登る。僕自身が祖国となり、僕のハンカチが国旗となるからだ」
8000メートルを越える山々、全14座を完全登頂した男。
ラインホルト・メスナー。
彼は決して、ボルトを山に打ち込まない。
酸素ボンベを持ち込まない。
ラインホルトは語る。
「死の危険がなかったら、クライミングはもはやクライミングではない。
山に登っているとき、僕は死を求めているのではなく、
それとは正反対に、なんとか生きようとしている」