佐藤理人 16年4月16日放送
贋作士たち 「アイアランドのシェークスピア」
1796年、シェークスピアの新たな戯曲が、
1世紀以上の時を超えて発見された。
イギリス中が大騒ぎになったが、
それはウィリアム・アイアランドという
17歳の少年の贋作だった。
エリザベス朝時代の紙、書体、古いインク、
何より本人そっくりの筆跡に、
専門家はこぞって本物の太鼓判を押した。
筆跡は真似できても、才能までは真似できない。
文章のお粗末さに化けの皮はすぐに剥がれた。
アイアランドとシェークスピアの共通点は、
ウィリアムというファーストネームだけだった。
佐藤理人 16年4月16日放送
贋作士たち 「ミュラーのワシントン」
1938年、ニューヨークで偽1ドル札が見つかった。
粗悪な紙に印刷されたワシントンの肖像はボヤけ、
名前の綴りも違っていた。
オモチャのような偽物だったが、
数が少なく、発見が遅れた。
事件番号「880」にちなみ、
オールド・エイトエイティと呼ばれた犯人は、
エドワード・ミュラーという男やもめの老人。
暮らしは質素で、必需品を買うときだけ、
日に1、2枚だけ使っていた。
高齢のため4ヶ月の禁固刑で許された彼は、
刑務所に入る際、罰金を1ドル払わされた。
もちろん本物の1ドル札で。
佐藤理人 16年4月16日放送
GaHetNa
贋作士たち 「メーヘレンのフェルメール」
1945年、ナチスが崩壊すると、
ヒトラーが集めた美術品が押収された。
1200点の絵の中に、50万ドルで売られた、
オランダの巨匠フェルメールの名画があった。
警察は直ちに売った人物を逮捕。
ナチスの協力者として取り調べを行った。
犯人の名はハンス・ファン・メーヘレン。
彼は悪びれもせず警察官に言った。
誰が本物を売るもんか
奴らから巻き上げてやったんだ!
絵を描いたのはなんとメーヘレン本人。
疑う評論家たちの眼の前で、
彼はまったく同じ絵を描いてみせた。
しかしナチスが支払った50万ドルは偽札だった。
世紀の贋作者より、世紀の犯罪者の方が、
一枚上手だった。
佐藤理人 16年4月16日放送
贋作士たち 「フィオラバンティの大戦士」
1921年、3人のイタリア人彫刻家が大作を作っていた。
高さ2m、重さ500kgの古代エトルリア戦士の粘土像。
紀元前風の色艶に満足すると、
彼らは像を粉々にし、最後の仕上げを施した。
「大戦士」と名付けられたこのヒビだらけの像を、
メトロポリタン美術館は大金で買い取った。
贋作が判明したのは40年後。3人の1人、
アルフレード・フィオラバンティが自首したのだ。
証拠を見せろと言われた彼はある物を取り出した。
それはあの日砕け散った「大戦士」の親指だった。
森由里佳 16年4月10日放送
Thalita Carvalho ϟ
ひらく 本の未来
ルリユールというフランス語をご存じだろうか。
ルが再び、リユールが糸で綴じる
という意味で、古くなった本を製本し直すという言葉だ。
ヨーロッパには今でも、
大切な本には職人の手で修復・製本・装丁が施され、
「世界に一冊だけの本」として、
親から子へと代々受け継がれるという伝統がある。
パリ17区の工房で働くルリユール職人のソフィー・クァンタンさんは、
「読書というより、本そのものが好きなの」と語る。
そう。
本の価値は、ひらいたページの中だけにあるのではない。
手軽に読むための電子書籍が席巻している今、
ルリユールという言葉がもつ尊い響きは、
本の未来を、再びひらいていくのではないだろうか。
森由里佳 16年4月10日放送
kina3
ひらく 王道
炊きたての白飯の上に
