佐藤理人 16年5月7日放送

160507-03

あゝ無駄遣い 「鉄仮面」

 顔を見せずに世界一周できるか?

1907年のある日。
アメリカの億万長者とイギリスの貴族が賭けをした。
実行役はハリー・ベンズリーという31歳の投資家。

旅にはいくつかルールがあった。
所持金は100円。下着の替えだけを持ち、
ベビーカーを押して歩くこと。恋に落ち、結婚すること。
そして、いかなるときも鉄の仮面をつけること。

しかし7年後の1914年、第一次世界大戦が勃発。
熱烈な愛国者だったハリーは軍に入隊し、
賭けは中断された。

世界一周まで、あとわずか数カ国だったという。

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佐藤理人 16年5月7日放送

160507-04

あゝ無駄遣い 「城とワーグナー」

1864年、ルートヴィヒ2世が即位すると、
バイエルン国民は美男の国王の誕生を
心から喜んだ。

しかし彼の興味は政治ではなく、
城とワーグナーだった。

タンホイザー。ローエングリン。
オペラのような暮らしを夢見て、
おとぎ話さながらの城をいくつも建設した。

1886年に浪費を理由に逮捕されるまで、
22年間も空想の世界に生き続けた。

逮捕の翌日、幽閉先の城近くにある湖で、
彼は溺死体となって発見される。

事故か、自殺か、暗殺か。
その真相はまだ明らかになっていない。

現在、彼が建設したノイヴァンシュタイン城は、
バイエルン地方で最も人気のある
観光スポットとなっている。

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佐藤理人 16年5月7日放送

160507-05

あゝ無駄遣い 「悪ふざけ」

西暦218年のローマ皇帝ヘリオガバルス。
彼の晩餐会に招かれた者は死を覚悟した。

ガラスでできた料理を出し、
贈り物には毒ヘビを忍ばせ、
寝込んだ者には寝室にライオンを放った。

天井からバラの花を降らせたときは、
数が多すぎて窒息死する者さえ出た。

それでも彼は大金を費やした
邪悪な悪ふざけをやめようとはしなかった。

見かねた祖母は彼を暗殺。死体は川に捨てられた。

即位してわずか4年。18歳の誕生日を祝う、
盛大な晩餐会を終えたばかりのことだった。

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佐藤延夫 16年5月1日放送


Mariordo
ダンディズムとは アルフレッド・ドルセー伯爵

19世紀の中頃、イギリスとパリの社交界を賑わせたのは、
アルフレッド・ドルセー伯爵だ。
文才があり、絵画も彫刻も得意だが、
なにより彼は、美しく端正な顔立ちだった。
生き様もファッションも、
華やかで甘く優美。ゴージャスでスキャンダラス。
それがドルセー流のダンディズム。
のちに、各界の著名人が集まるサロンを経営するが、
結局は破産してしまう。
いつの世も、ダンディズムの維持費は高い。

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佐藤延夫 16年5月1日放送

160501-02

ダンディズムとは エドワード・ブルワー・リットン

19世紀半ばのイギリス。
エドワード・ブルワー・リットン男爵は、
自分流のダンディズムを小説で表現した。
主人公のペラムは、
フォーマルなイブニングウェアとして、
黒い上着に黒のベスト、全身黒一色のシックな装いで
社交界を渡り歩く。そんな物語だ。
この本が当時、ダンディの教科書ともてはやされた。
現在では常識となった黒の正装だが、
ルーツを遡ると、リットン男爵にたどり着くかもしれない。

ちなみに日本史でおなじみのリットン調査団を率いたリットンは、
彼の孫なのである。

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佐藤延夫 16年5月1日放送

160501-03

ダンディズムとは ジョージ・ブライアン・ブランメル

ダンディズムの定義とは、難しい。
ハードボイルドで寡黙な男なのか。
バーカウンターで葉巻をくゆらす洒落者なのか。

ダンディズムの元祖と言われるのは、
19世紀イギリスにおけるファッションの権威、
ジョージ・ブライアン・ブランメルだ。

これまで主流だった派手な装飾のスーツをやめ、
かわりに最高品質の素材を用いる。
かつ、体のラインにフィットするように仕立てる。
清潔さを徹底させる。ブーツはシャンパーニュで靴底まで磨き上げる。
ネッククロスの結び方は完璧に。
それでいて、さりげなく。もし誰かが振り返るようなら、それは失敗である。

さらに自身のキャラクターも武器にした。
ポーカーフェイスで毒舌、人を見下すような態度を貫き、
それはやがて多くの人に、憧れと畏れの感情を抱かせた。

ナポレオンになるより、ブランメルになりたい。

そう言われるほどのダンディズム。

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佐藤延夫 16年5月1日放送

160501-04

ダンディズムとは ベンジャミン・ディズレイリ

のちにイギリスの首相となるベンジャミン・ディズレイリは、
若かりしころ、自己流のダンディズムで社交界を席巻した。
「ヴィヴィアン・グレイ」という小説で
上流階級のリアルな情景を描き一世を風靡すると、
自分自身もあえて奇抜な服をまとい注目を集めた。
カナリア色のベストを羽織り、
シャツの袖はレースがひらひらと舞う。
ズボンはグリーンのベルベット。
銀のバックルのついた靴を履き、
長い巻き毛を揺らせた。

小説の言葉を借りると、
「友には微笑みを。世間には嘲笑を。」
これが彼自身のダンディズムだ。

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佐藤延夫 16年5月1日放送

160501-05

ダンディズムとは オスカー・ワイルド

有名でなければ、悪名として名をあげたい。
そう考えていたのは、オックスフォードを卒業したばかりの
オスカー・ワイルドだった。
社交界でもその奇抜なファッションで視線を集めた。
ベルベットの上着、膝丈のズボン、サテン地のタイは鮮やかなグリーン。
それは黒に画一化されたフォーマルなファッションへのあてつけであり、
彼らしい反逆のダンディズムと言える。
詩人であり作家でもあったオスカー・ワイルドは、たくさんの言葉を残している。

「自分らしくあれ。他の人の席はすでに埋まっているのだから。」

「流行とは見るに堪えないほど醜いので、半年ごとに変えなければならない。」

19世紀イギリス最後のダンディズムは、
寡黙ではない。雄弁すぎるほど、言葉を刻む。

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佐藤延夫 16年5月1日放送

160501-06

ダンディズムとは エドワード7世

ヴィクトリア女王の息子、エドワード7世は、
60歳まで皇太子だった。
それはつまり、王位継承の準備期間が
永遠のように長かった、ということ。
身分、経済力、時間。そのすべてを持つ男は、
ファッションリーダーとして注目を集め、
エドワーディアンスタイルとまで呼ばれるようになった。
遊び呆ける息子に母は怒り、
公務につくことは一切できなかったが、
大使としての外遊は許された。
パリでひいきにしていたカルティエを
今のように世界的に有名にしたのは、
エドワード7世の功績とも言われている。

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佐藤延夫 16年5月1日放送

160501-07

ダンディズムとは ノエル・カワード

20世紀のイギリスで、
ダンディズムのカリスマとなったのは、ノエル・カワードだ。
自分は世界一セクシーな男。
桁外れな才能に恵まれた男。
そう自負するだけのことはあり、
俳優、作家、作曲家としても成功を収めている。
ファッション界にも大きな影響を与えた。
ドレッシングガウン、タートルネックのセーターは
彼のトレードマークになっている。
驕慢なポーズもセリフも、演技のひとつ。
そのダンディズムには、野心という言葉が似合わない。

「人生はうわべだけのパーティーだ。」

彼の言葉が、すべてを物語る。

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