大友美有紀 16年7月3日放送
NASA HQ PHOTO
「宇宙飛行士という仕事」鳩ぽっぽ・若田光一
国際宇宙ステーションで日本人初のコマンダー、
船長を務めた若田光一。
宇宙飛行士として、順風満帆のように見えるが、
多くの失敗も重ねている。
NASAで宇宙飛行士として訓練を始めた頃、
シミュレーション訓練で
スペースシャトルを墜落させてしまったこともある。
分厚いマニュアルを読み込んで予習して、
システムをしっかり理解して、
できることはすべてやって訓練に臨むわけですが、
英語が聞き取れないために成果が出せない。
そんなある日、車でひとり帰宅中、
ふと「鳩ぽっぽ」を歌っていました。
英語がわからなくて、苦しみながら頑張ったNASAでの最初の年。
でも、その1年は自分が一番向上した時でもあったという。
失敗を恐れないで前進していく勇気と、
失敗してもそれを教訓として次のステップに
確実に生かしていく姿勢が必要。
経験に裏付けられた若田の言葉は、まっすぐ届いてくる。
大友美有紀 16年7月3日放送
「宇宙飛行士という仕事」中年の星・油井亀美也(ゆいきみや)
2015年7月23日、JAXA宇宙飛行士、油井亀美也は、
ソユーズに搭乗し、国際宇宙ステーションに向け、打ち上げられた。
油井は宇宙飛行士に選抜された時から、
自らを「中年の星」と紹介している。
搭乗時は、45歳。
この年齢は、NASA宇宙飛行士の実績から、
体力、気力、知力が最も充実した時期で、全く問題はない。
自分の限界や、日本実験棟「きぼう」の性能限界に挑みたい。
小さな挑戦を積み重ねることは大切で、
それを知る人は努力や勇気を知っているので、
互いに尊敬できる。
チームワークの大切さを知っている。
油井の前職は、航空自衛隊の戦闘機パイロット。
ソユーズの落下制御失敗を想定した訓練では、8Gの重力を受ける。
その加重訓練後、油井は、この程度では問題ないと言った。
中年の星は、宇宙飛行士の資質の大半をもともと備えていたのだ。
大友美有紀 16年7月3日放送
「宇宙飛行士という仕事」ツイッター・油井亀美也(ゆいきみや)
JAXA宇宙飛行士、油井亀美也は、2015年7月23日に地球を飛び立ち、
約142日間、国際宇宙ステーション滞在し12月11日に帰還した。
日本実験棟「きぼう」での実験、ステーションのメンテナンス、
船外活動の支援などをパワフルに行いながら、
写真とともにツイッターで日々の状況を発信した。
「宙亀写真」と呼ばれる油井の投稿写真。
宇宙飛行士になる前は、写真には興味がなかった。
長期滞在クルーに任命されたあと、自分でカメラを買って勉強した。
写真で地球の美しさ、星の美しさを
伝えたかったこともありますが、
地球を見て最初に感じたのは大気の薄さです。
これに非常に驚きました。
地上にいると空気は無限にあると思っていますが、
宇宙から見ると青い層が非常に薄く見え、
その下に雲が見え、その下でしか人間は生活できないんだ
と思うと、地球を大切にしなければいけないと実感しました。
油井が伝えたかったことは、
宇宙に行ったからこそ感じたことだった。
大友美有紀 16年7月3日放送
「宇宙飛行士という仕事」きぼう
国際宇宙ステーションにある日本実験棟「きぼう」。
2008年、星出宇宙飛行士が据え付けミッションを行った。
終了後、星出は自ら調達してきた「きぼう」と書かれた
のれんを入り口に掛けて、「日本の家が完成した」と宣言した。
すると、滞在していたすべての宇宙飛行士が集まり、
実験室内が酸欠になるのでは、と心配になるほど喜びを爆発させた。
「きぼう」は船内で供給される限られた資源を用いて、
船外と船内の環境で実験ができる構成である。
「きぼう」はすべて揃った、
All in Oneの優等生だ。
海外のパートナーからも好評である。
7月7日に出発する大西宇宙飛行士も「きぼう」で
数々のミッションを行う予定だ。
JAXA宇宙飛行士は、搭乗期間中は「低軌道長期出張」である。
国際宇宙ステーションまでの移動は、ソユーズ搭乗で賄われ、
三度の食事は宇宙食。宿泊施設は個室クルークォーター。
