澁江俊一 16年5月8日放送
言えなかった反対
今日は、
第二次世界大戦で命を失った全ての人に
追悼を捧げる日。
妖怪漫画の巨匠、水木しげる。
一兵士として過酷な戦争を経験し
戦場の人間たちの様子を
リアルな漫画に描いた。
水木にはどんなインタビューでも
絶対に口にしないと決めていた言葉があった。
それが「戦争反対」。
目の前で命を落とす戦友たちと
同じ目線に立ち続けた水木には、
「反対」という一言にすべてを込めてしまうことに、
どこか違和感があったのかもしれない。
田中真輝 16年5月8日放送
Well Oiled Machines
正義のパン
今日は、
第二次世界大戦で命を失った
全ての人に追悼を捧げる日。
本当の正義とは何か。
24歳で中国に出征したやなせたかしが
たどり着いた答えが、
アンパンマンだった。
本当の正義とは、献身と愛だ。
目の前で餓死しそうな人に
一片のパンを差し出すことだ。
たとえ自分がお腹が空いて
死にそうになっていても。
アンパンマンマーチの歌詞にも
やなせの信念は溢れている。
そうだ うれしいんだ 生きる喜び
たとえ 胸のキズがいたんでも
国歌のように地球の歌があるなら、
それはアンパンマンマーチであるべきだ。
そう思いませんか?
澁江俊一 16年5月8日放送
考え続けること
今日は、
第二次世界大戦で命を失った
全ての人に追悼を捧げる日。
大西巨人の小説「神聖喜劇」。
400字の原稿用紙にして、
およそ5000枚にもなる大長編だ。
主人公の青年、東堂太郎は
超人的な記憶力を持ち、
軍隊で起こる様々な出来事について
徹底的に考え続ける。
軍隊規則の条文まで
一言一句暗記している東堂は、
上官たちにも臆せず
自らの考えをぶつけていく。
上の命令が絶対で
記憶など求められない
軍隊という理不尽と、
忘れないこと、考え抜くことで
徹底的に戦う東堂。
決して読みやすくはないこの小説が
今また若者たちの間で
読まれ始めているらしい。
田中真輝 16年5月8日放送
うつろな足音
今日は、
第二次世界大戦で命を失った
全ての人に追悼を捧げる日。
二つの世界大戦の、ちょうど間を
生きた文豪、芥川龍之介は戦争について
こう述べている。
我々に武器をとらしめるものは、
いつも敵に対する恐怖である。
しかも、しばしば実在しない架空の敵に
対する恐怖である。
関東大震災のあと、芥川龍之介は
戦争が忍び寄るうつろな足音を確かに聞いていた。
今を生きる私たちが注意深く耳をすます時、
聞こえるのはどんな音だろうか。
澁江俊一 16年5月8日放送
反省なき暴走
今日は、
第二次世界大戦で命を失った
全ての人に追悼を捧げる日。
作家の半藤一利は、
日本陸軍の暴走の始まりとなった戦いを取材し
「ノモンハンの夏」を書いた。
ノモンハンという、
資源も何もない平原をめぐり
一握りの高級参謀の独善で、
8000を超える日本兵士が命を落とした。
陸軍将校たちはその戦いを反省することもなく、
太平洋戦争で同じ過ちを繰り返した。
本のあとがきで半藤はこう語る。
怒りが鉛筆の先にこもるのを如何ともしがたかった。
勇戦力闘して死んだ人びとが
浮かばれないと思えてならなかった。
半藤が取材し、
記した言葉の一つひとつが
名もなき兵士たちへの鎮魂歌なのだ。
田中真輝 16年5月8日放送
喜劇俳優の怒り
今日は、
第二次世界大戦で命を失った
全ての人に追悼を捧げる日。
戦争についての最も力強いスピーチの一つは
ある映画のラストシーンで行われた。
その映画とはチャップリンの「独裁者」。
無言のパフォーマンスで有名な稀代の喜劇俳優は
そのラストシーンで6分間もの間、見る者に
熱く訴え続けた。
貧困と争いに満ちた世界の中にあっても、
決して絶望してはいけない。
人間には、人生を自由に美しいものに、
素晴らしい冒険にする力があるのだ、と。
その表情は真剣さというよりは、むしろ
怒りと悲しみに満ちているように見える。
喜劇と無言、という持ち味を捨ててまで
チャップリンが伝えたかった6分間のメッセージを
ぜひ一度、ご覧ください。
澁江俊一 16年5月8日放送
同じ人間として
今日は、
第二次世界大戦で命を失った
全ての人に追悼を捧げる日。
終わった戦争を、どう語るべきか。
それを考えさせられる映画がある。
クリント・イーストウッド監督「硫黄島からの手紙」。
当初は日本の監督を起用する予定だったが、
最後は自らメガホンを取った。
その理由をイーストウッドはこう語る。
資料を集めるうちに
日本軍兵士もアメリカ軍兵士と
変わらない事が、わかったのです。
アメリカ側から描いた「父親たちの星条旗」と
ひとつの戦いを2つの映画にすることで
日米どちらも英雄にせず、悪人にもせず
同じ人間として描き抜いた傑作である。
田中真輝 16年5月8日放送
深い河
今日は、
第二次世界大戦で命を失った
全ての人に追悼を捧げる日。
人はなぜ争うのか。
宇多田ヒカルのDEEP RIVERという曲には
こんな歌詞がある。
剣と剣がぶつかり合う音を
知るために託された剣じゃないの
そんな矛盾で誰を守れるの
主義や主張は、ぶつけあうために
あるものではないはず。
しかし、それは往々にしてぶつかりあう
という矛盾を孕んでいる。
人が争い合うことの根元が
その歌詞に表現されている。
深い河は、人を隔てるものなのか。
それとも、主義の違いを包み込むものなのか。
あなたはどう思いますか?
佐藤理人 16年5月7日放送
あゝ無駄遣い 「幻の寺院」
1770年、ウィリアム・ベックフォードは、
10歳にして巨万の富を相続した。
毎日遊んで暮らしたが、34歳のとき突然、
庭に大寺院を建設しようと思いついた。
知識も経験もないのに建設の指揮を執り、
大工たちに精力剤として大量のウイスキーを与えた。
その年のクリスマス。
酔っ払いたちが立てた寺院の厨房で
ディナーを食べていると天井が崩れ落ちてきた。
彼は一命を取り留めたが、やがて破産。
不毛なオモチャ
と呼ばれた大寺院は、当然ながらもう跡形もない。
佐藤理人 16年5月7日放送
あゝ無駄遣い 「氷の宮殿」
18世紀ロシアの女帝アンナ・イワノーヴナは、
心の冷たい女性だった。
性格に似て、与える罰も冷酷。
命令に背いた家臣を、
国で最も美しくない女性と結婚させた。
さらにグラスのワインが
一瞬で凍る大寒波がにもかかわらず、
氷の宮殿に住まわせた。
壁もベッドもカーテンも何もかもが氷。
庭には氷で彫刻したオレンジの木と、
枝にとまる鳥まで置いた。
しかしその年の暮れにアンナは死亡。
春の訪れとともに宮殿は溶け、川に流れた。
家臣とその妻は暖かい家庭を築いたという。