小林慎一 16年5月15日放送
フェルマーの最終定理 200年間の攻防
フェルマーの最終定理において
フェルマーは、大きなヒントを残していた。
n=4の場合には解がないことを証明していた。
アルゴリズムを開発した18世紀最高の数学者オイラーは、
n=3の場合を証明した。
100年間で証明されたのはたったのひとつの数の場合だった。
19世紀に入り、ソフィー・ジェルマンがおおきな成果を上げる。
彼女は女性であるがゆえに大学で研究ができなかったが、
彼女の開発した方法を元に
n=5の場合とn=7の場合が証明された。
n=7の場合を証明したラメは、
その数年後に完全な証明を発表するが
クンマーにより重大な欠点を指摘されてしまう。
その指摘は、当時の数学テックニックでは
フェルマーの最終定理を証明できないことを
示すものだった。
小林慎一 16年5月15日放送
フェルマーの最終定理 失恋が生んだ光
20世紀に入り、
数学者の関心はフェルマーの最終定理から離れていった。
しかし、新たな光を当てられるようになったのは
とある失恋がきっかけだった。
パウル・ヴォウルスケールは
ドイツ有数の資本家であり数学者でもあった。
ある日、彼は女性にふられてしまう。
絶望の淵に沈んだ彼は、自殺を決意する。
綿密に計画を立て日取りを決め
深夜零時にピストル自殺をすることを決める。
自殺決行の日時までに、
残された仕事をし、手紙を書き、遺言を書く。
しかし、零時前にすべてのことが終わってしまうと、
彼は数学の本を読み始めた。
その時、ラメが行ったフェルマーの最終定理の証明についての
クンマーの反論にギャップを見つけると
ヴォウルスケールはその検証に没頭しはじめた。
結果、クンマーの反論は揺るぎないものであることが分かったが、
気がつくと世が明けていた。
ヴォウルスケールは遺言を破り捨てた。
そして、フェルマーの最終定理を証明した者に
財産の大部分をあてた懸賞金を与えると発表した。
送られてきた証明のファイルは30年で3メートルになった。
小林慎一 16年5月15日放送
フェルマーの最終定理 極東の2人の天才
志村五郎は第二次世界大戦中は、
飛行機を組み立てる工場で働いていた。
実験室も器具もいらず、
教科書があれば学べるからと、数学を勉強した。
戦争が終わり東京大学に入学し、谷山豊(とよ)と出会う。
志村は几帳面だったが、谷山はずさんだった。
緻密にものごとを進める志村は、
過ちを犯しながらも大胆に真理に向かう谷山が羨ましかった。
極端な対称性を示すモジュラー形式という領域が19世紀に生まれた。
谷山はその生まれたばかりのモジュラー形式を
ピタゴラスにまで遡る由緒ある楕円方程式と
実質同じではないかという仮説を唱えた。
この異端な説の味方は志村だけであった。
志村は友人の説を裏付ける研究に取りかかる。
しかし、将来への自信を失ったという理由で、
谷山は自ら命を絶ってしまう。
小林慎一 16年5月15日放送
フェルマーの最終定理 つながる2つの世界
数学者・志村五郎は、
プリンストン大学で2年間客員教授を務めると日本に帰国した。
彼は、亡くなった彼の親友である谷山が唱えた
モジュラー形式と楕円方程式の関係性について
もてる力をすべて注いで研究した。
志村はひとつづつ証拠を積み上げ、
モジュラー形式と楕円方程式の理論は
広く受け入れられるようになった。
モジュラー形式と、楕円方程式という、
別々だと思われていた世界がつながることは
非常に意味があった。
その理論は数学界のロゼッタストーンと呼ばれ
谷山・志村予想と呼ばれた。
1987年。
ゲルハルト・フライはシンポジウムで驚くべき発表をした。
谷山・志村予想を証明することは
フェルマーの最終定理を証明することにつながる、と。
小林慎一 16年5月15日放送
フェルマーの最終定理 つながる2つの世界
アンドリュー・ワイズは
10歳の時にミルトン通りにある小さな図書館で
フェルマーの最終定理に出会った。
彼はすぐさま、証明に取りかかったが
もちろん正解は得られなかった。
それから30年後。
ワイズは、ケンブリッジのニュートン研究所で、
チョークを走らせている。
聴衆は歴史的瞬間に立ち会えると緊張し、興奮していた。
3枚ある黒板がすべて数式で埋まり、
最初の一枚が消され、また、数式で埋まった。
最後の一行を書くとワイズはチョークを置いてこう言った。
「ここで終わりにしたいと思います」
ワイズの証明は論文にすると200ページあった。
そこには、あらゆる分野の古典から最新の数学が
駆使され深められていた。
ワイズの論文を読んだ数学者は言った。
数学者は各々バラバラに目標をたて研究をしていたが、
実は、みなフェルマーの最終定理に取り組んでいたんだ。
伊藤健一郎 16年5月14日放送
masa7
青春をかく人 あだち充
何かを手に入れるためには
何かを手離さなければならない。
青春漫画『タッチ』の生みの親、あだち充は言う。
指先ひとつで飛び交う情報、省かれた手間、ヒマ。
便利さはあっという間にただの日常となって、
手離したモノを思い出すのはずっと後になってから…
あだち作品の主人公は、概して多くを語らない。
どちらかといえば、不器用に、ぶっきらぼうに想いを口にする。
でもなぜか、そのわずかな言葉を、
言葉にならない言葉たちを、読者は時間をかけて読むことになる。
子どもと大人のはざまで揺れていた、あの頃の自分を重ねながら。
あだち充は言う。
手間、ヒマ、時間をかけることはムダなことですか?
