蛭田瑞穂 16年4月10日放送
euthman
ひらく スティーブ・ウォズニアック
アップルコンピュータが最初に発売した「apple I」は (アップル ワン)
手づくりのコンピュータだった。
エンジニアのスティーブ・ウォズニアックが
見本市で手に入れたマイクロプロセッサーをハンダで基板に埋め込み、
一台一台製造した。
ウォズニアックは仕事が終わると朝方まで「apple I」をつくり、
それを販売店に持ち込んだ。価格は1台666ドル66セント。
販売したのはわずか200台に過ぎないが、
その利益が世界初のパーソナルコンピュータ「apple Ⅱ」の開発につながる。
「apple I」の発売はちょうど40年前の1976年4月11日。
「apple I」がパーソナルコンピュータの歴史をひらいた。
蛭田瑞穂 16年4月10日放送
ProhibitOnions
ひらく ノーラン・ブッシュネル
ビデオゲームの父、ノーラン・ブッシュネルが
1973年に発表したビデオゲーム「ポン」
開発の経緯をブッシュネルはこう語る。
それまでにもビデオゲームはあったけど大衆的ではなかった。
僕は片手でビールをあおりながら、
もう片手で遊べる簡単なゲームをつくりたかったんだ。
そこで思いついたのがピンポンやテニスに似たゲームだった。
それなら誰でもルールを知っているからね。
「ポン」の試作機をバーに設置すると人々はこぞってプレーした。
コインが入りすぎて機械が故障するほど人気を博した。
「ポン」はやがて史上初めて世界的に普及したビデオゲームとなり、
コンピュータゲームの歴史をひらいた。
上遠野茜 16年4月9日放送
jean.
たまごの話「岸田吟香の卵かけご飯」
炊きたてのご飯の真ん中に、
新鮮な卵を割りいれ、しょうゆをひとたらし。
あぁ、たまらない。
日本人が愛してやまない究極のシンプルフード、卵かけご飯。
最初に広めたのは、明治時代の新聞記者・岸田吟香と言われる。
岸田はかなりの冒険家だった。
突然記者を辞めたかと思えば、辞書を作ったり、目薬屋を始めたり。
生涯手がけた事業の数は、なんと10を超える。
型破りな性格の大男に、ついたあだ名は「奇人吟香」。
卵料理自体がまだまだ珍しかった時代。
卵を生のままご飯にかけるという発想は、
どれだけ斬新だったのだろう。
時代の一歩先を行く奇人のセンスがなければ、
卵かけご飯はこの世に生まれなかったかもしれない。
村山覚 16年4月9日放送
Piero Sierra
たまごの話「ブランクーシの美しい卵」
今日も世界中の食卓に、卵料理が並んでいる。
その理由は、栄養バランスと手に取りやすい価格だろうか。
“卵は完全栄養食だ”などと言う人もいる。
ところで、卵の中身ではなく見た目に関して
完全であると言った男がいる。20世紀を代表する彫刻家、
ブランクーシだ。
装飾や無駄を削ぎ落としたミニマルな彫刻で知られる彼は
「卵以上の美しいフォルムをつくることはできない」
と言ったとか。
ブランクーシはルーマニアの農村出身。
彼の彫刻を見ると、田舎の広々とした大空や地平線、そして、
日々の生活で手にしたであろう「卵」を連想するフォルムが数多い。
この世に完全な物なんてないかもしれない。
しかし芸術家たちは今日も、
完全を目指して作品を生み出しつづける。
藤本宗将 16年4月9日放送
Mindful One
たまごの話「ニュートンのゆで卵」
アイデアという名のひらめきは、簡単には生まれない。
近代科学の基礎を築いた天才
アイザック・ニュートンをもってしても、
その過程は苦しいものだった。
難問に取り組むときはいつも自分の部屋にこもり、
他のすべてを忘れるほど没頭したという。
彼の異常な集中ぶりを伝えるエピソードがある。
ろくに食事もとらず研究していたニュートンのために、
家政婦が鍋と卵を運んできた。
せめてゆで卵でも、という配慮だったのだろう。
ゆで時間をはかる懐中時計と一緒にテーブルの上に置くと、
ニュートンの邪魔をしないようそっと出て行った。
しかし、しばらくして戻った家政婦は仰天する。
ニュートンは卵を握りしめ、鍋で時計をゆでていたのだ。
落ちてくるリンゴを見た人のすべてが、
引力に気付くわけではない。
大きな問いの前にすべてを捧げ、
考え抜いたものだけにアイデアの神は微笑むのだ。
福宿桃香 16年4月9日放送
KJGarbutt
たまごの話「アルビン・カイランの卵料理」
ふわふわのマッシュポテトを瓶に入れ、
上から生卵をのせて、湯せんすること5分。
半熟になった卵とポテトを一気に混ぜたら
焼きたてのパンにのせ、かぶりつく。
あたらしい卵料理として人気を集めている「エッグスラット」。