出張費は出ない。
宇宙は、もはや夢の、憧れの場ではなく、
「きぼう」のある職場となった。
佐藤延夫 16年7月2日放送
John Stango
追悼モハメド・アリ
2016年6月3日。
時代に君臨したボクサーが、この世を去った。
モハメド・アリ。
引退したのは35年も前になるが、
それでもなお、彼は世界のどこかに居た。
湾岸戦争ではイラクに渡り、人質解放に力を尽くした。
アトランタオリンピックのときは、
パーキンソン病で手を震わせながら聖火台に立っていた。
そんな彼の言葉だ。
「私は神話をつくり、神話の中で生きる」
男が死んでも、モハメド・アリという神話は、永遠に生き続ける。
佐藤延夫 16年7月2日放送
RV1864
追悼モハメド・アリ
モハメド・アリは、ボクシングを始めた12歳のときから
美しく闘いたいと思っていた。
相手のパンチを貰わずに勝つ方法を考え、
誰よりも速いフットワークを手に入れた。
醜いガードで顔を覆いたくないから、
両方の腕はダラリと下げたまま。
世界で最も華麗なボクサーは、
こんな言葉を残した。
「チャンピオンは、ジムで作られるものじゃない。
彼らの奥深くにある〝何か〟で作られるんだ。
たとえば、願望、夢、ビジョン。」
モハメド・アリをつくったもの。
それは、白人に屈してきた黒人たちの歴史かもしれない。
佐藤延夫 16年7月2日放送
cliff1066™
追悼モハメド・アリ
モハメド・アリが、まだカシアス・クレイと名乗っていたころ。
対戦相手を挑発し、罵り、KOまで予告するので、
ホラ吹きクレイと呼ばれていた。
もちろん、大口を叩くのにも理由があった。
多くの人が注目し、
野次が飛ぶほど人気も上がるからだ。
もちろん、自分の言葉が生んだプレッシャーを力に変える。
それだけの実力は持ち合わせていた。
モハメド・アリは言う。
「リスクを選ぶ勇気がない者は、人生において何も達成することができない」
耳が痛いほど、人生に当てはまる。
佐藤延夫 16年7月2日放送
RV1864
追悼モハメド・アリ
男は、栄光を捨てる。
ローマ・オリンピックで手にいれた金メダルは、
レストランで人種差別を受けたあと、オハイオ川に放り投げた。
そんな逸話が残っている。
ベトナム戦争で徴兵を拒んだときには、
世界ヘビー級のタイトルだけでなく、
ボクサーとしてのライセンスも捨てる羽目になった。
それまで得た信用も、収入源も失った。
しかし、彼には信仰があった。信念があった。
反戦集会でマイクを握り、
戦争の愚かさと人間の平等を学生たちに説いてまわった。
捨てた栄光の代わりに、違うものを見つけた。
「想像力のない奴に、翼は持てない。」
彼の言葉が、心に刺さる。
佐藤延夫 16年7月2日放送
jeso.carneiro
追悼モハメド・アリ
もしもボクサーに1年のブランクがあったら、
7割ほどしか実力が戻らないという。
世界最強の男と言われたモハメド・アリさえも
政治的な理由でタイトルを失ったあと、
永遠にも思える空白期間を送った。
3年7ヶ月ぶりのリング。
カムバック戦の会場は、黒人のファンで埋め尽くされた。
そして、白人の選手を簡単に倒した。
「不可能とは、誰かに決めつけられることではない。
不可能とは、可能性だ。
不可能とは、通過点だ。
不可能なんて、ありえない。」
モハメド・アリは、強い。その言葉も。
小野麻利江 16年6月26日放送
papadont
童謡のはなし たなばたさま
ささの葉さらさら
のきばにゆれる
お星さまきらきら
きんぎん砂子(すなご)
七夕に欠かせない童謡、「たなばたさま」。
2番までしかない短い唄だが、
歌詞の中には、数々の色彩がつめこまれている。
「きんぎん砂子」の「砂子」は
金箔や銀箔を細かい粉にしたもので、
天の川の細かい星屑のたとえ。
「五色」は、短冊の色の多さを表したものだが、
七夕の発祥・中国の五行説に由来する、
自然現象を抽象化した、五つの色とも考えられる。
五しきのたんざく
わたしがかいた
お星さまきらきら
空からみてる
梅雨の灰色の曇り空が続いても、
七夕は、どことなく心はずむもの。
さあ、7月はもうすぐ。