礒部建多 16年6月12日放送
OiMax
ナンシー関の名付け親
世界初の消しゴム版画家にして
すぐれたTVコラムを書き続けた、ナンシー関。
今日は彼女の命日である。
多くの人がナンシーの
その辛口な書評を讃える中、
作家のいとうせいこうは、
こう追悼の意を表している。
自らの身辺もきれいでユーモラスで、
意地悪のようでいながら
おおらかに優しい人が一人いなくなった。
ナンシーの稀有な才能を発掘し、
名付けたのはいとう本人だった。
テレビを鋭く批評する言葉の裏には
生みの親にしか見せない、
優しさがあったのかもしれない。
奥村広乃 16年6月12日放送
ナンシー関とカラオケ
世界初の消しゴム版画家、ナンシー関。
今日は彼女の命日である。
カラオケとは人格なんだね。
と、ナンシーは言う。
カラオケは上手い下手よりも、
なにを歌うかが気になる。
その選曲によって、
人となりも
その集団の中のポジションも
なんとなくわかってしまうから。
周りの人にそんなに観察されるなら、
カラオケは娯楽じゃない、怖いものだと
彼女は笑って語った。
マイナーコードの
圧倒的に暗い曲を好んで歌ったというナンシー。
彼女の歌はとても上手だったという。
礒部建多 16年6月12日放送
Fabio Sola Penna
ナンシー関の成功
世界初の消しゴム版画家、ナンシー関。
今日は彼女の命日である。
「この世界で成功するためには、
平凡な幸せを望んじゃいけない。」
そう語るナンシーは、人生を仕事に捧げた。
膨大な量の連載を抱えながら、
1日15時間以上も寝ずにテレビ鑑賞。
過度なストレスと、不規則な生活。
39歳でこの世を去った。
死後14年経過しても、
命を削りながら生み出した作品たちは、
多くの人々に愛されつづけている。
ナンシーにとって、これは
思い描いていた
一つの成功なのかもしれない。
厚焼玉子 16年6月11日放送
ひでわく
花と遊ぶ ホウセンカ
夏の庭で
少女たちはホウセンカの花を摘み
その汁で爪を染めた。
爪が赤く染まるから
ホウセンカの別名は爪紅(つまべに)
または爪くれない(つまくれない)
お母さんの口紅はいたずらすると叱られるけれど
ホウセンカの赤は子供にも許された。
おしゃれという言葉も知らず
ただ赤い色がうれしかったあの夏。
昔はよく見かけたホウセンカを
伊藤左千夫はこんな歌に詠んでいる。
山里に友とひよれば 庭さきにつまくれなゐの花ぞ咲きける
厚焼玉子 16年6月11日放送
ドラ猫
花と遊ぶ 朝顔
朝顔は夏休みになってから種をまくと
新学期になっても花は咲かない。
5月の末に種をまいた朝顔が花をつけるのは
8月のはじめ頃だし、
6月の半ばにまいた種は
8月の半ばにやっと咲きはじめる。
朝顔の観察日記には計画性が大事だと、
子供の頃に教えられた。
朝顔の花の色は赤、青、白が基本だが
原種の花は青色だった。
垣根に青い朝顔が咲くと
ふるさとの夏が涼しく思えた。
朝顔や 一輪深き淵の色 与謝蕪村
厚焼玉子 16年6月11日放送
nao
花と遊ぶ 露草
露草は染料になる。
ただし、その色は水で洗うと簡単に落ちる。
その性質を利用して
友禅の下絵を描くのに使われてきたが、
子供たちにとっては消えるインクの材料だった。
誰もいないところで
誰にも言えない言葉を書いて
あわてて水で消す。
空の青、水の青。
その明るい色は
紙に書いても、布を染めても
決して残ることはない。
露草は6月から咲き始め
夏休みが終わってもまだ咲いている。
見かけよりたくましいのかもしれない。
露草や露の細道人もなし 正岡子規
厚焼玉子 16年6月11日放送
tanakawho
花と遊ぶ オシロイバナ
オシロイバナは夕暮れに咲く。
夕暮れに咲いて
朝には萎んでしまうひと晩だけの花だ。
道端にこの花がたくさん咲いていた頃、
子供たちは花の付け根を引っ張って落下傘をつくり
風に飛ばして遊んだ。
オシロイバナは甘い香りがする。
種を割ると出て来る白い粉を
白粉にしてお化粧ごっこをすることもあった。
オシロイバナの別名は夕化粧。
お化粧に興味を持ちはじめた少女にとっては
ちょっと悩ましい花だったかもしれない。
おしろいの花ぬってみる娘かな 小林一茶
厚焼玉子 16年6月11日放送
qooh
花と遊ぶ ホオズキ
赤いホオズキの実は知っていても
ホオズキの白い花を知る人は少ない。
花の時期はちょうどいま。
花が終わり、実を結び、
その実が赤くなるのが8月の旧盆のころなので
死者の霊魂を導く提灯に見立てられた。
そのお供えのホオズキをもらって
種を掻き出して口に含み
ギュウギュウと鳴らすのは
昔の子供たちの遊びだった。
鬼灯はまことしやかに赤らみぬ 高浜虚子
俳句の世界でホオズキは秋の季語、
ホオズキの花は夏の季語だ。
大友美有紀 16年6月5日放送
「棟方志功」眼鏡
版木に顔をこすりつけんばかりにして、
鬼気迫る姿で彫る。板画家・棟方志功。
世界のムナカタと呼ばれる、かの芸術家は、
幼い頃から目が悪かった。
小学校の2年生の時、青森で大火があった。
すぐ上の兄は小さい弟妹の手を引き、
志功をおぶって逃げたという。
それぐらいおぼつかなかった。
初めて眼鏡を得た志功は、光をも得た。
パアッと明るくなって新しい世界が開けたと感じた。
見えない眼は「見たいものだけを見る」眼である。
絵とは本来「絵空事」。
「花の絵」ではなく「絵の花」描くのだ。
棟方は心の中にある美を表現したのだ。
大友美有紀 16年6月5日放送
「棟方志功」絵燈籠
板画家・棟方志功の生家は青森市の
善知鳥(うとう)神社の鳥居前にあった。
毎日この境内で遊んだ。
ねぶたに浮かれる青森の短い夏が過ぎると、
善知鳥(うとう)神社のお祭りがある。
宵宮を控え鳥居の前には大幟(のぼり)が立てられる。
14、5歳の頃、兄と家業の鍛冶屋を切り盛りしていた志功は、
幟の金輪の一切を任された。一生の誇りとして覚えている。
社務所に掲げられた二間もある絵燈籠にも眼を奪われた。
1本の木に紅や紫、黄色に彩りされた大牡丹の花が咲く絵だった。
志功は、こんなウソを描いて大人たちは喜んでいるのかと、
不思議でならなかった。しかしそれこそ本当の絵だと後に悟る。
自然とは別な、絵としての自然が
ここに表現されたんだ。
牡丹そのものの花ではない。
これは絵から生まれた牡丹だと思った。
「嘘で表せねば表せない真実」
陶芸家・河井寛次郎が口にした言葉を、棟方は書き留めていた。
彼は「絵の花」を生涯描き続けた。