伊藤健一郎 16年5月14日放送
frwl
青春をかく人 あだち充
放課後は、麻雀やって、漫画描いて、ラジオの深夜放送を聞く。
明け方まで聞くから、毎日遅刻。出席日数もギリギリだった。
あだち充の高校生活は、彼の漫画に出てくる
部活や恋愛とは無縁のものだったという。
高校時代にやりたかったこと、
こうすればよかったなってことが
自分の中に溜まっていて、
それを漫画に描けばいいから助かってますよ。
あだち充の原動力は、かつての自分に対する反省。
あだちは言う。
私生活が楽しかった時代は、ロクな作品を残してない(笑)
伊藤健一郎 16年5月14日放送
aes256
青春をかく人 今日マチ子
机の前に座っているよりも、
むしろ日常生活の中で、ずっとストーリーを考えている。
漫画家、今日マチ子。
彼女は、連載を始めるとき、物語にルールを定める。
たとえば、青春群像劇『みかこさん』のルール。
それは、毎回、物語のモチーフとなるアイテムを使うこと。
髪の毛で隠したピアス。ローファーに入り込んだ砂利。
こんがらがったイヤホン。削れ過ぎてしまう鉛筆削り。
言葉よりも雄弁に語るいくつものアイテムは、
人を、暮らしを見つめる中で、必死に探し出した。
ルールは絶対。今日マチ子は言う。
やめてしまうということは、その人には向いていなかったか、
向いていないと言わないまでも、まだその時期ではなかっただけ。
別に、続けられなかったことを悔やむ必要はないけど、
一度続けられたことは大事にした方が良い。
伊藤健一郎 16年5月14日放送
さとっち
青春をかく人 伊坂幸太郎
学生時代を思い出して懐かしがるのは構わないが、
あの時はよかったな、オアシスだったなと
逃げるようなことは考えるな。そういう人生を送るなよ。
作家、伊坂幸太郎。
彼の小説『砂漠』は、大学での4年間が舞台だ。
物語の主要人物、偏屈な学生、西島は言う。
目の前の人間を救えない人が、
もっとでかいことで助けられるわけないじゃないですか。
歴史なんて糞食らえですよ。目の前の危機を救えばいいじゃないですか。
生きていれば、不条理なことなんて山ほどある。
そのひとつひとつに真剣に向き合うことなどできない。
でも、西島が言う通り、確かなことがある。
今、目の前で泣いている人を救えない人間がね、
明日、世界を救えるわけがないんですよ。
伊藤健一郎 16年5月14日放送
#Pomegranate
青春をかく人 井上雄彦
天才ですからね。
漫画家、井上雄彦。
代表作『スラムダンク』は、
バスケットボールに青春を燃やす高校生の物語だ。
その名試合、山王戦。
主人公、花道は、ルーズボールに突っ込み背中を負傷する。
「選手生命に関わるかもしれない」
顧問の安西先生は、ベンチに下げようと本気で説得する。
でも花道を止められなかった。たった一言のせいで。
オヤジの栄光時代はいつだよ…
全日本の時か?
俺は…俺は今なんだよ!
ところで、あなたの栄光時代はいつですか?