厚焼玉子 16年6月18日放送

160618-01
TSUNEAKI HIRAMATSU
紫陽花 朔太郎

 こころをばなににたとへん
 こころはあぢさゐの花
 ももいろに咲く日はあれど
 うすむらさきの思ひ出ばかりはせんなくて。

前橋出身の詩人、萩原朔太郎は
心を紫陽花に例えた詩を書いた。

よころびの日の底には
さびしかったりつらかったりした思い出が
沈んでいるのだろう。

どんなに青いアジサイの花も
枯れる間際には赤みを帯びるという。

朔太郎のふるさと前橋では
明日19日からアジサイ祭りが開催される。

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厚焼玉子 16年6月18日放送

160618-02
Yamaguchi Yoshiaki
紫陽花 蛍

アジサイの季節は蛍の季節でもある。

日が落ちて
川沿いのアジサイの道を行けば
輪郭もおぼろになった花の下に
いくつもの小さな光が集まっている。
ああ、これも花か。夜に咲く光の花か。

そんな情景を詠んだのだろう。
藤原定家のアジサイの歌がある。

 あじさいの 下葉にすだく蛍をば
 四ひらの数の添うかとぞ見る

ここに「四ひらの数」と詠まれた花びらは
実は花びらではなく
アジサイの萼の部分らしいのだが、
美しさを鑑賞するとき、
そんな知識は忘れておこう。

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厚焼玉子 16年6月18日放送

160618-03
kazutan3@YCC
紫陽花 アジサイ寺

アジサイ寺のアジサイを植えたのは誰だろう。
アジサイの季節に
ふと、そんな疑問が浮かんだ。

北鎌倉のアジサイ寺、明月院は
第二次世界大戦後に参道を整備する杭が足りず、
杭の代わりにアジサイを植えたのがはじまりだそうだ。

丹波のアジサイ寺、観音寺は
およそ50年前のご開帳の記念に植えた1万株のアジサイが
すくすく育って
いまではアジサイ寺と呼ばれるようになっている。

松本市のアジサイ寺、法船寺は (ほうせんじ)
40年ほど前からみんなでアジサイを植えはじめた。
アジサイの花の向こうに見えるのは北アルプス。
夕焼けに染まると誰もが息を呑む。

アジサイのある風景を作ってくれた人に感謝しよう。

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厚焼玉子 16年6月18日放送

160618-04
さちどん
紫陽花 アジサイ祭り

アジサイの名所を調べたら
東京だけで、あっという間に10カ所を超えた。

神社のアジサイ、遊園地のアジサイ、
植物園のアジサイ。
白いアジサイを集めた斜面もあれば
池のほとりに咲くアジサイもある。

そういえば、
上野の不忍池にもアジサイの群落があって
歩く人の目を楽しませているし
墨田川沿いの隅田公園には2kmほどのアジサイロードがあった。

ビルに囲まれて咲くアジサイは
梅雨空の下にともった灯りのようだ。

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厚焼玉子 16年6月18日放送

160618-05
KYR
紫陽花 盗人

むかし、
愛知県蒲郡の形原村では(かたのはらむら)
誰にも見つからずに
他所の庭のアジサイを盗んできて玄関に吊すと
一年は災難に遭わずお金もたまるという民間信仰があった。

花の時期になると
村の人々は年に一度の盗みをする。
ときには家の人に見つかって
気まずい思いをすることもあったのだろう。

それを見かねた補陀寺(ふだじ)の住職さんが
「それなら」と言って
お寺にアジサイを植えた。
仏さまがくださるアジサイだ。
村人の罪の意識も少しは軽くなっただろうか。

