佐藤延夫 16年5月1日放送
ダンディズムとは イアン・フレミング
イギリスの作家、イアン・フレミングは
この世で最も有名なダンディズムをつくった。
たまたま見かけた本の表紙から名前を拝借し、
自分の髪型や身長、瞳の色を投影すると、
ジェイムズ・ボンドが生まれた。
紳士的で、破天荒。
美女と戯れ、冷酷に任務を遂行する。
窮地に陥っても、小粋なジョークを忘れない。
007シリーズはブランドになり、
結末がわかっていても、人々は劇場に足を運ぶ。
男はみんな、ダンディズムの世界に浸りたいのだ。
原央海 16年4月30日放送
Mariordo
「神様の誕生」篇
1953年3月、
1人の神様がブラジルに生まれる。
その名は、アルトゥール・アントゥネス・コインブラ。
洋服の仕立屋である父のもとに生まれた神様は、
6歳までおっぱいを飲む甘えん坊だったという。
1994年、そんな彼に日本の「内閣総理大臣顕彰」が贈られた。
アルトゥール・アントゥネス・コインブラ。
またの名を、「ジーコ」。
「サッカーの神様」と呼ばれる男。
日本との関係が深い神様は、よくこんなことを言う。
日本は第二の故郷です。
「内閣総理大臣顕彰」の外国人受賞は、
50年の歴史の中で、ジーコ以外にはいない。
神様は、日本を愛し、日本から愛されていた。
原央海 16年4月30日放送
S.Yoo
「神様の少年時代」篇
サッカーの神様、ジーコ。
「サイボーグ」と言われるほど強靭な肉体を持つ神様は、
16歳のユース時代は40kgもない痩せっぽちだった。
技術はあるが、ひと回り大きいディフェンスに吹き飛ばされ、
年間18試合に出場するも、わずか3得点…。
しかし、体格のハンデがあっても、少年は諦めなかった。
1日の食事を5回に増やし、生活習慣も変更した。
朝は5時半に起き、午前中はチーム練習。
午後の学校を終えると、夕方は2時間のウエイトトレーニング。
深夜11時に家に着き、翌日もまた5時半に起きる…。
その結果、体重も増え身長も伸び、太股は10センチ以上太くなった。
そうして1年後、年間27得点でユースリーグの得点王に輝く。
神様の過去は、誰よりも泥臭い。
原央海 16年4月30日放送
「神様と日本」篇
サッカーの神様、ジーコ。
彼は1991年、後の「鹿島アントラーズ」である、
「住友金属FC」というアマチュアチームに入団した。
Jリーグ開幕を控えた日本で、
「ゼロからプロサッカークラブを築く」という話に魅力を感じたからだ。
しかし、世界のトップレベルで活躍した神様は、環境の違いに驚いた。
1日2試合は当たり前。
昼食はあぐらをかいて、地べたでうどんを食べる。
ゴールマウスにネットもない、土のグランドで練習をした。
あまりにも不憫に思った通訳が、
「世界を舞台にしたあなたが、こんなところでプレーして、さびしさを感じないか」
と尋ねたことがあったそうだ。
しかし、神様は笑ってこう答える。
環境の違いは感じるが、さびしいとは思わない。
どこでサッカーをやろうが、楽しいことに変わりはないから。
神様は、誰よりもサッカーが好きなのだ。
原央海 16年4月30日放送
lourencoparente
「神様のサポーター」篇
サッカーの神様、ジーコ。
彼が鹿島でプレイしていた頃、
練習場には毎日何百人ものサポーターが押し寄せ、「ジーコさん」と声をかけた。
日本代表の監督時代は、
インドでは試合中にサインを求める行列ができ、
イギリスではベッカムが「少年時代のヒーローだった」と控室まで訪問した。
そんな彼が、ブラジルで現役を引退する際、
ライバルチームのサポーターがこんなメッセージを新聞に出したという。
ジーコ、さようなら。
あなたがいなくなって私たちは、フリーキックの恐怖から解放される。
あなたの頭脳的なスルーパス、切れ味抜群のドリブルやシュート、
なによりも勝利に対する執念は、私たちの頭痛の種だった。