ブームは、ロサンゼルスの小さな屋台、
その名も「エッグスラット」から始まった。
オーナーのアルビン・カイランは、幼い頃から卵が大好きだった。
エッグスラットを思いついたのは、料理学校時代。
「瓶をつかったレシピ」という課題を出され、
大好物の卵を使いたいと考え抜いたそうだ。
卵に情熱を注ぐ彼は、朝食にも情熱を注ぐ。
ロスで店を始めたのも、現地の朝食に疑問を抱いたからだ。
平日は、出勤途中にドライブスルーで済ませてしまう。
休日は、巨大な甘いパンケーキばかり。
そんな状況を見て、カイランはこう語った。
流行の最先端の、真逆を追い続けたい。
そこに正しいやり方と正確な技術があれば、
人はいちばんシンプルな料理にちゃんと感動できる。
本当に良い朝食を届けるために。
卵を片手に、彼の挑戦はつづく。
村山覚 16年4月9日放送
kimberlykv
たまごの話「テッド・クレイマーが割った卵」
1979年公開の映画「クレイマー、クレイマー」には
卵をうまく割れない男が登場する。
愛想を尽かした妻が家を出ていった翌朝、
5歳の息子が父にリクエストした朝食はフレンチトースト。
仕事一辺倒で料理などしたことがない父。
格好をつけて片手で卵を割り、殻が入ってしまうが
「少しパリパリした方が味がよくなる」とうそぶく。
フレンチトーストは英語名で、フランス語ではpain perdu、
失われたパンという名前だ。時間が経って新鮮さを失ったパンを
卵と牛乳にひたして甦らせる。
朝食づくりに失敗した父は息子に言う。
「心配ない、今度はうまくやるさ」
最近卵を割っていないというあなた。
明日の朝、フレンチトーストでも作ってみませんか。
大友美有紀 16年4月3日放送
Il Fatto Quotidiano
「アカデミー賞受賞!エンニオ・モリコーネ」初受賞
2016年のアカデミー賞作曲賞は、
タランティーノ監督「ヘイトフル・エイト」の
エンニオ・モリコーネが獲得。
その瞬間、観客全員がスタンディング・オベーションした。
素晴らしいサウンドトラックには
素晴らしい映画が無くてはいけません。
クエンティン・タランティーノ監督に
感謝をささげます。
私を選んでくれてありがとう!
1928年イタリア生まれの87歳。
映画音楽界の巨匠、初の受賞だった。
同じくノミネートされていた、
「スター・ウォーズ」の
ジョン・ウィリアムズたちに敬意を示し、
最後に妻のマリアに賞をささげたい、と言った。
大友美有紀 16年4月3日放送
「アカデミー賞受賞!エンニオ・モリコーネ」マカロニ・ウエスタン
映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネは1928年、
イタリア、ローマで生まれた。
神童と呼ばれ10歳で音楽院に入学。
前衛音楽、ポップス、クラシックに親しみ、
在学中からラジオドラマの音楽アレンジを
手がけるようになる。
時計の音やタイプライターを楽器として使う、
破天荒なアレンジ。
それを気に入った映画監督セルジオ・レオーネが
「荒野の用心棒」に起用した。
テーマ曲は「さすらいの口笛」。
口笛とギターによる孤独でヒロイックなテーマ。
孤高のトランペット・ソロ
イタリアやスペインで作られる西部劇を
マカロニ・ウエスタンと呼んだ。
モリコーネのテーマ曲は
多くのマカロニ映画に影響を与えた。
そして、自身も1970年代前半まで、
30本以上のマカロニ映画に関わり、
根強い人気を得ていった。
大友美有紀 16年4月3日放送
「アカデミー賞受賞!エンニオ・モリコーネ」セルジオ・レオーネ
2016年のアカデミー賞作曲賞を初受賞した
エンニオ・モリコーネ。
「荒野の用心棒」で監督セルジオ・レオーネに出会った。
それから、2人は、イタリア製西部劇、
いわゆるマカロニ・ウエスタンで、
何度もタッグを組む。
1972年公開の「夕陽のギャングたち」もそのひとつ。
舞台はメキシコ。
政府軍に追われる身となった主人公ジョンは
「アメリカに行こう。
どんな夢でもかなう国だ」と言う。
セルジオ・レオーネにとっても、
アメリカは、いつか映画を撮りたい憧れの地だった。
それは「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」という
映画となって実現する。
盟友の夢にモリコーネがささげた曲は、
パンフルートのソロで始まる、
乾いた哀愁を帯びた渾身の叙情詩。
夢のアメリカを意識したディキシーランド・ジャズや
「アマポーラ」のカバーとともに話題となる。
夢はかなった。
が、セルジオ・レオーネ最後の作品になってしまった。