いまこの村はアジサイの里になり、
補陀寺の周辺には
5万本のアジサイが咲いている。

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松岡康 16年6月12日放送

160612-01
kiki ☆
批判する人々

世界初の消しゴム版画家ナンシー関。
その独特な視点で
多くの有名人の批評を展開した彼女は
こう語っていた。

 私たち見ている側は、
 口ではスターを待ち望んでいると言いながら、
 一方でそれを阻んでいる。
 うっとり眺めているよりも、
 引きずり降ろして咀嚼する楽しみを
 習慣づけてしまった。

ネット時代となった今、
政治家やタレントなどの
ちょっとした言動に対しても、
批判が一気に押し寄せる。

ナンシーは、そんな時代の到来を
ずっと前から予言していた。

彼女が世を去って14年が過ぎた。
誰もが批評家となった日本を、
ナンシーが見たら何と言うだろう。

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奥村広乃 16年6月12日放送

160612-02
CeciliaC
辛口の優しさ

世界初の消しゴム版画家にして
すぐれたTVコラムを書き続けた、ナンシー関。
今日は彼女の命日である。

彼女の書くコラムは、ときに辛口だと評される。
しかし、リリー・フランキーは
辛口だと思ったことがないという。

 僕らが頭や心の中で、
 言葉や文字にできずにいることを
 手に取って並べ換えて、
 それは、こういうことなんじゃないの?
 と教えてくれる

それが、ナンシー関の書くコラム。

無意味な褒め言葉は使わない。
けれど、たんなる悪口もいわない。

巧みな文章と、
味わい深い消しゴムハンコで
綴られたコラムの数々は鋭くも、
相手への想いに満ちている。

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澁江俊一 16年6月12日放送

160612-03
Saku Takakusaki
懐疑的であれ

世界初の消しゴム版画家にして
すぐれたTVコラムを書き続けた、ナンシー関。
今日は彼女の命日である。

テレビを見ながら
そこにうごめく人間もようを観察し
思いもよらない言葉を与えて読者を共感させながら、
そんな自分に、どこか懐疑的でもあった。
彼女のコラムは、多くの作家も魅了した。

ナンシーのファンだと公言する作家、
宮部みゆきはこう語る。

 ナンシーさんが亡くなった時
 司馬遼太郎さんが亡くなった時と
 同じくらいの喪失感があった。
 もう読めなくなると思うと、心細くなった。

「批評とは竟に己れの夢を
懐疑的に語る事ではないのか」
そう語った小林秀雄にならえば、
ナンシー関こそ、
本物のテレビ批評家だったのだ。

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松岡康 16年6月12日放送

160612-04

アートとしての消しゴムハンコ

世界初の消しゴム版画家、ナンシー関。
今日は彼女の命日である。

消しゴムハンコのための消しゴム「はんけしくん」。
老舗消しゴムメーカーのヒノデワシ株式会社と
ナンシー関とが共同で開発した。

それまで普通の消しゴムを使って
ハンコを作っていたナンシー関。
素材を徹底的に改良することで、
ちょっと固めで彫りやすい
消しゴムが生まれた。

専用の商品が生まれたことで、
消しゴムハンコは、アートになった。

商品が開発されて21年。
今では多くの消しゴムはんこ作家が
プロとして活躍している。

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澁江俊一 16年6月12日放送

160612-05
ひでわく
テレビを見破る

世界初の消しゴム版画家、ナンシー関。
今日は彼女の命日である。

消しゴム版画だけでなく、
日々無数の番組を流し続けるテレビを
徹底的に観察して、
見事なコラムにするという
稀有な才能も持ち合わせていたナンシー。

 見えるものしか見ない。
 でも目を皿のようにして見る。
 そして見破る。

そう語る彼女の、
厳しくも愛のあるコラムは
多くのテレビマンに恐れられ、
また彼らを虜にもした。

あるテレビプロデューサーはこう語る。
「はやく第二のナンシーさんが現れないと、
テレビの制作現場が健全にならないんじゃないか、
と心配しています」

14年ぶりに今のテレビを見たら、
ナンシーはどんな言葉をぶつけるのか。

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