「ジーコ、ジーコ!」
サポーターの大歓声は私たちに絶望をもたらした。
しかしジーコ、あなたのいなくなった試合に興奮することも少なくなってきた。
サッカーを愛するサポーターにとって
あなたは敵ながら素晴らしい選手だった。
神様は、みんなの神様だった。
原央海 16年4月30日放送
「神様のこだわり」篇
サッカーの神様、ジーコ。
グランドに入った彼は、
看板の位置、馴染みのカメラマンの場所、
ゴール裏で働く人たちの顔や位置まで、すべてを覚えるようにした。
相手のプレッシャーが厳しく、顔が上げられない時に、
一瞬目に入った看板からゴールの位置をイメージし、次のプレーの判断ができるからだ。
こだわりは、それだけではない。
ある日、スパイクの紐を結ぶ少年に、突然こんな声をかけたそうだ。
スパイクの紐の結び目は、真ん中じゃなくて横に持っていった方がいい。
その方が浮いたボールを止める時にうまくいくぞ。
ただベストを尽くす。
こうして神様は生まれた。
宮田知明 16年4月23日放送
manoftaste.de
ビールのお話 純粋令
「ビールは、大麦、ホップ、水のみを原料とすべし」
ちょうど500年前の今日、4月23日。
ドイツで、ある法律が制定された。
「ビール純粋令」。
バイエルン公国のヴィルヘルム4世が、
ビールの品質の保持、食料としての小麦の確保という目的で
定めた法律。
ドイツ統一時にもこの法律は継承され、
500年経った今日でも、
多くのドイツの醸造所でその製法が守られている。
ところで、このBGM
「天国にはビールはない♪」
オクトーバーフェストでもよく歌われる歌。
ビール純粋令制定よりも前の時代に、
ある目的をもって作られた言葉だったのだが、
それはまた、別のお話。
宮田知明 16年4月23日放送
ビールのお話 修道士たちの言葉
かつて14世紀、ヨーロッパ全土にペストが大流行した。
修道士たちは、その主な感染源が「生水」であると考え、
麦汁を煮沸させて作るビールを飲むように、人々に説いて回った。
しかし、いっこうに生水を飲む習慣がなくならず、
ペストはフランスからドイツ、オランダ、
ポーランドへと蔓延していった。
そこで、修道士たちはこんな言葉を生み出した。
「天国にはビールがない。生きているうちに飲みなさい。」
その言葉が効いたのかは、いまとなっては分からない。
しかし、ペストは14世紀半ばに衰えはじめ、やがて終焉した。
その後ますますヨーロッパ中で愛される飲み物となった、ビール。
中でも、宗教改革で知られるマルティン・ルターも大のビール好き。
彼も面白い言葉を残したのだが、それはまた、別のお話。
伊藤健一郎 16年4月23日放送
ビールのお話 ルターの言葉
宗教改革の創始者、マルティン・ルターは、
無類のビール好きだった。
ルターは言った。
「うまいヴィッテンベルクのビールを飲む。
すると、ひとりでに、神の国がやってくる。」
グラスを傾け、神の声に耳を傾け、
ルターは、プロテスタント教会の源流をつくった。
そんなルターの教えに忠実、というわけではなく、現代人もビールが大好き。
中には、麦芽王子と呼ばれる有名人もいるらしいが、それはまた、別のお話。
伊藤健一郎 16年4月23日放送
Kotomi_
ビールのお話 岩沢厚治の称号
国民的フォークデュオ、ゆずの一人。
岩沢厚治は、こんな異名を持つ。
「麦芽王子」
ビール好きが高じて、手に入れた称号。
麦芽王子・岩沢には、ひとつの自負がある。
「人間としてダメなところは、標準装備している」
ラジオの公開放送で「酔っております」と告白してしまうほど、
絶妙なダメっぷり、赤裸々なスタンスが、心揺さぶる歌を育むのだろう。
ところで、酔い姿には、人それぞれの生き様がにじみ出るというもの。
チェイサーにビールを頼む、ハードボイルドな男もいるそうだが、
それはまた、別のお話。