飴色に炒められた薄切りの玉ねぎ。
そこにきつね色の大きなトンカツが、
大きな体のせいですこし居心地わるそうに横たわる。
ぶ厚くてどっしりとしたカツと、
薄いがたっぷりの玉ねぎの押し合いへし合いを収めにかかるのは、
甘いそばつゆをふくんだ半熟とき卵だ。
「まあまあ」となだめるように両者をとろんと包みこみ、
ひとつの絶品料理へとまとめあげる。
東京は早稲田にある「三朝庵」は、
卵とじカツ丼の元祖の店だ。
大正7年、手違いで宴会用のトンカツが大量に余った翌日、
困った店主が冷めたカツをとき卵でとじて、
丼としてふるまったのが始まりだ。
日本の胃袋を満たすどんぶりの王道は、
とじたことで、ひらかれたのだ。
森由里佳 16年4月10日放送
のべ吉
ひらく 国
鎖国のさなかにある日本で、
国をひらき、力をつけるべきだと主張した男、
吉田松陰を知らない人はいないだろう。
理想を実現するために彼が着手したのは教育だった。
当時の教育機関は、
武家のための藩校、町人や商人のための寺子屋が主だった。
しかし松陰は、武家の人間であるにも関わらず、
藩校である明倫館を飛びだし、松下村塾をひらく。
身分による入学規制はおろか、
上下関係すらないその塾では、闊達な議論が交わされた。
後に開国した日本で首相をつとめる伊藤博文が塾生の一人であることは有名だ。
彼は、学びの門戸をひらいただけでなく、
一国の門戸をもひらいたのだ。
佐藤日登美 16年4月10日放送
ひらく 津田梅子
150年近く前、わずか6歳でアメリカに留学した少女がいた。
津田梅子。
彼女は先進的なアメリカの教育を学び、
日本に持ち帰る、という使命を持っていた。
11年間の留学を終えた梅子を待っていたのは、しかし、逆カルチャーショックだった。
「東洋の女性は、地位の高い者はおもちゃ、地位の低い者は召使いに過ぎない」
彼女は、知人への手紙にこうつづった。
そんな日本女性のために、梅子は「女性英学塾」をひらく。
女性が高等教育を学び、秘めた野心を呼び起こすための学校。
「津田塾大学」と名前を変えたその学校は、
今も、梅子のような強く聡明な女性を輩出している。
佐藤日登美 16年4月10日放送
ひらく むすんでひらいて
童謡「むすんでひらいて」の研究者、海老澤敏(えびさわびん)をご存知だろうか。
童謡を研究?と思ったあなた。
バカにしちゃいけません。
哲学者ルソーが18世紀につくった曲が原型と言われ、
そのメロディが初めて日本で聴かれたのは、讃美歌として。
その後、古今和歌集の和歌が載せられ、日本初の音楽教科書に登場。
しかし歌詞が小学生には高尚すぎるとされ、軍歌に。
今の「むすんでひらいて」の形になったのは、
戦後のことだ。
賛美歌、唱歌、軍歌。そして童謡。
目まぐるしく変わった「むすんでひらいて」
ひなたぼっこのような童謡には、
長い歴史が刻まれている。
佐藤日登美 16年4月10日放送
Wendy Copley
ひらく 嫌がらせ弁当
お弁当箱をひらくときのワクワク感。
そんなお弁当を、嫌がらせに変えた母がいる。
八丈島に住むシングルマザーのkaoriさんは
高校生の娘に持たせるお弁当を「嫌がらせ弁当」と名付け
ユニークなキャラ弁を作り続けた。
蓋を開けると母から娘へのメッセージ。
「大きな声で返事しろ!」と叱ったり
「随時受付中」と母の日のプレゼントを要求したり、
「夢を叶えろ!」と受験を励ましたり。
そんなお弁当を、毎日学校に持っていった娘は話す。
「卒業して『キャラ弁』がなくなるのは嬉しいですが、
『お弁当』がなくなってしまうのは悲しい気もします」
母の嫌がらせ弁当を、
娘は一度も残さなかった。